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探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その3

人類がアフリカに誕生してユーラシア大陸〜アメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を人力のみで辿る旅「グレートジャーニー」。

そして日本列島に人が渡ってきたと言われる足跡をたどる「新グレートジャーニー」。

そんな偉大なチャレンジを成し遂げてこられた探検家・関野吉晴さん

手作りの道具でつくった手作りの船で人力でインドネシアから石垣島までの航海である「新グレートジャーニー」の海のルートの様子を描いたドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」の公開時に雑談インタビューさせていただいた新シリーズの第三回です。

(ドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」予告編)

 

今回は関野さんが探険家でありながら医師となられた経緯や表現者として”リアル”についてのお話です。

 

(文:池ノ谷英郎、山本喜昭 / 写真:池ノ谷英郎)


 

山本>

伝えるってこともそうですけど、そもそも好きだから行くっていうのは昔から、少年時代からそうだったんですか?

 

関野>

そうですねぇ。

昔は例えば銅とか鉄鉱石とか石油とかを発見して日本に持って帰る人とか、橋を作ったりダムを作ったりする人はカッコいいなって思っていたんだけど、石油を掘るためにものすごい量の森林を伐採する。

そうすると動物は逃げていくし森林は破壊されるし、友達になった先住民にとっては開発者は悪魔のような人たちなんです。

 

一方開発者からすると彼らは雇用にもならないから「こいつらは怠け者だ」って。

(その恩恵を受ける)我々日本人にとってはいい人かも知れないけど、先住民にとっては悪魔のような人なんです。

いろんなものを見てどんどんいろんなことが分かってくると、何が正しいのかを一面的には見られないんです。

 

その頃に医者になった人の話だと、工場で働いてケガしたり病気になった人を治療して帰すんですけど、それがだんだん嫌になってくるんだそうです。

なぜかと言うと、病気とかケガを治したら、またきつい労働に送り込むことになるから。

自分は正しいことをしているのか、もうちょっと休ませた方が良いんじゃないのか?って。

 

山本>

治すという意味では正しいんだけど、ちょっと広く見ると、これは果たして正しいのだろうか?ってことですね。

 

関野>

で、彼は医者を辞めちゃいました。

 

山本>

関野さんもお医者さんなんですよね。

一度、文科系の大学を出られてから医者を目指されたと聞いていますが、それはなぜですか?

 

関野>

最初に言ったように「泊めてください、食べさせてください、何でもします」とか図々しいこと言っても実は何にもできない、何もできない以上に森に入っていくと足手まといになる。

でも、先住民の人たちと付き合っていきたいとは思っていたんです。

 

選択肢には研究者、写真家、ジャーナリストとかいろいろあったんだけど、取材とか調査ではなく友達として付き合いたいたかったので医者を選びました。

医者になれば食べて行けるし、心とか体にも興味があったし、彼らの役にも立てるなと思って。

開業医とか勤務医になるつもりはもともとなくて、探検家になったまま医者になったって感じですね(笑)

 

山本>

それは…すごく稀な例ですよね(笑)

探検する先にいる友人たちの役に立つためですよね。

 

関野>

理由はそれだけじゃないけど、トータルで見て医者が一番いいなって思ったんです。

 

山本>

アマゾンのヤノマミ族の所にも行かれたんですよね。

NHK出版の本で読みましたけど、読んだだけで文化とか文明の違いに衝撃を受けました。

実際に行かれてみていかがでしたか?

 

関野>

僕が見たヤノマミとNHKが見たヤノマミは結構違うんですよ。

 

山本>

そうなんですか?それは興味深いです。

 

関野>

国が違うってこともあるんだけど、彼らの行ったところはブラジルなのでまた違うんです。

ヤノマミに行ったことがあるフォトジャーナリストの長倉洋海や僕と一緒に行ったヤツも、あれにはみんな怒っているんです。

怒っていると言うか「違うだろ、暗すぎる」って。

彼らはあんなに暗くない、と言うか、彼らはめちゃめちゃ明るいですからね。

 

山本>

あ、そうなんですね。

 

関野>

暗く演出しているし、暗く撮っているし、ナレーターがまた暗い。

 

山本>

だいぶ演出されていると。

 

関野>

ちょっとな…って感じですね。そういうのは結構あるんですよ。

昔、現地に16ヶ月滞在したアメリカ人の文化人類学者が本を出したんですけど、彼らがいかに獰猛か、乱暴かっていう本なんですよ。

本のタイトルも「獰猛なる人々」っていうやつで、そういう面も無くはないけどまったくそうではない、よく見ると。

本当に人懐っこいし。だからあの番組は最初から「こういうのを作りたい」って撮ったんじゃないかと思うんですよ。

まっさらで行って撮っているうちにそうなっていった、というのでは無いような気はしますね。

すごく面白いし引き込まれていくんだけど、ちょっと作り過ぎじゃないかなって(笑)

 

山本>

そうなんですね(笑)

 

関野>

それはだって映画とかもそうじゃないですか。

シベリアやアラスカにも行ったんですけど、

最初シベリアに行った時に「クジラを撮らないでくれ、見るのはいいけど」って言われたんです。

 

なぜかといったら、以前、アメリカのテレビ局が来た時に、シベリアの人はクジラを獲る時、絶滅しないように計算して獲っていて、テレビ局もその時は共感したようなことを言っていたにも関わらず、いざ撮影して帰ってみると「いまだに高等な賢いかわいいクジラを獲って食べている奴らがいる」っていう編集になっていたそうなんです。

だから編集の仕方によって如何様にもなってしまうんです。

 

山本>

関野さんが伝えようとする時に、その辺のさじ加減で大切にしている部分ってありますか?

 

関野>

まあ、いきなりカメラと同時に入っていく場面もあるんですけど、はじめは様子がわからないから自分の目で確かめて取材してからにしています。

何回も行っている土地を案内する場合が最初の頃は多かったんですけど、「だいたいこんなのが撮れるよ」というのがわかってビデオ撮影をするんです。

 

その時は「こういうことを伝えたい」というのがわかっているんですけど、初めて行く時はそうじゃないんですね。

資料を見て「たぶんこういう所なんだろうな」と思って行ったけど違う場合もある。

そういう時はそこで変えていくんです。

 

山本>

臨機応変に対応されるんですね。

 

関野>

テレビ局の若いディレクターがヒマラヤの村を取材したんですけど、村の子供たちがハイスクールに行く時、村には学校が無いので大きな村のハイスクールに行くんですね。

どこかの親戚に住まわせてもらって2~3ヶ月ごとに村に帰ってくるんです。

 

その時、彼ら(テレビ局のディレクターたち)は親子が2~3ヶ月振りに再会するので感激で抱き合うようなシーンを撮りたかったんですね。

ところが、そういうのはほとんど無くて互いに目を合わせるくらいで通り過ぎていく(笑)

 

山本>

感動のシーンは無かったんですね(笑)

 

関野>

感動のシーンは無かったんだけど、彼らは「そんなはずは無い!」って、そういうシーンを探して、村の親子がおでこを合わせて挨拶するってシーンを撮ったんですね。

彼らは「これで成功した」と言ってそれを中心に構成して「久しぶりの親子の対面」を表現したんだけど、俺はそうじゃないと思っているんですね。

親子が久しぶりに会っても目を合わせるだけで挨拶しない場面が重要なのであって、なぜ挨拶しないか、それを表現するのが大切なんです。

 

山本>

なるほど。

 

関野>

例えばイスラム圏で撮影をする時、外で女性を取材しても特に制限は無いんだけど、男性は家の中の台所に入るとストップがかかるんです。

そこで「何とか入れてくれないか」と交渉するよりも、それでいいんですよ。

 

山本>

「止められた」という事実を伝えればいいんですね。

 

関野>

「何でダメなの?」って聞けばその理由を答えてくれるので、それでいいんです。

 

山本>

ある意味、そこに真実があるわけですね。

 

関野>

男性は台所には入るものではない、ということですね。

 

山本>

確かにそうですね。

 

関野>

チベットでヤクを200頭を飼っている家族に会ったんですけど、その時は僕らが行くと伝えてあったからか家族が正装しているんですよ。

 

山本>

歓迎してくれているんですね(笑)

 

関野>

だからその時はおかしいわけですよ。これから乳絞りとか力仕事とかするのに

正装しているから(笑)

 

山本>

正装ではやりませんもんね(笑)

 

関野>

で、本当だったら「普段通りの生活でやってよ、また出直すから」って言うんだけど、でもそれは間違っているんです。

何で正装していたか、ということを聞けばいい、それが真実なんです。

 

山本>

そうですね。創る側の人間としても非常に興味深いです。

 

(その4につづく)


その1はコチラ↓

探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その1

 

その2はコチラ↓

探検家 関野吉晴のグレートジャーニー大放談 その2

 

関野吉晴さんのプロフィール

探検家 関野吉晴(せきのよしはる)