現在、冬季極北カナダの3つの湖と凍結したIce roadをつないで極地冒険の聖地レゾリュートへの自力到達を目指す4年越しの壮大な冒険の第一ステージを終了された関口裕樹さんとの遠征出発前の雑談インタビューはいよいよ最終回です。
関口さんの冒険計画概要はコチラです。
http://ameblo.jp/timl40000k/entry-12147390552.html
(文:池ノ谷英郎、山本喜昭 / 写真:関口裕樹、池ノ谷英郎)
山本>
関口さんはご自身の感覚をすごく大事にされてますね。
何か物事を決めるのも自分が決めた”ルール”じゃなくて”感覚”ですよね、きっと。
関口>
感覚ですね。
なので細かく説明はなかなか出来ないです。
これを読んでいる人にはちょっとアレですけど(笑)
山本>
ロジカルなルールありきじゃなくて感覚がルールになっているんですね。
冒険中は何も発信しないとおっしゃってましたが、日記を書いたりはしないんですか?
日記は書いてます。写真も。
山本>
しっかり記録はしているんですね。
関口>
はい。
大木さんとかにも言われたんですけど、記録を付けることは自分にとっても必要だろうなと思ってやってます。
日記書いて写真を撮って動画も録って…。
山本>
次の冒険も通信機器は何も持たずにいくのですか?
関口>
通信機器を持ちたくないのは今の気持ちとしては変わりませんね。
山本>
来年からの計画を簡単に説明してもらっていいですか。
(地図を見ながら)まずこの赤線3つがすべて湖なんですね。
上にウィニペグ湖、グレートスレーブ湖、グレートベア湖があって。
山本>
下の方もカナダですか?
関口>
はい。
ここは全部カナダで、だいたいこの辺りがアメリカとの国境です。
冬の間はこの3つの大きな湖がすべて凍るので、冬の間にこれらを踏破する。
山本>
湖は真ん中を通っていくんですか?
関口>
淵を通るか真ん中を突っ切るかは分かりませんが、縦断という形で移動します。
この湖の間に川や池があって、冬のカナダはすべて凍ってアイスロードと呼ばれる道になるんです。
湖と湖の間はこのアイスロードで繋いだり、森林地帯も冬のトレイルが出来たりしますし。
山本>
自然に道のようなものが出来るということですか?
関口>
例えば両端に村と村があればアイスロードが道路みたいになるんですけど、村が無ければ使う価値もないのでそれはただの凍った川みたいになっていたりします。
ちゃんとアイスロードが確立しているところになると地図にも載っているんです。
山本>
へぇ~。
関口>
そういう所もそうでない所も使いつつ。
ただ正直それだけで完全に繋ぐのは厳しそうなので、そういう所はハイウェーを使って通行不能な所を迂回したりします。
山本>
ハイウェーというのは車の道ということですか?
関口>
はい。
普通の陸の道です。
現場でそれらをジャッジするんですけど、何が何でもすべて川の上というガチガチに縛ったものにもしたくはないので、状況に応じて、それこそ気分次第でハイウェーに出てもいいかなと思っています。
そんな感じでこの3つの湖を縦断して、この茶色になっているツンドラ地帯を抜けて、今まで意識していた海に出るんです。
山本>
(地図を指して)ここで海に抜けるんですね。
関口>
はい。
ここは北西航路と呼ばれる昔の探検家が切り拓いたルートなんですけど、まず最初にこのクグルクトゥクというちょっと読みにくい村に行って、このクグルクトゥクからジョアヘブンまで東へ1,000kmの間にある村はケンブリッジベイという場所です。
で、ジョアヘブンに着いたら北上して北に1,000km進みます。
この1,000kmは完全無人になります。
で、レゾリュートに着いてゴールになります。
レゾリュートをゴールにしたのには理由があって、昔から植村直己さんや大場満郎さん、今は荻田泰永さんたちが北極点遠征の起点にしていたのがレゾリュートで、僕らにしてみると北極冒険・極地冒険の聖地みたいな所で、そこに自力で到達したかったんです。
山本>
面白そうですね。
湖(縦断)に関しては数年前からやりたいという意識があったんですよ。
例えばこのウィニペグ湖は僕が尊敬する田中幹也さんも通っていて、幹也さんはたしか4~5冬くらい通っていて数回トライして、まだ完全な縦断には成功されていないです。
この地図で見ると通過点ぽく見えるかも知れませんけど、幹也さんレベルの人が縦断に成功していないというとても難易度の高い所なんです。
山本>
氷の状態が大変ということですか?
関口>
気温もかなり下がるので。
ただ、数年前の僕であればひと冬かけても湖ひとつ縦断出来るか怪しい所だったと思うんですけど、この間の遠征を経て今の自分なら湖単体であれば縦断出来ると思うんですよ。
そうやって成長出来たのでこうやって断続で進むという発想に至ったんです。
山本>
何冬くらいかける予定なんですか?
関口>
今のところだと冬の期間だけと考えているので4冬ですかね。
山本>
4冬。4年。4分割するって感じですね。
関口>
はい。
ただ、これはまだまだ煮詰めないといけないなとは思っています。
さっきレゾリュートに自力到達という話をしましたけど、ホントの意味での自力というのであれば、まず日本から船で北米に渡って、一時帰国もしてはいけないんです。
それを昔の探検家は地でやっていたんですよね。
先日大木ハカセさんにも言われたのですが、その他にももうひとつアクセントというか冒険する意味が欲しいというか…。それは僕自身でもすごく感じていることでして。
山本>
最初におっしゃっていた企画というか発想の話ですね?
関口>
そうですね。
もうひとつ何か欲しいなというのがあって、先日服部文祥さんに会った時もこの話をしたんですけど、「だから何だ」という感じでした。
だから当初の計画通りに4冬かけてやるかも知れないですけど、今いろいろ考えていて、1年ぶっ通しで行くのも考えています。
山本>
季節に関係なくずっと移動し続けるということですね。
関口>
そうすることによって環境もガラリと変わるし装備も全然違ってくるじゃないですか。
山本>
そうですよね。
関口>
過去に荻田泰永さんと角幡唯介さんがレゾリュートからジョアヘブンまで凍った海を歩いてその後で夏のツンドラ地帯を歩いたんですけど、最終的には半袖で緑の原野を歩いているというのは、季節の移り変わりや装備の違いとかも面白いなと思ったので、それに近いようなことも考えています。
山本>
なるほど。
関口>
あとは冬だけにして分割するにしても4年が上限だなと考えています。
それ以上時間をかけるとただのマンネリというかダラダラしたものになってしまうので。
北極に行く前に他の国とかで普通の道を走っていて、その時に「これは時間をかければ誰でも出来るな」というのを感じたんです。
そうじゃないものを求めて北極に行ったのに、時間さえかければ誰でも出来ちゃうのはちょっと…と。
山本>
もう少し冒険のハードルを上げようということですね?
関口>
はい。
なのでもし分割するとしても4年が上限かな、とは思っています。
山本>
冒険の途中で装備を変えるのも大変ですよね?どこでどう変えるとかも。
関口>
そうですね。
1年通しで行ったら大変だと思うんですけどそれが面白いですよね。
山本>
ドMですよね、基本的に(笑)
考え方がそうですね(笑)
4年かけるということに対して自分が嫌だったのが、”4年先も生きている自分”を確定しているというか、次の年の遠征を命がけでやるとか言っておきながらも4年先のことを考えていることで、それは不純というかフェアではないと思ったんです。それがちょっと引っかかっていたんですけど、大木さんに言われて納得できたのが、「4年先も生きているんじゃないんだ。これから4年間はお前は何があっても死ねないんだ」と。
もちろん人間生きていれば何が起こるか分からないし、いつ死ぬかも分からないけど、言ってみれば普通に過ごしていれば生きていけるわけです。
でも「死ねない」というのは違う、と。
確固たる目的意識を持って4年間を過ごすのと、ダラダラと生きていくのとでは違うんだと。
「お前は4年間何が何でも死ねないんだ」と言われて、「ああ、そうか」って思えましたね。
山本>
生命力も上がりますよね、きっと。
関口>
そういう意思があると違いますよね。
山本>
いろんな考え方があって面白いですね。
関口さんは僕の中で「感覚の人」になりました。
勝手にレッテルを貼っちゃいましたけど(笑)
関口>
お任せします(笑)
山本>
ちなみにブログを書いていらっしゃるじゃないですか。
関口さんの中ではブログの位置づけはどんなものなのですか?
関口>
そうですね。
冒険メインで生きているので最低限の報告はしないと、と思ってしっかり書こうと思っています。
山本>
証としてですか。
関口>
報告であり人としての「知ってもらいたい欲」はあるのかな、とは思いますね。
山本>
それも巡り巡れば自分のためになりますもんね。
しかし、次の冒険には、もうあまり時間が無いから急ピッチで準備しないといけないですよね。
関口>
正直な所どれだけ時間があっても足りないくらいなんですよ。
これは阿部雅龍さんたちも一緒だと思うんですけど。
山本>
リサーチから何から何までご自身で、ですもんね。
関口>
はい。
最近はもう毎回遠征から帰ると報告書を作りながら次の計画書を作っているみたいな感じが続いています。
山本>
すごい職業ですね。
関口>
そうですね。
お金は稼げていないというのが実情ですけど。
山本>
お金という指標を持てばそうかもしれないけど、これが生業ですもんね。
関口>
生き方、ですかね。
山本>
ところで今、おいくつなんでしたっけ?
関口>
今28歳で、今度の夏で29歳になります。
僕は高校生の時にもう「冒険家になりたい」と冒険に憧れをもって、高校を出てからすぐにこの活動を始めたのでなんだかんだで10年になります。
山本>
ずっとやっていくと冒頭おっしゃっていたじゃないですか。
それが決定しているところが素晴らしいですね。
関口>
それが生き方、生きているということなので。
たまに最終目標とかも聞かれるんですけど、生きているということに当てはめれば何をしたら最終的に死んでもいいっていうことって無いじゃないですか。
山本>
そうですよね。
関口>
冒険も一緒で「何をしたらもう終わりにする」というのは無くて、現実的なことを考えれば歳を取ったら今やっているような先鋭的なことは出来なくなるかもしれないけど、気持ちの面ではそういうものは無いですね。
山本>
冒険が日常になっているということでしたけど、冒険から戻ってきた”日常”を”非日常”に感じたりすることは無いですか?
やっぱり良くも悪くも適応力が高くて、今はもうこっちの生活に馴染んでしまっていますね(笑)
だから北極とかにいる時に感じるんでけど、テントの中にいてストーブを付けて温かくなるとそれだけで幸せで「もう金も要らないし女性にモテなくてもいいや」って感じになれるんですよ。
その感覚で日本でも過ごしていければ幸せなんでしょうけどそうはいかないんですよね(笑)
もちろん冒険のことは常に考えています。
山本>
北極に行きたい、という欲求が常にあったりするんですか?
関口>
そうですね。
冒険の最中はつらいし、しんどいしもう二度とやらない!くらいに思うんですけど、ゴールしちゃうと次のことを考えたり終わったことを寂しく思ったりすることはありますね。
山本>
面白いですね、人間って。
関口>
僕らみたいな人種はそういうことをしないと満足を得られないみたいなところがあるかも知れませんね(笑)
山本>
満足を得られるものを見つけられているというのはすごく幸せなことですよね。
世の中、見つけられていない人がとても多いと思うんですよ。
関口>
そうですね。そうかも知れません。
山本>
最後に、関口さんにとって「生きるチカラ」とは何ですか?
関口>
やりたいことをやる、ということですかね。
山本>
やりたいことをやれているときは生きているチカラがみなぎっているということですね。
関口>
そう思います。単純にやりたいことをやっていけばいいんじゃないかなと思います。
山本>
関口さんはそれを地でやってらっしゃいますもんね。
ピュアですよね、とっても。
関口>
よく言えばね。
たぶんバカなんでしょうね(笑)
山本>
ぼくはバカ成分がもっと世の中にあった方がいいと思いますね。
自分自身も含め、もっとバカになった方がいいと思います。
今日はありがとうございました。
(おわり)
本シリーズは文中に多数の冒険家や登山家の方々のお名前が登場しますが、ご興味ある人はぜひご自身で調べてみてくださいね。
第一回目の雑談はコチラ
第二回目の雑談はコチラ
第三回目の雑談はコチラ
関口さんのプロフィールはコチラ