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河口から山頂へ 〜ランニングジャーニー・Zero to Summit〜Vol. 1 山梨篇その3

旧石器時代からみた相模川

河口から29キロ、田名向原(たなむかいはら)遺跡前のコンビニで1回目の補給。いつの間にか雨もやんだ。予定通り4時半にスタートしていればこの旧石器時代の遺跡にも寄ったのだが、まだ先は長いのでここはパス。このあたりから城山ダムまでの川ぞいはこれといった道がなく、住宅街のなかを右往左往して進む。
多摩川の青梅や荒川の熊谷あたりでもそうだったが、中流域では人びとが川から距離を置いて暮らしている。河川に背を向けているようにも感じる。舟運が廃れ、道路交通がメインとなった現代では必然なのかもしれないが、もったいない。茨城県の久慈川は、川と暮らしの距離がほどよく、走っていて心地よかった。観光や釣りをとおして、いい関係を保っていた。それに比べるとこの相模川はどうだろう。川や自然に対する人々の無関心さが、河口堰の建設を許してしまったのかもしれない。
段丘の上から坂道を駆けおりると、「相模川清流の里」という明らかに浮いている豪華施設が現れた。先ほどからやたらと目立っていた某政治家のポスターがさらに勢いをまして、ところ狭しと貼られている。ふふん、そういうことか。

2009年の政令都市指定、圏央道の開通、中央リニア駅の建設と、巨額の金と利権が集まる下地はいくらでもある。政治の力でこの程度の施設をひねり出すことくらい、たやすいことだろう。釣り人でにぎわう相模川のほとりで、自然と清流の名からはもっとも遠い存在である豪華施設がひたすら虚しい。田名向原遺跡を残したわれわれの祖先たちは、現代の相模川をどういう気持ちでながめているのだろうか。

相模川から桂川へ

津久井湖についた。ここから先は、いわばホームグラウンドだ。城山ダムを見下ろす城山には一昨年の冬に家族と登りにきたし、津久井湖の奥の高尾山はもう何度登ったか覚えていない。3年前の夏には、世田谷の自宅から甲州街道ぞいに小仏峠と笹子峠をこえて甲府まで走っている。

ちなみに城山はちびっ子登山にうってつけの低山。城跡もあり、麓には公園もあり、ちびっ子百名山選出まちがいなしの名山である。

そんなホームグラウンドであるが、今回は新たな趣向として、湖畔の北側にあるらしきルートを選んだ。らしきというのは、地形図に道は載っているものの、なにかしらの事情でどうも廃道になっているようだからだ。相模川ぞいに走るなら、このルートは外せない。妥協して国道413号のルートの方が確実だしラクだが、 このZtSプロジェクトならこっちだろう。
城山ダムをすぎると、ランナーたちの姿がちらほら見えはじめる。ちょっとだけ火がつき、坂道の登りで一気に全員ぶち抜く。三井、名手の部落をすぎると、ゲートが下ろされていたがもちろん突破。

ガケ崩れ箇所がいくつかあり、整備が追いつかずに廃道となったらしい。今朝まで降っていた雨の影響がすこし気になるけど、慎重にいけば問題ないだろう。雪崩に注意しながら山スキーをやっていた経験がこういうところで活きてくる。さすがに走るわけにはいかなかったが、荒れた廃道をなんなく突破した。

河口から58キロ、相模湖末端にある勝瀬橋のコンビニで2回目の補給。おしるこ味のアイスに全身がよろこんでいる。藤野駅をすぎて、河口から62キロの境川橋でいよいよ山梨県に入ったところで相模川は桂川と名を変える。上野原駅ちかくは遊歩道が整備されていて、いい風景である。

中央線と並行する甲州街道ぞいをもくもくと走る。熟れて落ちた柿の実があまりひと気のない歩道を汚している。大月までは心を無にして、ランニングマシーンと化さなければならない。3年前の世田谷〜甲府ランの経験で、車交通量の激しいこの区間は苦行になることは承知している。腕時計が刻むタイムとにらめっこしながら、トレーニングのつもりで大月をめざす。

 

 

文・写真提供:二神浩晃

その4へつづく


“Zero to Summit 47” Vol. 1 山梨編

実施日:2017年9月23日(土)~24日(日)

最高峰:富士山(剣ヶ峰)3,775.5m

ルート:相模川水系(相模川、桂川)

距 離:135.7km
VOL.1山梨篇その1はコチラ

河口から山頂へ 〜ランニングジャーニー・Zero to Summit〜Vol. 1 山梨篇その1

 

VOL.1山梨篇その2はコチラ

河口から山頂へ 〜ランニングジャーニー・Zero to Summit〜Vol. 1 山梨篇その2

 

二神浩晃さんのプロフィールはコチラ

水流ランナー 二神浩晃(ふたがみひろあき)