突撃!雑談インタビュー、ウルトラマラソンランナーの佐藤良一さんとの第三回です。
登山のこと、山岳写真のこと、奥様とのこと、テニスのこと、ラダックでのレースのこと。
雑談ならではの、あっちゃこっちゃバリエーション豊かな?!対話をお楽しみください。
(文章・写真=池ノ谷英郎/聞き手=山本喜昭)
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山本>
良一さんは、登山も並行してやってらしたんですか?
佐藤>
そうですね、両親の影響で。
山登りは高校時代から一人で行くようになって、
で、二十歳の記念に何か山登りで変わったことをしよう
って思ったんですよ。
槍ヶ岳に登ろう、でも、それは当たり前すぎるから、
当たり前じゃないことをやろう。
じゃ、海から行こうってことにしたんです。
山本>
海抜ゼロから?
佐藤>
そう、ゼロからです。
みんな槍ヶ岳3,180m登ったー!
とかアルプス一万尺行ったー!
とか言ってるけど、それ行ってないから(笑)
取り付きの上高地ですでに1,500mだよって。
だからゼロから行かなくちゃなー
ってことを考えだして、
そういうことをやっている人もいなかったから。
海からだと遠いんですよ。
で、1週間かけて歩いて、とりあえず海から登ったんです。
槍ヶ岳に来た方角からこれから行く方角を見ると、
「日本海があるな、太平洋があるな」って。
山本>
登ったのとは反対側に下りたんですか?
佐藤>
一旦、槍ヶ岳から穂高・焼岳の方へ行って下りたんです。
で、今度は夜叉神峠に向かってそこから南アルプスを北上して、
さらに南下して南アルプス全山総なめにしたんです。
で、南アルプスの最南端の光岳ってところから
林道を越えて寸又峡温泉ってところまで行って、
そこで終わったんです。
海までは行ってないんですけどね。
途中で「どうでもいいや」って思っちゃって(笑)
山本>
やってるうちに(笑)
佐藤>
「これに何の意味があるんだろう?」って(笑)
そう思うきっかけがあったんですけどね。
途中で山岳カメラマンに会ったんです。
「お前、すごいな!馬力ありそうだな。
お前みたいなやつを探してた」って。
当時、彼と助手が3人いたんですけど
「今度、お前を雇うから来てくれ」って。
そしたら
「馬力がある所を見込んで仕事があるんだけど」
ってその後すぐ言われて、次は双六岳で取材があるから行こう
って言われました。
それで、今あるたくさんあるフィルムをなんとかってところに
いついつまでに持って行ってくれって。
「お安い御用!」って海に行くのをやめて、
寸又峡温泉に行ってすぐに電車で帰ったんです。
で、仕事を果たして、カメラマンの望月さんと一緒に
その後北アルプスに入って行ったんです。
その時「僕は太平洋まで行きますから」
って言ってたらこの話はなかったんです。
「いいですよ~」って言っちゃったんです。
こっちの方が面白そうだって(笑)
山本>
それ以来、その方に師事されていたんですか?
佐藤>
そうですね、2年半助手をやっていたんですけど、
望月さんだけじゃなくて「山と渓谷社」には
たくさんカメラマンがいるので「こいつ、使った方がいいよ」
ってあちこち回されていたんです(笑)
で、いろんな写真家が撮ろうとしているものを後ろから見ていると、
「あ、この人は次はこのレンズを使うだろうな」
とか
「俺だったらこういう撮り方をするだろうな」
って、今度はそう思うようになったんです。
で、その中の1枚がオリンパス・フォトコンテストで
グランプリを取っちゃったんですよ。そ
れから、ちょっと先生たちとの距離が離れちゃったんです…
山本>
なんだあいつは!という感じだったのでしょうか。
佐藤>
「なんで教えないんだ!助手のくせに
なんでそういういい所とか撮り方とか教えないんだ!」って(笑)
それでちょっと自信がついて
積極的にあちこちひとりで行くようになったんです。
写真の勉強は一切していないんです。
山本>
何かを始めるきっかけがいつも実践からですよね。
実践の人ですよね、佐藤さんは。
佐藤>
そうですね、そこら辺が妻と全然違うところです。
妻は卓上ですべてを分かっちゃう人なんです。
で、僕は卓上じゃないところで分かる人なんです。
山本>
ご夫婦のバランスがいいんですね。
佐藤>
だからケンカにならないです。
知識ではかなわない×実践ではかなわない、で、
お互いが話をよく聞くんです。
山本>
良一さんのラダックの写真には感動しました。
特に夜の星の写真。子供たちとの写真もすごく好きですけど。
佐藤>
まあ、人と空ですよね。
僕もラダックに行ってびっくりしたのが。
だからそのまま写真になっているのかもしれないです。
植物だったり別の方面で感動したら
そっちの写真を撮るんだろうけど、
どうしても人と空。
大げさかもしれないけど
ラダックで死んでもいいなって思ってますね。
この後、また見つかるかもしれないですけどね。
でも、今のところはラダックですね。
山本>
ラダックもそうですけど、なぜチベット文化圏に通っているんですか?
佐藤>
日本の山を登っていたんですけど、
山と言ったらやっぱりヒマラヤなんですよ。
で、ヒマラヤと言ったら向こう側のチベットなんですよ。
という順序で僕は地球を捉えていたわけですよ。
で、大学を卒業した時にまた何かやろうかな
って思っていた時に、「チベット巡礼チャリンコの旅」
っていうのを考えて・・・
山本>
よくいろいろ考えますね。企画を(笑)
佐藤>
チベットにカン・リンポチェ、英名カイラスって
山があるんですけど、そこは登っちゃいけないし
触れちゃいけない山で、ヒンドゥー教やイスラム教、
チベット仏教の聖地なんですよ。
みんなそこまで歩いて行くんですよ。
で、僕は歩くと何年かかるか分からないので、
自力で行く一番早い手段は自転車だなって思ったんです。
山本>
そんなに遠いんですか?
佐藤>
すごく奥です。
で、自転車ならどこから行こうかなって考えて、
飛行機でラサまで行って、ラサから行ったら
1,000~2,000・しかないなと思って、
じゃ、やっぱり長江の成都辺りから行こうかな、
あの辺から行ったらちょっとそれっぽいかなって思ったんです。
なぜかって言うと、そこからチベット高原に登るのに
大変な横断山脈があるんですよ。
メコン川と長江とサルウィン川の3つを越える
横断山脈ってのがあるんですけど、
それを登って下りて登って下りて登って下りてして
やっとチベットなんです。
そこまで行ったら形になるなって思って。
さすがにその時は海から行くのは嫌だと思ったんです。
山本 >
さすがに(笑)
佐藤>
そう、さすがにね(笑)
「チベット巡礼チャリンコの旅6,400km」、
誰かこの話に乗ってくる人いないかな?って思ったら、
大阪のアドベンチャーサイクリストクラブってところが
「面白そうだ、自転車を作らせてくれ」
って言ってくれたんです。
で、そのつもりでいたんですけど、
そしたら僕のテニス部の先輩から電話がかかってきたんです。
「一緒にアメリカに行かない?」って。
山本>
突然?
佐藤>
突然。
「俺、行くけど、良一も行かない?」って言うんですよ。
それを聞いて、なんで俺、魅かれちゃうんだろう?
って思うぐらい魅かれちゃったんです。
8歳からテニスをやってきたから、
やっぱり本場のアメリカに行きたくなっちゃったんです。
で、チベット巡礼チャリンコの旅が消えちゃったんですね。
山本>
いきなりアメリカに。何だか真逆な感じですね(笑)
佐藤>
真逆ですよ。フロリダに行っちゃいました。
半年間アメリカでテニスの練習・試合を繰り返して、
あまりにもハード過ぎて腰がヘルニアになっちゃって、
それでリハビリで走りだしたんです。
だからチャリンコの旅に行ってたら
ヘルニアになってなかったかもしれない。
山本>
そうですね、
チャリンコの人になっていたかもしれないですね(笑)
佐藤>
そうなんですよ。
世界をまたにかけるチャリダーになっていたかもしれない。
ヘルニアになったのはテニスのおかげ。
山本>
そうして今はウルトラを走れている。
先輩のおかげですね(笑)
佐藤>
先輩はそうとは思っていないでしょうけどね(笑)
変な風につながっているんです。
山本>
その思いがあってヒマラヤが・・・
佐藤>
そうですね。チベットに行きたかったんです。
チベットに関する本もたくさん読んでいたんです。
最初に出会った本が河口慧海(かわぐちえかい)という日本人で
初めてチベットに行ったお坊さんの本だったんですけど、
すっごく分かりにくい本だったので
1ヶ月くらいかけてきちんと読んだんですよ。
そしたら行きたくなって。
「へぇ~、こういう世界があるんだ」って。
あり得ない!
ってこともたくさん書いてあったんですけど。
で、もう一人出会ったんです。
近藤(亨)さんというおじいちゃんで、農業を極めた人なんです。
ネパールにムスタンっていうところがあるんですけど、
そこに住んでる人のことを「ロッパ」って言うんですね。
ロッパっていうのは「ロ」は南で「パ」はチベット。
チベットの南の人って言う意味なんです。
で、ついでに言うと「シェルパ」って
「チベットの東の人」って意味なんです。
東西南北あるんですけど、チベットの南の人って言われる人がいて、
河口慧海はネパール領のその場所で習慣とか言葉とかを習得して、
山を越えてチベットに行ったんです。
それは大昔の話です。
現在は、近藤さんという人がその地に行ってらっしゃるのですけど、
ムスタンは世界三大強風地域の一つ(パタゴニア、南極、ムスタン)
って言われていて、ツルがヒマラヤを越えるところとして
有名なんですけど、風がすごい強いから
(ツルが)羽ばたかずにヒマラヤを越えていける
ってところなんです。
だから緑もみんな飛ばされちゃって
一切無くて貧しい生活をしているんですよ。
なんでここに人が住んでいるんだろうっていうくらい。
僕も実際に行ったら、朝は風が無いんですけど
10時を過ぎると立っていられないくらいの風が吹くんです。
山本>
そこに住んでいる人たちはみんなどうやって生活しているんですか?
佐藤>
麦をちょっと作っているくらいで、
あとは中国のチベットからの物資とかネパールからの物資とか。
一応、中国とインドをつなぐ「塩の道」でもあるんですよ。
だから文化は昔からあるんです。
で、近藤さんはたまたまそこに行ったんですけど、
ここを「何とかしたい」って思って、
新潟県にある家を売っちゃって単身で来たんです。
家を売ったお金で人を雇って高い石垣を作ったりとか
水路を作ったりとかしたんです。
最初はリンゴを育てたんですよ。
そしたらそのリンゴがウケちゃって、
今度は魚の養殖とか米を作ったりとかもして、
さらに乳牛はどうかな?ってやってみたら成功して、
そのお金で潤ってきて、小学校を7つと病院を3つ作ったんです。
山本>
すごい人ですね!近藤さん。
佐藤>
そうなんですよ。近藤さんは今、93歳です。
山本>
無から全部作ったんですね。
佐藤>
ムスタンに行くとネパール国王よりも待遇がいいらしいですよ。
白馬が迎えに来て。
僕もムスタンのレースのときに日の丸を付けて行ったんですけど
すごい人気でした。
山本>
へぇ~。ムスタンで日本は有名なんですね。
佐藤>
有名です。
近藤さんの本拠地の村があって、
そこの軒先には日の丸がたくさん書かれているんです。
旗があったり書いてあったり。
そこでは僕も人気者でした(笑)
近藤さんが建てた病院にも行きました。
だからその近藤さんという存在があって、
そして河口慧海がチベットに入る前に1年間を過ごした
ムスタンに行きたい。
それは、ヒマラヤの向こう側だから
ぜひ行きたいって思ったんですよ。
ラダックもその候補の中のひとつでした。
チベット文化圏でシッキム(昔のシッキム王国)、
ブータン王国、ネパール王国、ムスタン王国、
ラダック王国、ザンスカル王国といくつかあるんですけど、
それのいくつかに行きたいなって思っていたんです。
ラダックとは不思議な縁があって、
テニスでアメリカに行っていた時にインドにも行ったんですよ。
僕はさっさと負けちゃったんですけど、
勝つつもりでいるから帰りまでに1週間くらい空いちゃったんですよ。
「じゃあ、楽しまなくっちゃ」って思って
ラケットを置いて、ビーチに行ったんです。
コバラムビーチってヒッピーがたくさんいるところなんですけど。
そこにチベットグッズを売っている店があったんです。
面白そうだと思ってのぞいてみたら
「食べていきなよ~」って言うんでごちそうになったんですね。
で、「いつでもおいでよ~」って言うから
それから1週間ずっとそこにいたんです。
すごくいい人たちでした。
山本>
売っているのもチベットの人だったんですね。
佐藤>
ラダック人の家族だったんです。
ラダックは冬は氷点下30度くらいで過ごしにくいので、
冬の間は南インドでグッズを売っている人が多いらしいです。
その家族とは夜は夜で一緒に遊びましたね。
全裸になって海に飛び込むんですよ。
すっごく気持ちいいですよ。
波も結構あるんですけど、波の気配が無いんですよ。
月が消えるんです。
山本>
どういうことですか?
佐藤>
波が(月を)消すんですよ。
そうなったら「潜れ~!」って。
みんなでそんなことを繰り返して遊んでいたんです。
浜辺で犬が不思議そう~にしているのが印象的でしたね(笑)
山本>
ラダックの人はよく荒波の中で泳げますよね、山の民なのに。
佐藤>
あ~、そうですね!毎年行ってるんじゃないですか(笑)
で、そのラダックの家族が「遊びにおいでよ!」
って言ってくれて、偶然行くチャンスが出来たんです。
僕のテニスの生徒でインド人がいてカシミアの絨毯を
輸出入しているんですけど、僕も機会があってカシミールって
ところに行ったんです。
カシミールってラダックに近いので行くつもりだったんですけど、
がけ崩れとか大雪で道がふさがれて行けなかったんです。
山本>
物理的に行けなかったわけですね。
佐藤>
そうなんです。「あー、終わっちゃった。縁がなかったんだな」って
その時は思いました。
で、走るようになってしばらくたってから
たまたまラダックの話になって
「えっ?ラダック?俺が行きたかったところじゃないか!」
って話になったんです。
「(ラダックには)222kmのレースがあるからおいでよ。
向こうの主催者も君(佐藤良一さん)のことを知っているから大丈夫だよ」
って言ってくれたんです。
僕は全然英語が分からないんだけど妻が訳してくれて。
でも、さすがに心臓の病気があって許してくれないんですよ。
「そんな標高の高いところのレースは無理に決まってる」って。
山本>
主催者側が?
佐藤>
主催者側は大丈夫だって言っていたんですけど、
妻がダメだって言うんですよ。
「そんな無理に決まっているんだからお金がもったいない」って。
結構お金にシビアなもので(笑)
山本>
お金を払ってしまったら「行け!」だけど、
まだ払う前だったわけですね(笑)
佐藤>
なんとか説得してやっと許可が下りたんですけど、
さすがに222kmはダメだと言われて、
そのプレ大会でフルマラソンがあるから
「それに出ていい成績だったら許してあげる」
って言うんです。
山本>
判断基準が「いい成績」なわけですね(笑)
佐藤>
妻は完走できっこないって思ってますから。
富士山くらいの高地のマラソンですからね。
で、レースが終わって妻に電話したんです。
「完走した!2位だったよ」って言ったらびっくりしてました。
しかもサブ4(3時間台でフルマラソンを走る事)だったんです。
それで妻も観念して、次の年の222kmに出てもいいよ
って言ってくれたんです。
山本>
ラダックのフルマラソンをサブ4で走ったのは手術の後ですか?
佐藤>
発作で倒れた後ですね。手術前です。
妻も発作が起きたのを知っているので止められました。
山本>
へぇ~・・・
佐藤>
その中にスパルタスロンに出ている人が4~5人いたんですよ。
そこでまた話が盛り上がって「来年会おうね!」とか言って、
翌年222kmで会いました。
今年はさらに増えるみたいで、スパルタスロンに出た仲間が
僕がラダックのレースを走ったのを知って、
面白そうだなってたくさん来るみたいです。
山本>
それは楽しみですねぇ~。
333kmのレースはステージレースになっているんですか?
佐藤>
英文なんでよく分かっていないんですけど(笑)、
とりあえず2回は休む(寝る)ようにってことみたいなんですよ。
途中で2回休息を入れて3つのステージを走るって感じ・・・
だと思うんです(笑)
今回は111km、222km、333kmという3部門があって、
111kmを完走出来たら222kmに出られるみたいですね。
で、111kmもスパルタスロンを完走していないと出られないとか
条件があるんですけど、僕は222kmを完走しているので
333kmに出られます。
何人もいないみたいですけどね。
日本ではまだ誰も出ようとする人はいないみたいです(笑)
山本>
へぇ~。
佐藤>
日本人はそんなに休みが取れないですよね。
山本>
そうですねえ。
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雑談は第三回に続きます。
次回はチベット文化圏への憧れとレースについてです。
まもなくスタートするTHE HIGH 333kmへの道が垣間みれるまもです。
乞うご期待!
それでも走り続けるワケとは? 〜ウルトラランナー佐藤良一の挑戦 〜
第一回はコチラ↓↓↓
http://docue.net/archives/contents/ultrarunner-sato-1
それでも走り続けるワケとは? 〜ウルトラランナー佐藤良一の挑戦その2 〜
第二回はコチラ↓↓↓
http://docue.net/archives/contents/ultrarunner-sato-2
<佐藤良一さんのプロフィール>
ブログ:「走り出したチャンドラ〜佐藤良一〜 http://blog-ryo.jugem.jp/
佐藤さんへの応援やメッセージはこちらにどうぞ。
info@cael-utd.com
スポーツ冒険マガジン・ド級! 編集部宛
いただいたメッセージは大切に読ませていただきます。
おもしろいメッセージはサイト内でご紹介いたします!