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探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その4

人類がアフリカに誕生してユーラシア大陸〜アメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を人力のみで辿る旅「グレートジャーニー」。

そして日本列島に人が渡ってきたと言われる足跡をたどる「新グレートジャーニー」。

そんな偉大なチャレンジを成し遂げてこられた探検家・関野吉晴さん

手作りの道具でつくった手作りの船で人力でインドネシアから石垣島までの航海である「新グレートジャーニー」の海のルートの様子を描いたドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」の公開時に雑談インタビューさせていただいた新シリーズの第四回です。

(ドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」予告編)

 

最終回である今回は関野さんが探険家としての楽しみ、充実感など実践者だからこそのお話です。

 

(文:池ノ谷英郎、山本喜昭 / 写真:池ノ谷英郎)


山本>

ところでインドネシアから日本への航海を終えられて、これからはどんな計画があるんですか?

 

関野>

研究者たちとやっていることがあり、それを続けていきます。

日本人の起源はアフリカから来た騎馬民族だとかバイカル湖からやってきたとか諸説があるけど、いろんなところからやってきて混血で出来たのが日本人なわけで、たぶん4万年前には人類は日本に住んでいるんですね。

 

ということは、南の方は台湾も大陸も陸続きになったことが無いんですよね。

だから海を越えてやってきたんです。

僕らは鉄を使っちゃったんですけど、旧石器時代の道具で作れる船で渡ろうと4万年前に航海していたってのはすごいことなんです。

それを4年がかりでやっています。

 

山本>

今度は石器で船を作る、ってことですか?

 

関野>

そうですね、作るとしたら。

その中で竹筏を作るか、樹皮で作るか、あるいは葦船みたいのを作るか。

いろいろな可能性を考えています。

昔の植物と今の植物は違うので古生物学者が出てきたりいろんな研究者が出てくるんです。

 

あと、海流も今と昔は違って海面が低くて陸がいっぱい出ていたから、台湾と与那国島の間はもっと狭かったかも知れないんです。

それが終わったら僕はオセアニアに行こうと思っています。

実は一番最初に海を渡ったのはオセアニアに行った人たちなんですよ。

 

山本>

人類が、ですか?

 

関野>

中国とかヨーロッパは歩いて行けます。

オセアニアに行くには海を渡らなければいけない。5万年前に、他の地に広まる前に、オセアニアにとっとと行ってしまった。

でも、何かに乗っていて津波が来て流されて

行っちゃったって真面目に言う研究者もいます。僕は草船じゃないかと思うんですけどね。

 

山本>

草船って何ですか?

 

関野>

葦船も草船の一種です。実は僕も江戸川の河川敷で石川仁さんに指導してもらって葦船を作ったんですよ。

それを作っていつか…

 

山本>

オーストラリアまで!

 

関野>

世界最古の船で世界最初の航海をするんです。

 

山本>

すごいなぁ。

やっぱり人類の軌跡を探究されているのは、南米に行かれたことが大きく関係しているんですか?

 

関野>

もちろんです。

(南米に)行かなかったら考えなかったと思います。

日本人とアマゾンの先住民とで似ている部分があるんですよ。

何で似ているんだろう?って思いますよね。

 

山本>

こんなに距離が離れているのに、ですね。

 

関野>

そういう人類の軌跡があったのは分かっていたけど、実感として分かると「この人はいつどうやってなぜ来たんだろう?」と思って旅を始めて、俺たち日本人の祖先はどうやって来たのかというのを知りたくなったんです。

 

山本>

なるほど。

 

関野>

で、面白いのはなぜ世界に広がったのかということなんです。

最初は「あの山の向こうには何があるんだろう?」というような好奇心とか向上心が人を移動させたんだと思っていたんだけど、ところが一番遠い南米の最先端まで行った人は一番好奇心や向上心が強い人ではなく、一番弱い人だったんですよ。

 

それで気が付いたのは、弱い人が追い出された結果なんじゃないかと。

人口が集まってパンパンになったら強い既得権を持った人が残って弱い人たちが追い出されちゃうんですよ。

追い出されてフロンティアに向かい、そこに適応できないで滅んじゃった人もいっぱいいたと思うんですけど、その中でパイオニアとして新しい文化を作った人が「住めば都」に変えていくんです。

 

でもそこでもまた、人口が増えて弱いものを外に出させる、その繰り返し。

最初の方は好奇心・向上心もあったと思うし、獲物を追いかけているうちにと言うこともあったとも思うけど、時代が新しくなるほど弱い人が突き出されるということになって、それは今も続いているんです。

明治以来の移民を考えてみてください。ほとんどが農民でした。長男は残って次男・三男は土地が無いから南米に行け、ハワイ、満州に行け、とかになるんですね。日本に働きに来ている外国人もそうですよね。

働いて稼いでお金を送るとかね、そういう弱い人が来ているんです。

強い人は爆買いしたり、骨董品や土地を買って帰っていきます。

 

山本>

そういうことなんですね~。

 

関野>

でもね、弱い人は弱いままじゃないんですよ。

その典型が日本とイギリスなんです。

たぶん一番弱っちい人間がこれ以上東に行けないところまで来たのが日本人で、これ以上西に行けないところまで来たのがイギリスなんです(笑)

いいことか悪いことかは別として、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界は制圧しようとしたわけですよ。

フロンティアになってすごい文化を作って、武力・経済力で他を圧倒して自分たちを追い出した連中を制圧する、弱い人はそのままじゃないってことです。

それが人類の移動の歴史なんじゃないかと。

 

山本>

面白いですね。

 

関野>

ただ、難しいのは、こういうのは証拠が無いですよね。

彼らが何を考えて移動していたのかは分からないけど、戦乱を避けて山に逃げた人たちが結局また追い出されての繰り返し。

日本でいうと後からやって来たのが渡来人。

その前にいた縄文人たちを渡来人が北と南に追いやった結果、沖縄とアイヌの遠く離れた人たちが似ているのかもしれません。

 

山本>

それもそもそも来たタイミング、ということですもんね。

もともとはみんなアフリカからやって来たと言われるわけで。

お話を聞いているだけでも知的好奇心をくすぐられる旅なんですけど、それを実際に体感として行ってらっしゃるのもすごいと思います。

旅の途中で「やめようかな」と思ったことは無いんですか?

 

関野>

少なくとも、苦しくてとか辛くてやめようと思ったことは無いですね。

それはなぜかと言うと、自分で企画してやっているわけですから(笑)

 

山本>

そもそも、ですよね(笑)

 

関野>

そうです。辛いのは当たり前というか、もっと辛い人がいっぱいいるわけですよ。

難民なんてどこかに行こうとしてもパスポートも取れないしそこから動くこともできない。

日本人が「食えない」というのは餓死してしまうという意味じゃないじゃないですか。

でも、開発途上国や貧しい国で「食えない」というと餓死を意味しますから。

本当に辛い人はたくさんいますから、それに比べたら辛いなんて言っていられないですね。

 

大学の同級生とかから「お前はいいよな、好きなことやっていて」とか言われるんですけど、「お前もやればいいじゃん。会社辞めればいいじゃん。でも、生活は大変だよ」って(笑)。

でも、それを難民の人たちにそれを言われたら返す言葉が無いし、生きていくこと自体が大変な人に言われたら「確かにそうだな」って思いますよね。

 

山本>

確かにそうですね。

 

関野>

以前カヤックでペルーのチチカカ湖を渡っていた時にそこに学校があったのでちょっと寄ったんです。

そこにいた子供たちに「なにやってんの?」って聞かれたので「このカヤックで北に行くんだ」って言ったんです。

そしたら「お金無いの?」って(笑)

 

すぐ後ろに舗装道路が通っていて「バスに乗っていけば2時間で行くよ」って(笑)

それは自転車の旅でも同じで、ホテルに泊まるとお金がかかるから学校とか公民館とかに泊めてもらうと、子供たちとかが寄ってきて

「お金無いの?」

「何で自転車で行くの?」

「みんなでカンパするからバスで行きなよ」

とか言われちゃうんです(笑)

 

山本>

そういう時はどう説明するんですか?

 

関野>

一応ちゃんと説明はしますよ。

でも、説明してもなかなか分かってもらえない(笑)

インカ帝国の首都だったクスコという町があるんですけど、自転車でそこへ向かう途中で休憩していたら「どこに行くの?」って聞かれたので「クスコだ」って答えたら

「えっ!クスコまで行くの!?」

「その後、リマまで行くんだ」

「えっ!すごいなお前!リマまで行くのか!」

「アラスカに行ってアフリカまで」

って言うと「ふ~ん…」って(笑)

 

山本>

壮大過ぎて分からないんですね(笑)

 

関野>

「よく分からないけどなんだか大変そうだな~」って感じです(笑)

 

山本>

そこまで行くと「もういいや」って感じなんですね(笑)

最後に、関野さんがいろいろな旅をしている中で、一番楽しいと感じている瞬間ってありますか?

 

関野>

楽しい、ですか…

 

山本>

楽しいなのか、エキサイティングなのか、好きでやっておられることだと思うんですけど、その好きのレベルが特に高いものとしては?

 

関野>

質的に心地良かったり、気分が高揚するとか、達成感があったりとか。

移動していてゴールに着いた時には達成感がありますが、その旅の困難さによって達成感も違うんですよね。

 

パタゴニアの南部氷床縦断の逆ルートを風に向かいながら歩き抜いた人はいないし、あとはベーリング海峡を渡るとかね。

でも、達成感はあるけどそれで終わりなんですよ。

あとは、いろんなことに気づくっていうのがありますね。

例えば「たたら製鉄」とかをやっている時には鉄のすごさを知ることができますね。

鉄が地球のどのくらいを割合を占めているかというと、3分の1なんです。みんな知らないでしょ?

 

山本>

知らなかったです!

 

関野>

地球の真ん中の核とかはほとんどニッケルと鉄ですからね。

だからコンパスが使えるんです。

その磁力線が紫外線とか宇宙線とか人体に害があるものを防いでくれているんです。

オゾン層と一緒に。

で、我々の体にも6~7gくらい鉄があるんですけど、それは赤血球の中にあって酸素を運んでくれているんです。

たった6~7gだけど、それが無くなると僕らは1日もたないんです。

筋肉や臓器が窒息しちゃうので。

「鉄を制したものは世界を制する」って言われるんですけど、実際にそうで、世界を制する条件は経済力と軍事力ですと。

経済力の基盤は農業ですが、農具はすべて鉄ですからね。

武器も全部鉄ですから。だから鉄が発見された時は金の4倍の価値があったんです。

ぼくらは5㎏の工具を作るのに砂鉄を120㎏集めたんです。

炭を300㎏焼かないといけなかったんです。それには3tの松が必要なんです。

だから「鉄の歴史=森林伐採」の歴史です。

でも、そういうことは知識としては調べれば分かるでしょ?

それが実際手を動かして鉄を作ることで実感として分かるんですよ。

 

そういうことに気づくから、海の映画を作った時に初めて若者を砂鉄集めに誘ったんです。

自分一人で気づくのはもったいないって思ったし、それに僕は美術大学、もの作りの大学の教員ですから、11学科あるんですけど、自然界から素材を採ってきてモノ作りをする学科はひとつも無いんです。

あ、ひとつだけ、日本画は顔料も岩から採ってきて実習としてやってましたね。

木工や彫刻も木を買ってきてやっていたんです。

逆に言うと彼らはそういうのに飢えていたんです。

だから彼らに「手伝って」とは言わずに「チャンスを与えてあげるよ。自然界から物を採ってきてもの作り出来るよ」って。

そしたら喜んでやって来たんです。

 

山本>

へぇ~、そうなんですね。

 

関野>

あと、一番大変なのが人とのつながりだと思っています。

だから新しい村に行った時に村の人と心が打ち解けた瞬間は本当にうれしいですね。

 

山本>

探検家であり、実践者である関野さんの本質を探究される姿勢がすごく伝わって来ました。

今日は本当にありがとうございました。

 

 

(おわり)

 


その1はコチラ↓

探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その1

 

その2はコチラ↓

探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その2

 

その3はコチラ↓

探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その3

 

関野吉晴さんのプロフィール

探検家 関野吉晴(せきのよしはる)