現在、厳冬期のカナダ人力縦断に遠征中の冒険家、関口裕樹さん。
(冬季極北カナダの3つの湖と凍結したIce roadをつないで極地冒険の聖地レゾリュートへの自力到達を目指す4年越しの壮大な冒険)
遠征出発前に関口さんと雑談した、これまでの経緯などをどどーん雑談するシリーズの二回目です。
関口さんの冒険計画概要はコチラです。
http://ameblo.jp/timl40000k/entry-12147390552.html
(文:池ノ谷英郎、山本喜昭 / 写真:関口裕樹、池ノ谷英郎)
山本>
プロセスの中でどういう体験や感覚が得られれば、関口さんの中で「冒険」になるんですか?
関口>
最近自分の周辺で「冒険論」みたいなものが交わされているんですね。
基本的には個人が好きにやればいいと思っているので「冒険論」とか言って意見を交わすのはあまりしないようにしているんですけど、個人的に思う「冒険」というのは例えば小さい子が「僕、冒険したんだ」という感覚に近いと思うんですね。
山本>
あー、なるほど。
これまで先人たち、多くの冒険家たちがやってきたことを「冒険」というのであれば、今、自分がやっていることなんてレベル的にも大したことないですし、そういう視点で見ると冒険ではないです。
すごく個人的な動機のもとで行われていることで、自分にとっての冒険というのは「厳しく雄大な自然環境を舞台にして自分の力を限界まで出し尽くせる行為」ですかね。
山本>
自然と対峙してご自身が感じることに重きを置いている、というかそのものだ、ということですね。
関口>
そうです。
たとえば阿部雅龍さんたちはそれをアウトプットするのを主にしていると思うんですけど、自分にはそういうのは無くてあくまで個人的なものと捉えているんですね。
彼らは意味を持たせてやっていると思うんですね。
雅龍さんが「夢を追うことの素晴らしさ」を伝えようとしているように。
でも、自分がやっていることに関して言えばまったく意味が無いと思っているんです。
山本>
面白い!「意味が無い」とおっしゃっているのは、社会的に意味が無いという意味ですか?
関口>
そうですね。社会的にだったり、生産性もゼロです。
山本>
なるほど(笑)
関口>
でもなんでやっているのかと言うと、自分にとっては意味が無いことだからやっているんです。
自分にとってその意味の無いことに全力をかたむけて、それこそ命を懸けることが美学なので。
その意味が無いことに命を懸けている時というのは気持ち的にはどうなんですか?
関口>
うーん、充実感、ですかね。
もちろん、みんな言うかも知れないですけど、しんどいですしつらいです。
ただ、前に言ったかも知れないですが、一般の人から見れば「つらいのになんでやっているの?」という感覚を持たれると思うんですけど、逆に捉えるとつらいからやっているし、つらいからこそ充実しているんだと思うんです。
好きなことをやって充実させようと思ったら、それはつらいものだと思うんですよね。
それも含めてというか、それがあるから充実する、という感じですかね。
山本>
興味深いところなのでもう少し聴かせてください。
行く場所や行くコース、日程などを決めるにあたって、どういう風に決定されるんですか?関口さんなりの価値基準だったりを教えてもらえます?
関口>
場所的なことで言えば、今回行った北極はトレーニング的な位置づけだったので比較的アクセスしやすい場所を選んでいます。
2年前にここに流れている川を歩いたことがあって、その時にこの村に入ったことがあるので現地の協力も得やすいんですね。
この村にエディー・グルーバンという老人がいるんですけど、彼はかつて植村直己さんの北極圏12,000㎞の冒険のサポートをしていたりして、日本人冒険家にすごく理解があるんです。
山本>
行き先はその目的に合わせて決めるんですね?「今回はトレーニングだから」とか。
関口>
今回はトレーニングなので近場ということもあります。
他の場合だとしっかりと理由があるわけではなく自然と…
山本>
感覚的な?
関口>
そうですね。感覚的に湧き上がってくることが多いかもしれませんね。
もちろんある程度事前に調査はしますが、感覚的な部分が大きいと思います。
山本>
いい意味でとっても本能的ですね。
内面的に感じることを大切にしたり、感覚で行き先を選んだり。
関口>
行く場所だったりやることを決めたりって、すごくセンスというか発想力が問われるんですよ。
山本>
なるほど。
個人的に「冒険家の才能とは何か?」と聞かれたら、それは根源的な部分では「生命力」だと思っています。
別の切り口で考えると「発想力」だとも言えます。
その「発想力」とは、どういう冒険を企画するかということですね。
例えば角幡唯介さんがやったことを他の2人目3人目がやって、角幡さんより速く行けたりもっと厳しい条件で行けたとしても、一番リスペクトすべきは北極での、その冒険を発想した角幡さんの「発想力」なんですよね。
それは最初にやった人には誰も敵わないんですよ。
後からやった人が技術的に上だったとしても。
山本>
そういう意味で「発想力」をご自身の中でも大切にしているんですね。
関口>
そうですね、大切にしたいと考えています。
過去に冬のマイナス50度の北極から次の夏に気温50度の砂漠に行って気温差100度の冒険をしたんですね。
山本>
それがワンセットだったんですね(笑)
関口>
はい。
砂漠の方で行った場所がアメリカのデスバレーという国立公園で、暑いことは暑いんですけどよく整備されていてリスクという面や難易度においてもそれほど高いというものでは無かったのですが、この冒険で自分が誇れるのはそれを発想出来たことなんですね。
(写真:2014年 自転車での真夏の砂漠デスバレー縦断 ~気温差100℃への挑戦~)
山本>
その「温度差100度」というところですね。
関口>
そうですね。そういうところを大事にしたいなと思っています。
山本>
ちょっと話が戻るんですけど、今回の北極圏400kmの冒険で得た成果はどういうものでしたか?
関口>
今回のような一般的な極地冒険のスタイルを取り入れつつ、タックの人たちの協力も得て現地の食べ物を持って行ったりカリブの毛皮を使ったりとか、そういうことも試せて面白く出来たと思っています。
山本>
面白くというのはご自身として楽しめたということですね。
関口>
何が何でもここまで行かなければならない、というのが無かったので、いろんな不確定要素がある中で試したかったこともどんどん試せたんですね。
それが絶対ここまで行かないといけないとなっていると良いのか悪いのか分からないものを積んでいくというリスクはなかなか踏めないんです。
山本>
いろいろ試す「余白」があったということですね。
関口>
そうですね。
あとさっきの話にもあったんですけど、知識として持っていたことをすべて体験することが出来たのが大きいですね。
当初の目的にしていた北極という海の上にも慣れることが出来ましたし。正直ちょっとビビっていたんですよ、海の上という場所に対して。
その辺に関しても恐れを抱くことは必要だと思うんですけど、変にビビッて腰が引けちゃうようなことがあってはいけないので、そういう恐怖は取り除くことが出来ました。
なので今回は自分の中で「良い遠征だったな」と思えました。
実は遠征の後に「良い遠征だった」と思えたことってほぼ無いんですよ。
山本>
そうなんですか!
では今回は冒険後の感覚としては割と新鮮なんですか?
関口>
そうですね。やはり今回は結果にとらわれなかったので。
山本>
これまではちょっとは(結果に)とらわれていたんですか?
これまではしっかり目標地点を定めてそこにたどり着かないといけない、というのがありましたからね。
今回はそういうのが無かったので、良い遠征になりましたね。
俺は田中幹也さん(冒険家)に一番影響を受けていて、今考えていることや冒険論は幹也さんの影響が大きいんですね。
幹也さんの言葉で
「成功したのは簡単過ぎたから、失敗したのは自分に実力が無かったから」
というのがあるんですけど、失敗したら自分の実力の無さに対する苛立ちを感じたり、成功したといっても「ハードルを下げ過ぎただけだ」とそれを素直に喜ぶことが出来ないんです。
山本>
出来ることをやっただけなんじゃないかと?
関口>
そうです。そういう感覚があったので満足感はなかなか得られなかったんです。
まあ、得られないからこそ続けているんですけどね。
山本>
満足を求めて。なんだかその境目がめっちゃ気になりますね。
僕、境目が好きなんですよ(笑)
一見1か0かみたいな見方が出来るものも、実は物事ってグラデーションがあるじゃないですか。人によっても場合によっても。
関口>
どうやったら満足を得られるか?というところですか?
山本>
このグラデーションは面白いですね。
どっちに振っても満足いかないけど、どこかの点を探っていくことで満足ポイントが今回は見つけられたってことですもんね。
関口>
そうですね。
山本>
面白い!僕だけですか?面白がっているのは(笑)
関口>
でも自分にとってもすごく新鮮な遠征だったし、先日田中幹也さんと対談した時も
「今回はちょっと吹っ切れた感があるね」
と言ってくださったんです。
あと、出発前は
「いつまで二の足を踏んでいるんだ!」
と心配してくれた大木ハカセさんも
「結果的に良い遠征になったね」
って言ってくださったり。
自分としても1シーズン使ってしまって遠回りをしたんですけど、結果的にいいものを見つけられたなって思っています。
山本>
ちょっと話が戻るんですけど、さきほど「通常の極地冒険スタイル」とおっしゃっていたんですが、それはどういうものなのかを教えていただけますか。
関口>
実は今は極地冒険のハウツー本みたいなものまで出ているんですよ。
山本>
そうなんですか!
関口>
はい。
英語版だけで世界にまだ1冊しかないんですけど、それも阿部雅龍さんに教えてもらったんです。
山本>
あの人めっちゃ詳しいですよね。マニアですね(笑)
関口>
はい(笑)
極地冒険もある程度確立されてきているんですよね。
食料は水分を含んでいないフリーズドライで高カロリーの物を摂るとか、ギアは軽量化に努めるとか。
それが今のスタイルですよね。
ただ、今回俺が持って行った生肉とかは重いんですけど(笑)
(写真:テント内、カリブーの生肉を食べる)
山本>
相当重いですよね(笑)
関口>
まず極地冒険において水分を含む食べ物を持つということ自体がちょっとおかしいんですよ。
重いですし凍りますし(笑)
そもそも生肉って現地のイヌイットの人たちが伝統的に使ってきたものなので確かにすごく有効なんですよ。
体も温まりますし。
でも彼らは昔は犬ぞりだったけど今はスノーマシンを使って引っ張っているので、生身の人間が自力でそれを引っ張って歩くなんてクレイジーなことは想定していないんです(笑)
カリブの毛皮も重いですし。今はとにかく軽量化の時代ですからね。重いってリスクはありますね。
荻田泰永さんのYouTubeの動画を見ても、ジップロックとかもその端を切り取ってちょっとでも軽量化するとかやっていますね。
それは本当に先鋭的なことをしようとしたらそれもしなければならないことなんだと思います。
山本>
そういう面で今回は余白のある遠征だったから生肉を持っていくことも出来たってことですよね。
関口>
そうです。
難易度的には大したことないと言えば大したことない(笑)
山本>
そうなんですか?(笑)
その重いカリブの毛皮とか生肉とか積んで行って「やめとけばよかった…」とか思わなかったですか?
関口>
氷が良い状態ならいいんですけど、雪が積もるとそりが沈んでめちゃめちゃ重くて、その時は思いましたね(笑)
山本>
やっぱり(笑)
関口>
日本は今、極地冒険とか先鋭的な冒険じゃなくてもUL、ウルトラライトが全盛じゃないですか。
そんな時代になんで俺は生肉なんてヘビーなものを積んでいるんだ?
とは思いましたね。
UL(ウルトラライト)ではなくUH(ウルトラヘビー)だったんです(爆笑)
山本>
それは面白い(笑)
でも、UHだからこそULの素晴らしさが実感出来るということはありますよね、きっと。
関口>
でも、クライマーの横山勝丘さんが言っていたんですけど、軽量化が本当に真価を発揮するのは、50㎏、60㎏を担げる体力があってこその軽量化であって、今はちょっとそこを見過ごしている感があるかなとは思いますね。
山本>
ご自身で、という意味ですか?
関口>
いや、全体的な風潮としてです。
山本>
世の中的に、冒険の世の中的にってことですね。
関口>
はい。
山本>
そっか、ノウハウが先行し過ぎて本来必要なものが疎かになりがちだということですね。
関口>
そうですね。
単純なことですけど絶対的な体力があってはじめてULが生きるんじゃないかと思うんです。
(その3へつづく)
本シリーズは文中に多数の冒険家や登山家の方々のお名前が登場しますが、ご興味ある人はぜひご自身で調べてみてくださいね。
第一回目の雑談はコチラ
関口さんのプロフィールはコチラ。