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エベレスト!世界の頂上へ 〜杉山勉の挑戦 メラピーク篇その1〜

今回から新たにスタートする不定期連載企画は、ゆくゆくはエベレスト登山を目標に掲げている水戸の事業家杉山勉さんのチャレンジエッセイです。

今回は、ネパールのメラピーク登山。二回にわたってお送りします。

 

(本文・写真:杉山勉)


■頂上を目指す

「1・2・3・4・5・・・・」

「・・・24・25・26」

「は〜っ」

足が止まる。

「ハーッ!、ハーッ!」

腰をかがめ両手を腿にあて呼吸する。

「ハーッ!、ハーッ!」

10秒ほど休みまた歩き出す。

「1・2・3・4・5・・・・」

30数えるまでは歩き続けようと思うのだが、その前にどうしても足が動かなくなる。

手が冷たい。

指先の感覚がない。

指先が固くなっている。

(血が凍ったのかな?)

ピッケルが持てない。

(メラピークが、こんなに辛いとは思わなかった・・・)

(早くカトマンズに戻りたいなあ)

(戻って風呂に入りたい。10日以上も入っていないし)

(パンツも替えたい)

(また美味しいモモ[ネパールの蒸し餃子]食べたいなあ)

そんな妄想に耽りながら、ふと我に返ると猛烈に指先が冷たい。

(これ凍傷になるかな?いやまだ大丈夫だろうな)

(なんでメラピーク来たのかな。こんな寒いところに)

帰りたいか、帰りたくないか自問する

(う〜ん、バテバテだけど、まだ歩ける。それにやっぱり頂上まで行きたい)

自分の意思を確認して安心する。
行きたいという気持ちがあるならば、まだ大丈夫。

しかし、足はもう動かない。

呼吸は余裕がある。
気持ちも折れていない。
でも、気持ちと裏腹に足が動かない。
こんな経験は登山を始めた時に登った富士山以来だ。

頂上のことは考えず、歩き続けよう。
そうすればいつかは着くはず・・・・

目の前には真っ白な頂上が見えているが、いったいどれくらい歩けば着くのは見当がつかない。

■今回の登山について

2018年3月、私はヒマラヤの標高6476mメラピーク登山でネパールにでかけました。
現地のシェルパをつけてサポートしてもらうガイド登山です。

シェルパ2名、荷物を持ってくれるポーターも2名加わり、4名のスタッフが私一人を登頂させるためにサポートする、まさに王様のような登山です。

2026年のエベレスト登頂を目指す私は、まずは6000m峰を登っておきたかったのです。

メラピークはもっとも登りやすい6000m峰ともいわれ、知人の年配グループも登頂しています。

私は4年前には標高5520mのヤラピークに登っています。
そこで今回の6000m峰になったのです。

昨年の7月にはヨーロッパアルプスの標高4800mモンブランにも登っています。
体力は必要でしたが、どちらも順調に登頂できました。

そのため(大変なこともあるだろうが、まあ登頂は楽勝だろうな)そう思っていました。
ところが今回は指の冷たさと強風、高山病に苦しめられ、ふらふらになりながらやっとの思いで登頂しました。

大変苦しんだ登山でしたが、日本に帰ってきた今、ヒマラヤはもうこりごりかというとそうではありません。
反対にまた行きたいという思いが募ります。
それだけヒマラヤの山は魅力的なのです。

そんな私の思いを、みなさんにお伝えできたらうれしく思います。

 

■ネパールとの関わり

改めて私とネパールの関わりについてお話ししたいと思います。
初めてネパールに行ったのは、2014年4月です。
先ほど書いたヤラピーク登山です。

翌年2015年4月25日ネパールではマグニチュード7.8の大地震が発生しました。
9000人以上が亡くなりました。
その時ヤラピーク登山でお世話になったランタン村が土砂で埋まり多くの村人、登山客が生き埋めになりました。
私をネパールに誘ってくれた山岳ガイドの川名さんが、ネパールにレインウェアなどを届けようと呼びかけました。
それに参加して6月にネパールにいきましたが、悪天候でヘリが飛ばず届けられませんでした。
そのため7月に再度訪問、無事届けることができました。

10月にはやはり川名さんのネパール復興支援企画でネパール観光にいき、再びランタンの人々に食料を届けました。ネパールから帰国後、毎回私はネパール地震の報告会を開催していました。

そこに参加してくれた方からネパールに連れて行って欲しいと言われ、2016年6月と10月にまたネパールにいきました。
そして今年の3月のメラピークが7回目のネパールとなったのです。
その間、毎回自分へのお土産にネパールのコーヒーを購入していたことを知った旅行会社のウダヤさんがコーヒー農園のオーナーを紹介してくれました。
そこからコーヒー輸入も始まりました。

ちなみにウダヤさんの会社は、川名さんのネパール企画をサポートしています。

古くは野口健さん、最近では三浦雄一郎さんやタレント、イモトさんのエベレスト挑戦もサポートしている実績ある会社です。私のネパール、ヒマラヤ登山では毎回お世話になっている恩人です。
日本語ペラペラで、温厚。
35歳の若さでカトマンズ西ロータリークラブの理事長も務めあげ、
大阪の大東市のロータリークラブとの提携もまとめた実力者です。

彼との出会いで私の人生は大きく変わり、ネパールとの繋がりも深まり、多くの出会いも頂けました。
ネパールではウダヤさんの豪邸にも招かれ、今では家族同様のお付き合いを頂いています。本当にウダヤさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

■メラピーク登山実現までの道のり

ところで話を最初のヒマラヤ登山である2014年に戻します。

前年の12月に雪山講習に参加し、雪山を始めました。
その時の講師である川名さんが、私をヒマラヤに導いてくれた人です。
2度目にお世話になった2014年2月に「杉山さん、ヒマラヤに行きませんか?」と誘われました。

「初心者でも登れる5000m峰です。」
そう言われて説明会に出て参加を決意しました。
GWのヤラピーク登山まで、ロープワークやアイゼン歩行など基礎的な講習を受け、ネパールに飛び立ちました。
ヤラピークは実質8日間ほどで登頂できました。
空気の薄い高所で、軽い高山病になりましたが、概ね順調に頂上に立てました。

エベレストに立ちたいという思いが私の心に芽生えました。
ちょうど登山家の栗城史多さんを応援していた時期で、彼のヒマラヤからの中継や、8000m峰の頂上からの映像をみてエベレストに登りたいと思ったのです。

(世界で一番高いところからの景色を自分の力で、目で見てみたい)
それが私の夢になりました。

(次は6000m峰登山だ!)

そう思っても実現するまでには4年の年月がかかりました。
3週間の休みが作れなかったからです。

5000m峰のヤラピークは観光を含めても2週間で済みます。
2週間も大変なのですが、その時はなんとか行けました。
ところが3週間となると、ハードルがぐんとあがります。

私はホテルとオフィスビル賃貸の会社を経営していますが、3週間の休みはなかなか取れません。
(3週間休めないと、2か月近くかかるエベレストは挑戦すらできない)
そのために休める体制づくりに取り組むことにしました。

もちろん、山のスキルや体力、資金作りも同時に始めました。
山の講習を受けることはもちろん、体力つくりのためにフルマラソンや100kmマラソンにも参加しています。
子どものころから走ることが嫌いだった私が、フルマラソンはおろか100kmマラソンも走っている現在は、自分でも不思議でなりません。

資金は会社の業績を上げて、自分の報酬を増やすことしかありません。
トレーニングや山と同時に仕事にも今まで以上に精を出して働きました。
(友人からはいつも遊んでいて、いつ働いているのか?と言われますが)
その結果、2017年は過去最高益を出すことができました。
2018年6月期も過去最高を更新するのは確実です。

あとは2026年のエベレスト挑戦まで、6000m峰、8000m峰を登って準備を
進めていくつもりです。
なぜ2026年かというと、次男が大学を卒業するのが2026年なのです。

今ではエベレストも商業登山で一般の登山者が8割とも言われます。一般ルートは登山家が命を懸けて登るルートではありませんが、なんといっても標高8000m。
酸素の濃度は地上の3分の1と言われています。
エベレストに何度も登った日本の登山家が体調を崩して亡くなったこともあります。
2015年にはネパールで大地震があり、エベレストのベースキャンプでも雪崩で日本人を含む18人が亡くなっています。ベースキャンプですら5000mを超える超高所。何が起きるかわかりません。
ですので、私も万が一も想定し、子供たちが大学を出てから行こうと決めました。
その時、私は62歳です。
62歳でも登れる体力、山の脚力を維持しておこうとトレーニングしているのです。

 

 

(その2へつづく)


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杉山勉(すぎやまつとむ)