青春の相模川河口堰
まとわりつく雨のせいで、相模川をゆっくり味わう余裕はない。雨具を着込んでいることもあり、はじめての景色にも気持ちがのらない。100キロの道のりを考えると気が遠くなるので、とりあえず40キロ先の津久井湖の城山ダムをめざして、距離をかせぐことに気持ちを集中させる。
東海道新幹線をすぎた10キロ地点のコンビニでようやく飲料水を確保。喉が渇いているわけではないが、ペットボトル1本くらいは持っておきたい。酷暑と水不足に苦しんだ6月の愛知編と7月の秋田編が遠い昔のようだ。
11キロをすぎ、戸沢橋を渡ってしばらく左岸の圏央道ぞいに進む。高架下が半屋外空間をつくっていて、犬の散歩中の高齢者たちとすれ違う。ランナーはいない。
すこし進むと、川を横断する巨大な構築物が現れた。長良川河口堰と似ているので、もしかしたら相模川の河口堰だろうか。
大学に入ってからカヌーイスト野田知佑さんの書籍をむさぼり読み、いてもたってもいられず、ツーリング・カヌーの世界に没頭した。と同時に、長良川河口堰らの建設反対運動にもかなり積極的に関わった。まもなくある理由で自分自身と折り合いをつけ、それらからアシを洗ったため、あのときあれほど熱く関わっていた相模川河口堰がその後どうなったのか知らなかった。というより、今日ここに来るまで、そんな運動をしていたことすら忘れていた。
二十歳の自分を懐かしく思い返し、複雑な気持ちになった。
野田さんとの焚き火
圏央道の高架下は中途半端に整備されており、いくつか道が分断されているため、通しで走りたいぼくには違和感があった。都市を縦断するせっかくの道なので、多摩川のようにちゃんと整備して、ランナーやサイクリストにやさしい相模川となることを期待したい。
厚木の中心街が近づいてきた。この一帯は相模川流域のなかでもっとも都会的なエリアだろう。小田急線をくぐって現れた相模大橋を目の当たりにして、急速に記憶がよみがえってきた。間違いない、あのときに渡った橋だ。
1992年の秋、相模川河口堰建設の反対集会がこの河原で行われ、ぼくはそれに参加した。その夏に買った折りたたみ式のカヌーと大鍋をかついで。
その集会にはあの野田さんが来るというので、なぜか鍋料理を食べてもらおうと意気込み、本厚木駅で下車して大量の食材を買って、この相模大橋を渡って会場に乗り込んだ(しかし、どうして鍋料理を食べてもらおうと思ったのだろう、いま考えると不思議だ)。
その夜、野田さんはぼくが作った鍋料理を大いに気に入ってくださったので、酒の力も借りて話しかけてみた。焚き火に照らされる顔をのぞき込むように、その語りに耳を澄ます。──映画は『アラビアのロレンス』がいい、別れた妻は今でも愛している──そんな話だった。忘れられない強烈な青春の一コマだ。あとで付き人らしき方に「野田さんがあれだけ話すのはすごく珍しいことだよ」と言われたのをよく憶えている。
その秋、学園祭に出店したおでん屋を借りて長良川河口堰反対を訴えたぼくは、何やってるんだ、部活動の趣旨からかけ離れているではないかと顧問の先生にコッテリしぼられ、反旗を下ろし、反対運動からアシを洗った。
その近藤先生も昨年末に亡くなられた。誰よりもぼくを強く叱ってくれた、本当の恩師だった。
入るなと去れ
やがて、大きな堰が見えてきた。磯部頭首工という取水堰らしい。かなり大きく、それに負けないくらい大きな文字で、立入禁止を訴えている。おそらく過去に悲しい事故があったのだろう。
いつも思うのだが、「絶対に○○してはいけません!」という看板ほど醜く、効果が低いものはないと思う。入らせたくなければ、入れないような仕組みと仕掛けをすれば良いだけだ。それこそが計画と設計なのだから。誰でも入れるようにしておきながら言葉だけで「入るな」と脅すのは、江戸幕府が出していた御触書から進歩がない、お上の発想だ。なんだか論調まで野田さんぽくなってきた。
河口から北上を続けてきた相模川は、JR相模線の下溝駅付近を扇のカナメとしてぐいっと60度ほど折れて北西方面に進む。そのカナメに途方もないスケールで自然の力が作用しているのか、一気に地形がこみいってくる。
道保川、鳩川、八瀬川が複雑に入り組みながら左岸から流れこみ、右岸では絵に描いたようにみごとな河岸段丘が形成され、目をたのしませてくれる。相模川が流域の暮らしを潤してきたことが直観的に伝わってくる。下流の相模川大堰がよけいに虚しい。
中流域でグイッと北西方向に曲がるさまは、松田付近で同じように折れる酒匂川と奇妙に一致する。もしかしたら太古の昔、プレートに乗った伊豆半島が日本列島に激突したときの造山活動の跡そのものなのかもしれない。
三段の滝をすぎたところで、立派なグラウンドが出てきた。高校野球部のものらしく、ネットには「闘志なき者は去れ」と恐ろしい言葉が掲げてある。どうもこの辺の人たちは看板で気持ちを表したがるらしい。よほどの強豪校なのだろうか、もしかしてあの東海大相模高校かもと胸騒ぎしながらプレートで確認したら「光明学園相模原高校」とあった。うーむ、知らない。
文・写真提供:二神浩晃
(その3へつづく)
“Zero to Summit 47” Vol. 1 山梨編
実施日:2017年9月23日(土)~24日(日)
最高峰:富士山(剣ヶ峰)3,775.5m
ルート:相模川水系(相模川、桂川)
距 離:135.7km
VOL.1山梨篇その1はコチラ
二神浩晃さんのプロフィールはコチラ