突撃!雑談インタビュー、今回のゲストはウルトラマラソンランナーの佐藤良一さん。
ランニングを始めたのは椎間板ヘルニアのリハビリ目的だったという佐藤さん。
現在、心臓病を抱えながらも走り続ける佐藤さんが超・長距離を走る
ウルトラマラソンの世界に飛び込んだ意外なきっかけとは?
(文章・写真=池ノ谷英郎/聞き手=山本喜昭)
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山本>
こんにちは。
ざっくばらんな雑談なので、普通に雑談な感じでお願いします。
佐藤>
ビールでも飲みながらね(笑)
そっちの方がしゃべれますから(笑)
山本>
良一さん、すでに丸焦げな感じですね、日焼けして。
佐藤>
そうですね(笑)
ま、テニス焼けもありますけど。
山本>
ところで、どうですか?
THE HIGH(北インドのラダック地方で行なわれるウルトラマラソン。
今年は333kmの距離になるとのこと)に向けて。
佐藤>
毎月このICDっていう植え込み型除細動器の検査に行ってます。
ホントは3ヶ月に1回のはずなんですけど、
今年の2月に1日で30回発作が起きちゃったんですよ。
山本>
え!何もしてない時にですか?
佐藤>
走っている時に主に発作が起きているんですけど、
そのきっかけが年末にネパールにトレッキングに行った時なんです。
山に登り始めて30分後に1回起きたんですよ。
その時に「調子悪い~」って立ち止まったんですよ。
で、その時に御願いしていたシェルパはネパールでは
「走るシェルパ」を売りにしている人だったんですよ。
僕もランナーなので、彼も当然僕が走るものだと
思っていたんです。
ところが僕はテントもあるし三脚もあるし
カメラ一式も背負っていて走れないわけですよ。
そのシェルパは
「早くしろよ、何やっているんだ!」
って感じなんですね。
「ちょっと待った!ちょっと調子悪い」って。
その日は2回「おかしいな」って思ったんです。
でも、調子がおかしかったのは初日だけで、
その後は標高5,500mのカラパタールとか
登っても何ともなかったんです。
山本>
おかしかったけど持ち直したわけですね。
佐藤>
そう、持ち直したんです。
で、帰国してその日の2回のデータと
2月に30回起きた時のデータを医者に持って行ったら
「これはダメだよ!」
って言われて、それから特別な機械がウチに届いたんですよ。
それは、毎日のデータが寝ている間に医者に
飛んで行くようになっていて、
ひどい時は電話がかかって来るってシステムなんです。
山本>
今までは検査に行ってデータを吸い上げていたのですか?
佐藤>
そうです。
その時は3ヶ月分のデータを吸い上げたんですけど、
12月、1月、2月はあまりにもデータが多すぎて
「これはいけない!」ってなって。
2月のひどい時は1日に3回起きて、あと1秒発作が続いていたら
除細動器が動いたって状態があったんです。
僕のペースメーカーのペーシングって、
不整脈が起きたら小さな電流を流して
心拍を正常にさせることを何度かやるんです。
それが1発で成功すればいいんだけど、
それを最大20秒間やるんですね。
この間は、それが19秒までいっちゃったのが
1日に3回も起きたんです。
それがトレイルを走っていた時だったから、
除細動器がドン!っ動いたら気を失うくらい痛いから、
医者に絶対走らない、座ってもダメ、寝転んでくれって
言われたんです。
あまりにも痛いから気を失っちゃうんです。
頭を打つのが一番危険だから、
おかしいなと思ったらレースなんか放っておいて
寝転んでくれって。
そのうちにピリピリピリピリ…って良くなってきたなって
感覚がちょっとあると、レースを再開するんです。
山本>
なんだかすごい話しです。
ピリピリ中のピリピリはご自身でも感じるんですか?
佐藤>
なんとなく分かります。
山本>
数えているんですか?
佐藤>
瞬間は分からないので、5秒くらいしてから
「あ、おかしい!」って思って走るのを止まるんです。
この間の走ってた時は、その場にいた千夏(奥様)が
僕の様子をおかしいと思って
「一緒に止まってあげるから」って言ってくれて。
山本>
一緒に走っていたんですか?
佐藤>
僕が「ちょっと調子悪いよ」って
最初の時に歩き出したんです。
その時に追い付いてきたんですね。
「どうしたの?」って
「俺、ちょっと調子悪い」って言うと
一緒に走ってくれて、
「またダメ」ってなって一緒に止まってくれて
「あ、治った。走ろう」っていうのを繰り返して、
千夏は心配だから「最後まで歩こう」って
言ってくれたんですけど、
調子良くなっちゃってそのままぶち抜いて
行っちゃったんですね。
その後「裏切り者!あそこで抜けばよかった!」って
言われちゃいました(笑)
山本>
(爆笑)
佐藤>
まあ、その日は大きな発作が3回あったんですけど、
小さいのもたくさんあったので、
ホントに生きた心地がしなかったです。
最後の大きな発作の時、千夏が一緒にいてくれて
復活したのに、「もう大丈夫だから」って
言って、しばらく千夏がすぐ後ろに付いてきていたのに
バーッて行っちゃったんです(笑)
山本>
あなたひどいわね!!って(笑)
佐藤>
ひどい!ってすごく言われました。
キライ!とも(笑)
山本>
(笑)
佐藤>
その後、特別な薬をもう1個処方されて、
それはね、結果としてやる気を落とす、テンションを落とす
飲み薬なんですよ。
山本>
あなた、テンション落としなさい!って?
佐藤>
そういう言い方してました。
ま、直接神経におとなしくさせるように
呼びかける薬なんでしょうけど、
ちょっとボーっとしたりするんです。
それでもダメだったらホントにやる気の無くなる薬が
まだあるからって言われているんですけど、
ホントやる気なくなっちゃうらしいですよ。
やる気なくなっちゃって止まっちゃったら
どうしようって思うのですけど。
医者に行ってふたつの薬をもらっているんです。
ひとつ目は「アンカロン」って言うこの病気に対して
出来上がった薬みたいなのがあって、
僕の弟も同じ病気なんでこの薬を飲んでいるんです。
山本>
弟さんもそうなんですか?
佐藤>
そうです。
弟は僕よりも7年早く除細動器を入れていたんです。
彼はストレスでちょっと病気になったりしていたんですけどね。
僕も除細動器を入れなくちゃダメだって
言われていたんだけど、走れなくなっちゃうし
一級身体障害者になっちゃうから
それは出来る事なら避けたいなって思っていたんですけど、
去年の4月に入れなきゃならない羽目になりました。
山本>
大手術だったんですよね。
佐藤>
大手術ですよ。こんなでっかい機械を入れてね。
まあ、その10日後にネパールに行っちゃうのも
どうかしていると思いますけどね。
山本>
どうかしてますね(笑)
佐藤>
先生には
「ムスタントレイル280kmのレースに申し込んでいるんだけど、
当然僕出ませんから。とりあえずムスタンというところは
昔からの憧れだから行かせてください」と言いました。
山本>
旅行だけ行くと。
佐藤>
でも、最初は歩いて、次はちょっと走って。
「あれ?走れる!」って。
最終的にレースモードになっちゃって、
その間は発作が起きてないんですよ。
ただ、縫い目が残っていて痛かったです。
山本>
そのときは抜糸してないんですね。
佐藤>
まだまだ。溶けてなくって。
手術したところがザックに当たらないように
除細動器を入れる位置を調整してもらいました。
「何言ってんだお前!」って
怒られましたけど一応やってくれて、
そのおかげで傷も残らず走れましたけど。
行く度に先生には
「もっと命を大切にしなきゃ」って
怒られるんですけどね。
山本>
その先生は半ばしょうがないなって思ってらっしゃるんですか?
佐藤>
しょうがないな、というか、そういうのもありかな、って。
「ある意味、君の生き方は潔いね」って言ってくれてます。
山本>
先生の心持ちまで変えてしまったんですね。
佐藤>
そうですね。
その先生のほかの患者さんにも
僕と同じ病気のランナーがいたらしくて、
彼は僕のブログを読んでコメントをくれたんです。
「走ります!先生に止められるかもしれないけど、
走ります!」と書いてありました。
それを先生に報告したら
「困る!」と。
そういう悪影響を与える行動は困るって(笑)
山本>
もう少し自制しなさいと(笑)
佐藤>」
「人に悪影響を与えてもし亡くなったらどうするんだ」って
「お願いだからやめてくれ」って言われているんですよ(笑)
話しは変わりますが明日(5/30時点)、東京・四谷で『ICD友の会』
ってのがあって僕は初めて行くんです。
山本>
皆さんICDを入れている方が参加されるのですか。
佐藤>
そう、国内で400人くらいいるみたいなんですけど、
その中の50人くらいが集まるらしいんです。
そこで僕は変な発言をしたらいけないんだろうなって
思っているんです。
指名されたらどうしようって(笑)
山本>
(笑)。
しかし、全国で400人なんですか?
佐藤>
そうですね。
これが10年前だといないんですよ。
10年前にこの機械が出来たんです。
薬もそう。
それ以前だと「ポックリ病」って言われていたんです。
サッカーの松田直樹選手も同じ病気で亡くなったんです。
サッカーの練習中か試合中に。
彼はICDを入れていなくて頻拍(ひんぱく)が起きちゃったんですね。
相撲の大鵬も同じ病気です。
心拍数を極端に上げるのはよくないみたいです。
でも、標高5,500mのカラパタールって
酸素が平地の40%くらいしかなくて、
歩いていてもハードなんですけど、
走っても起きなかったんです。
山本>
必ずしも環境に左右されるものでもないってことですか?
佐藤>
僕はそう証明しているんですけどね。
山本>
身をもって(笑)
佐藤>
身をもって(笑)
証明したくてやっているわけではないですけどね。
ただやりたくてやっているだけですから。
今度標高6,000mの山を登りますから、
そしたら酸素が平地の35%くらいになります。
だから3倍がんばって呼吸しないといけませんね。
山本>
今まで一番高いところに登ったのはTHE HIGHの5600…
佐藤>
このレースのカルドゥン峠5,603mが一番高いですね。
その時は呼吸が苦しかったんですけど、
峠に観光客がいたんです。
観光客が写真を撮ってるんですけど、
僕が進んでいくと僕が行くところに
後ずさりをしてくるんですね。
で、僕は避けられなくてぶつかっちゃったんですね。
すごい大男で。
みんなが「動いちゃダメ、動いちゃダメ」
とか言うんですけど、僕はレース中で
それどころじゃないので走り出したんですけどね。
その時も不安はなかったです。
膝をひねったかも?っていう不安だけで(笑)
山本>
関節の不安があったわけですね。
佐藤>
関節の不安と椎間板ヘルニアの痛みの方が
ずっと意識にあるわけですよ。
山本>
椎間板ヘルニアは今もずっと痛いんですか?
佐藤>
痛いです。24時間ずっと痛いです。
26歳から痛くなり出して毎日欠かさず痛いんですけど、
それがうんと痛いかちょっと痛いかの違いくらいです。
ひどい時は歩けないんです。
山本>
その治療は…?
佐藤>
治療しにくい、手を出しにくい場所みたいなんですよ。
ダルマ崩しが危ない状態でつながっているみたいな感じで、
そんな状態だから変にいじれないらしいです。
山本>
それでよく走られてますね。
佐藤>
腰のレントゲンを撮った先生も言ってたんですけど、
「これじゃ歩けないね。このレベルで車いすの人もいるよ」
って。
神経と椎間板が癒着しちゃっている状態だって。
とても手術をしにくい状態になっちゃっているんだけど、
仲良くなっちゃったから動けるみたいな言われ方をしたんです。
離れてケンカしている状態じゃなくて癒着しているので
運よく走れているんだそうです。
そっちの方が嫌と言えば嫌ですよね。
心臓は一発でポクッていっちゃうけど、
こっちはずっと痛いから嫌なんですよ。
山本>
心臓の病気が分かったのは走り始めてからですか?
佐藤>
日大テニス部で合宿所生活をしていて、
その時に一度救急車で運ばれたことがあるんです。
山本>
それはテニス中に?
佐藤>
いや、テニスしていないときに急に呼吸困難になっちゃって、
ちょっとこれはおかしいって救急車を呼んでもらったんですけど、
その時はこの病名も分からないから
「これかもしれない」
って関係ない病名を言われただけなんです。
ウチの親父も今の病名が無いうちに亡くなっちゃってるんです。
山本>
遺伝性なんですか?
佐藤>
遺伝性なんです。
ギリシャのある島の8割の人がその病気らしいんです。
かといって年寄りがいないかというと
発作が起きないで長生きしている人もいるんです。
山本>
いつ起きるかは神のみぞ知る、という感じなんですね…
佐藤>
そう、「インシャァッラー」ですよ。
で、起きない人もいる。
僕も弟がこの病気になった時に遺伝だと聞かされて
「兄貴もいつかなるよ」
って言われていたんですけど、
しばらくならなかったんですよね。
山本>
腰の方が先にきたのです?
佐藤>
腰はひどくなったのは26歳から。
山本>
それでテニスをやめられた。
佐藤>
テニスの選手をやめて、コーチになったんです。
で、病院に行ったんです。
「これは難しい手術だ」
って言って、もう「手術をしろ」なんですね。
でも治る確率は五分五分だっていうんです。
そのために費用が100万とか200万とかすごく高いんです。
五分五分にそんな高い金かけられないなって思いました。
それで別の病院に行ったんですけど、
同じことを言われたんですね。
それでも嫌だからもう一か所大きな病院に行ったんですね。
そこでも同じことを言われたんです。
よせばいいのに4か所目に行ったんです。
そしたら「バランスのいい運動をやりなさい」
って言われたんです。
「えっ!そんなんでいいの?
じゃ、先生の言うこと聞きますから何したらいいですか?」
って聞いたら
「走ったり泳いだり自転車漕いだり…」
それってトライアスロンじゃんって(笑)
それで、「分かりました!」って。
でも、ただやれって言われてもなかなか追い込んだことは
出来ないと思ったから、バランスのいい運動をやりなさい
と言われたからすぐにホノルルマラソンに申し込んだんですよ。
そしたらがんばると思ったから。
山本>
それまで走ったことはあったんですか?
佐藤>
走ったことないです。
罰で走ったことがあるくらい(笑)
申し込んだのがホノルルマラソンの3か月前で、
それを目指してがんばったんです。
やっぱり腰がすごく痛いんですよ。
初マラソンの時も
「こんな痛い思いをするなら二度と走らない!」
って思うくらいで、
「誰かこの腰を金づちで粉々にしてくれ!」
って本気で思ったくらいなんです。
山本>
あんなみんなが楽しんでいるホノルルマラソンでひとり
「二度と走るもんか!」って(笑)
佐藤>
「がんばれー!」って言われて頭に来たんです。
「これ以上がんばらないといけないのか!」って(笑)
で、また申し込みのシーズンが来て、
「もう一回行ってみようかな」
って、なぜかなりました。
山本>
1年後にですか?
佐藤>
そう、それはなぜかというと、
走っていて腰に負担がなくなったんです。
要するに体重が軽くなったんです。
山本>
!!!痩せて体型が変わってきたんですね。
佐藤>
それまで僕は弱肥満だったんですよ。
腰が痛くてあまり動けなかったというのもあって、
脂肪がたまって体脂肪率が27%あったんです。
それが走り出して16~17%まで下がったんです。
負担が無いから今度はもっと楽に走れるだろう
って思ったんです。
前回は歩いちゃったけど今度こそ歩かないようにって。
そしたらタイムが30分~40分縮まったわけですよ。
そのまた次の年は10kmとか5kmとかハーフマラソンとか
たくさん出るようになって、
そしたらもっと体が軽くなってきたんです。
そんな感じでホノルルマラソンメインで7年間続けたんです。
タイムも年々縮まってきて最終的に3時間9分までいったんです。
でも7回目か8回目のときにタイムが
前年より1秒遅かったんです。
それが許せなくて、
「俺はこの1年間なんのために走ってきたんだ!
1秒遅れたじゃねえか!!」
ってなって。
途中でも遅れていたのが分かっていたので
最後ダッシュしたけど届かなかった。
それで、すごく頭に来て勢いで次に申し込んだのが
「チャレンジ富士五湖117km」
(山梨県で開催されているウルトラマラソンのレース)
だったんです。
何かやらないと許せない!
ってそれがウルトラマラソンの世界に入ってしまった
きっかけなんです。
山本>
そこでその1秒がマイナス1秒で記録更新していたら
またホノルルマラソンを走っていたわけですよね。
佐藤>
そうですね。
ホノルルマラソンでサブスリーとか狙っていたと思います。
それ以来、ホノルルマラソンには出てないです。
ウルトラばっかり(笑)
山本>
最初のチャレンジ富士五湖はどうだったんですか。
佐藤>
117km、どこまで行けるかなって
本当にチャレンジだったんですよ。
50km、初めてフルマラソンの距離を超えて
「まだ行ける!」って思って、
いつの間にか80kmまで行っちゃってました。
山本>
いつの間にかってすごいですね。
佐藤>
そうなんです。
意識がどこかに行っちゃって、
ただ流れ作業で走ってて、
「あれ、あと30kmくらいで終わるのかな」
って思った途端に急に体がつらくなってきた。
痛い痛い、つらい、ノド乾いたって感じで。
で、最後の7kmは登りで、みんな歩いているんですけど、
ここを歩いたら計算すると制限時間に間に合わないんですね。
だから僕は走っていたんですけど、
1人1人に「がんばれ!がんばれ!」って
声かけて行ったら何人かが僕の後ろについてきたんですよ。
で、結局ゴール出来たんですけど、
その後そのついてきた人が
「ベテランさんのおかげで初完走できました」
とか言ってくれたんです(笑)
何回も富士五湖にチャレンジして
最後の登りが克服できなくて…って
人たちから感謝の言葉を言われて。
あんな登りを淡々と走れるのはベテランにちがいないって。
僕はここまで来たら完走しなくちゃいやだ!
と思ってとにかく腕を振って足を上げていただけなんです。
そしたら走れたんですよ。
「俺、もしかしたらウルトラに向いてるかもしれない」
って思いました。
あのホノルルの1秒のおかげです(笑)
山本>
目覚めたわけですね。ウルトラの世界に。
佐藤>
目覚めちゃいましたね(笑)
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雑談は第二回に続きます。
佐藤さんが心臓病とヘルニアを抱えながらなぜ超長距離を走り続けるのか?
そのきっかけが見えてきた気がします。
次回はギリシアでのスパルタスロンについてのお話からスタートです。
乞うご期待!
<佐藤良一さんのプロフィール>
ブログ:「走り出したチャンドラ〜佐藤良一〜 http://blog-ryo.jugem.jp/
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スポーツ冒険マガジン・ド級! 編集部宛
いただいたメッセージは大切に読ませていただきます。
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