プロローグ
午前1時。夜中の羽田は静かだが、空港に出入りする車はたえない。川べりにおり、やさしく貝がらをあらいつづける波のはしにふれてみる。おもったより臭いはなく、いやな感じもない。すこし迷ってからなめたがふつうの海の味だ。闇の中に黒くたたずむ多摩川は、いつもより広くみえる。対岸の川崎のまち灯りが川面のふちを照らし、その輪郭を教えてくれる。
この水流をたどりつづけ、雲取山をめざすためにここにきた。その頂におちた雨つぶが重力のままに流れ、やがて東京湾にそそぐまでの道を、海からたどって走るためだ。距離110km、高度差2017m。15時間もあればつくだろうか。そのための準備はしてきた。これからはじまる足かけ15年にわたる長い旅路、“Zero to Summit 47” (以下「ZtS47」)の第一歩目を、ぼくは踏み出した。
川ぞいを走る
いつからか、川ぞいばかりを走っていた。信号がないのがいい。ランナーをおびやかす車も少ない。ゆるやかなカーブごとに変わっていく景色が目にやさしい。地図がなくてもどこかに連れていってくれるどころか、思いもしなかった出会いや発見をもたらしてくれる。それになんといっても走っていて気持ちがいい。
ネットには世界中の情報があふれているけれど、じぶんの生活の足元にはネットにでてこない未知の世界がごろごろとあることを、水流ランは気づかせてくれる。
走るブラタモリ
川ぞいを走ることを水流ランと勝手に呼んでいる。だからぼくは水流ランナーだ。
水流ランにはきまりがない。テーマもコースも自分次第。走る自由もあり、走らない自由もある。途中でやめても誰にも迷惑をかけない。暑い夏には川にとびこめばいいし、きもちいい景色は気のすむまで眺めればいい。順位も時間制限もない。うまそうなものがあれば腹いっぱい食べる。時間だけはとにかくたくさんあるので、物思いにふけってみる。時速10キロで、過去の思い出が風景とともに流れて消える。
できるだけ道草はくっていく。おもしろそうな人がいたらすり寄り、なるべく話しかけてみる。年寄りならたいてい応じてくれるし、運がよければ目の前のながめや彼自身の半生についてしずかに語りだしてくれる。こうなると、その川はもうぼくの一部だ。結局は人との出会いである。
こんな水流ランのことを、ぼくは「走るブラタモリ」と説明している。が、いまのところは不評だ。
Zero to Summit 47
日ごろからスキあらば水流ランをやっている。都内の川はだいたい走った。
おなじ水流ランでも、どうせならまだ誰もやったことがないテーマとコースで走ってみたい。そうだ、海抜ゼロから山のてっぺんまで走ってみよう。
ひとつの山は、いくつかの川でかならず海とつながっている。県境にまたがる山や海なし県もあってひと筋縄ではいかないけど、それぞれの山がもつ風土、歴史、社会背景にふさわしい流れをひとつえらんで海から走れば、何かが見えてくるかもしれない。これを四十七都道府県の最高峰でやろう。
けっして難しいことではないが、なにしろ川をえらぶところからはじめるので時間だけはやたらとかかる。ググっても正解なんてない。誰でもできることだけど、たぶん誰もやったことがない。だったらぼくがやるしかない。
こうして、ランニング・プロジェクトZtS47がはじまった。その第一歩が冒頭の東京だ。羽田から多摩川と日原川、大雲取谷、唐松谷をたどって雲取山をめざした。2016年6月某日、長い一日のはじまりだった。
ご挨拶
ここでは、そのZtS47各篇の報告※を中心に、残り38座の実施プロセス、ZtS47以外の各種企画などをおりまぜて、ひろく水流ラン全般について書かせていただければと思います。ときにはファン・ランニングのイベントなどを企画してここやYAMANOVA(facebookグループ)で参加者を募っていきますので、ご興味がありましたらぜひお気軽にご参加ください。みなさん、どうぞよろしくお願いします。
(文・写真提供:二神浩晃)
※2018年2月現在、1都8県の計9座を実施ずみ
(つづく)
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