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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2008年 –

【2008年スパルタスロン 完走 – プロポーズ – 】 2008年9月(46歳)

スパルタスロンの説明会で僕は居眠りをしていました。昨夜ある女性がホテルにやってくるのを待っていたためでした。深夜2時、予定より大分遅れて彼女はロビーに姿を現しました。

 

2008年のスパルタスロンは9回目の出場になります。今年のスパルタはいつもとは違う目的で走ります。目標は自己ベスト更新よりも、完走すること。これは当たり前なのですが大胆にもあのスパルタの王、レオ二ダスの御前で幸せの約束をするつもりです。

実はこの世界一過酷なレースで完走したらゴールでプロポーズをします。そう簡単に幾つも欲しい物が手に入らない事は解っています。その証拠に、過去スパルタスロンでプロポーズしょうとした日本人ランナー3人は、何れもリタイアしています。

 

レオニダスの足元にはギリシャ語で『モロンレイブ』(欲しくば取りに来い)と書かれています。必ず完走出来ると言う信念を100%持ち続け、「必ずゴールするから」と彼女に誓い、スタートラインに立ったのです。

そんな僕の気持ちをよそにゴールで待つ彼女は、すでに僕が6回も完走しているのだから当り前に完走するだろうと楽しそうでした。付き合い出して間もなく、互いのことをまだよく知りませんでした。それにマラソンもまだ初心者です。でも僕には、この人だとピンときていたのです。

「当たり前じゃないぞスパルタ完走は。完走率は半分以下なんだからな。でも安心していてくれ、僕は必ず完走する。」

 

9月26日午前7時 パルテノン前を走り出しました。目指すは246.7km先のスパルタ、レオ二ダス像です。天気予報では曇りのち雨で少し不安でしたが、いつものスパルタ日和になり、すっかり晴れ渡っていました。

僕は最後尾から走り出しました。チームのサポーターをしてくれる山内千夏さんがビデオを撮りながら追いかけて来きます。そうです、彼女こそがプロポーズの相手です。

完走を約束し、少しずつ前に出ます。

「レオ二ダスで待っていろよ!」

「最後は手を繋いで走ってくれよな!」

 

ダフ二、10kmからの下り坂です。丁度、真後ろから太陽が昇っています。自分の走りが影となって映しだされ、脚が綺麗に動いていました。昔の走り方は外に広がる蟹股でした。いつも膝への負担が気になっていましたが、今の脚の動きなら大丈夫だとホッとしました。

 

エルフシナ、20kmを過ぎると遺跡が残る公園を通り抜けます。フェイディッピデス(古代ギリシャの伝令)が走った時代の、東西南北に交差し栄えていた所です。そこは毎年地元の中学生が大声援を送ってくれる楽しみな公園でしたが、今年はひっそり静まりかえり残念な気持ちになりました。

 

工業地帯を抜けるとエーゲ海に出ます。その登り口一帯には、去年の山火事跡がまだ残っていました。自然の再生にはまだ時間がかかりそうです。それでも足元には、ピンクのシクラメンが健気に咲いています。その生命力から僕たちは小さな力がもらえるのです。そして6年前に座礁したコンテナ船が、まだ手付かずのままで横たわっているのが見えてきました。
40km、おにぎりのあるエイドです。今年のおにぎりはアルデンテでした。芯が残るおにぎりを3つ頬張り走り出します。フルマラソン地点を3時間40分で通過です。女子トップを引き放しました。その後、恐ろしく大きな犬に威嚇されました。相変わらず犬は苦手です。

30℃を超える暑さに早くも疲れ果ててしまい、脱水症状を起こし、脚が攣ってしまいました。過去にスパルタでプロポーズをしようとして完走出来なかったランナーのことが頭を過ります。

「僕もなのかなぁ・・・」
千夏との出会いは、この年の4月に行われた霞が浦マラソンでした。本当は他の女性に、3時間30分のペーサー(伴走)として頼まれてエントリーしていたのですが、その人が走らないことになり、たまたまエントリーしていたチームの中では熱心で、4時間以内で走りたいという千夏に白羽の矢が当たったのです。その時は、仕事として彼女の目標を達成させるために走り、無事に3時間43分でゴールできました。それからスパルタまでの5カ月間、僕たちは毎週火水木に皇居での練習会で顔を合わせ、やがて2人で夜間走をしたり、丹沢のトレイルランニングに出かけたりするようになりました。そして今までに感じたことのない絆を感じる様になりました。

 

千夏は元スイマーでした。僕の夏休みの仕事のひとつに、中野区の小学生に遠泳の指導がありました。2週間に及ぶ千葉県岩井の指導員の宿泊所『さじむ』に千夏も来てくれました。仕事がなかった早朝と夕方に、岩井周辺を元気な指導員たちと共に走ったりしているうちに、さらに絆を深めることになったのです。8月20日、彼女の誕生日には、僕のお気に入りのネパール料理店に誘ってみました。会話の中で共通する最も尊敬する人物がマザー・テレサであったことに驚きました。これが僕の中で大きな決め手となったのです。

 

2度目のデートはスパルタに発つ直前でした。彼女もレースのサポートをするためにギリシャに来てくれることになっていました。探して行ったのが横浜関内にあるギリシャ料理店、その名が『スパルタ』でした。僕は勇気を出しました。帰りの別れ際に無理やり駅のホームに降りてもらい、伝えました。

「俺、レオ二ダスでプロポーズしたい・・・いい?」

千夏は黙って僕の手を握って応えてくれました。

 

今年のスパルタは、例年より涼しくて走りやすいと感じていました。当然予定よりペースが速くなっていたのです。正午を回り、快晴で無風状態でした。このまま行けば、コリントス80kmには予定の20分前には着いてしまいそうな速さです。

ハムストリング(太ももの裏側)の攣れは突然に起こりました。仕方なく、コリントス運河への登りは歩き通すことになってしまいました。プロポーズをする事に浮かれていたのかもしれません。脚が攣らないように飲まなければならない漢方薬を買い忘れていたし、暑い時間こそ塩分が必要なのに飲み忘れ、沢山の失敗です。結局予定通りの時間に第一関門のコリントス入りになりますが、その先がとても不安でした。

千夏がビデオを僕に向けています。両脚が攣っていて、悔し涙が浮かんでいました。

「ごめんね」

予定通りなのに思わず弱音が漏れます。

「完走は無理かも」

と思わず言葉が洩れてしまいそうでした。マッサージクリームで20分もかけてスタッフに脚を揉み解してもらい、素麺と塩をふったスイカを胃袋に治めました。

 

(第1関門 コリントス 80.8km 7:50)

ここから田舎道になります。「いよいよスパルタが始まるぞ」と言う気持ちにリセットします。9回目の道、慣れ親しんだスパルタへの道です。この246.7kmで千夏の名前をいったい何度呼ぶのだろうか、攣った脚の不安を抱えながら走り続けます。

葡萄畑を貫く農道の先にコリントス山が見えています。その麓にはコリントスの遺跡があり、少し手前で手を振りながら千夏を乗せたサポートカーが僕を抜いて行きました。気分が悪く胃液が登っていたときでしたが酷い姿を見られなくてよかった。

 

遺跡の駐車場から日本人観光客を乗せたバスが出発するところでした。道を譲ってくれる気配も無く、立ち往生させられイライラしました。

再び葡萄畑が拡がる農道に出ると、強い西日を正面からまともに受けます。日差しに立ち向かいながら次のエイドを目指すのです。

 

28エイドはちょうど100kmです。可愛い民族衣装をまとった少女たちが歌を歌ってくれます。ひとりひとりランナーの名を読み上げ、その度に歓声が上がり、少しホッとします。

 

次の29エイドでは千夏が出迎えてくれ、応援バスも着いていました。皆が僕に「おめでとう!」と言ってくれます。僕たちの噂はすでに広まっていました。嬉しいけれど、おめでとうは無事に完走してから言って欲しい。

マッサージを受け、体勢を変えると激しく足が攣ってしまいました。再び不安が頭によぎります。

 

少しずつ陽が傾いてきました。山間部に入ると、昨年の山火事の跡が一面に拡がっているのです。その焼け焦げた谷間を奥へと進みます。

コリントスで補給した塩がやっと効いてきたみたいです。脚の張りも無くなり、走りが少しずつ安定してきました。やがて暗くなりますが、ライトはネメアに預けてあるのでライト無しで真っ暗な道を進まなければなりません。

ネメアには昨年より50分近く遅れて着きました。千夏に首周りのマッサージをしてもらいながら、お粥やサプリメントを胃の中に納めました。

「安心してくれ、もう大丈夫だ」

 

(第2関門 ネメア 123.3km 20:29)

今度のネメア~リルケア間は過去9回の中で一番楽に走ることができました。ダートコースを抜け、マレンドラ二を見下ろせる峠は、昨年うんちをした場所です。まったく同じ物を食べ、同じ所を走っているのに不思議です。今年は出る気配がまったくありません。ウエストポーチには何時でも用を足せるようにウエットティッシュがあります。少しでも軽くなりたいです。

「何時でも出て来い」

 

マレンドラ二からしばらくは下りが続きます。先ずは亀井さん、次に西村くんに追いつきました。昨年は2人とも完走できませんでしたが、今年は貯金がたっぷりあるし、元気があるように見えます。満天の星空に流れ星が流れ、亀井さんと慌てて「完走・完走・完走」と3回唱えます。
リルケアの路地裏でのことです。ひとりの少年の様子がおかしいのです。酒を飲んでいるように見えます。気を付けながら少年の横を通り過ぎようとした時、脇から2人組の別の少年が大声で脅かしてきたのです。

「てめーらっ」

怒鳴りながら追いかけましたが、相手にしないほうが良さそうだと考え直し、真面目に走り出しました。

 

リルケアのエイドに西村くん、亀井さん、僕の3人が横に並びマッサージをしています。「ジャーパン、ジャーパン、ジャーパン、スリージャパン」と言いながらマッサージをしてくれるギリシャ人たち。ウエアを見て同じチームメイトだったから、さらに驚いていました。

 

(第3関門 リルケア 148.3km 23:50)

2人より先にリルケアを出て、空を見上げてみました。星空が拡がっていました。これから登る標高1200mのサンガス山に目を移すと、星空の一部のように20あまりのライトがチカチカ輝いているのが見えました。

 

カパレリ村から先は登りが続きます。昼間の暑い太陽の熱をまだ蓄えているのか、路面付近では生ぬるい空気が漂っていて、それが眠気を誘います。それに比べ、谷間から吹く風は身を切る冷たさでした。だから谷からの風に当たり、眠気を覚ますコース取りをしました。

 

46エイド。それでも眠たさと寒さで耐えられず、仮眠をとることにしました。簡易ベッドに横たわって毛布にくるまると、直ぐ深い眠りに落ちてしまいました。そして15分後に起きると寝汗をかいていました。思わずしり込みしそうな寒さを感じます。走っても一向に体が温まりません。仮眠は失敗でした。

 

サンガスベースキャンプがいつもの場所にありません。付近を捜したのですが、人の気配もありません。しようがないので後から来たランナーの後を追うと、そこにエイドがありました。どうやら競技説明会で眠っていたので、正しい場所が分からなかったようです。これで10分ほどロスしました。すでに亀井さんと西村くんが着いていました。眠たい目をこすりながら、朝2時までホテルのロビーで千夏が来るのを、首を長くしながら待っていたことが遥か昔のできごとだったようです。

 

頂上のエイドもかなり寒いです。毛布をかけてくれようとしますが、長居は無用のようです。それを断り、下山路へ急ぎました。今年の下山路は凸凹がなくなり、かなり整備されていて驚きました。足首への負担が軽く済んだことは嬉しいことです。サンガス村からは緩やかな下りが続き、いつも気持ちよく走れます。

 

午前3時、街灯にぽつんと照らされたサンガス村への入り口が見えてきました。坂の下の寂しい暗闇の中で、女性がポツンと立って応援していました。地元の物好きな女だなと応援するその声を聴き、通り過ぎようとしたところ「ハッ」と気づきました。

「えっ、千夏?」

スパルタスロン協会もおおめにみてくれるでしょう、並走は禁止でしたが、2人で天の川を見ながらネスタニまでの1kmの上り坂を、手を繋いで歩きました。決して忘れることのできないギリシャの星空でした。

 

(第4関門 ネスタニ 171.5km 4:10)

最も寒い時間帯です。お粥や素麺をたっぷり食べ、毛布の中に潜り込みました。10分後に千夏に起こしてもらいます。

「ゴールは33時間くらいかなー」

と約束をし、軽快に走り出しました。

 

誰も居ない、車も通らない暗い道でした。うんちが出る気配がしてきました。今のうちに重りを出してしまおうと、はばからず道脇にしゃがみ込みパンツを下げ、用を足しました。光が近づいてきます。こんな時に限って車が猛スピードで近づいて来るのです。急いでパンツを上げ、何ごともなかったように走り出しました。

 

暗いスパルタへの夜道は心底冷え、震えます。突然、畑の番犬に威嚇されビクビクしながらでも一歩一歩脚を前に運びます。

時折出会うランナーは睡魔に襲われフラフラと歩いています。昨年は夜霧の中を走り、あたりが神秘的だったことを、ふと思い出しました。

 

やがて星空が白み出し、テゲアの教会が遠くに望める農道を淡々と走っていると太陽が顔を出しました。制限時間ギリギリだった過去のレースでは、すでにこの辺りは陽が高く、日陰を求めながらフラフラ走っていたことを思い出します。

朝露をまとった牧草に、キラキラと朝日のあたるこの時間帯もなかなかいいと思いました。素朴なギリシャの田舎道です。

 

テゲアの街に入り、遺跡の前を過ぎてパン屋のパンを焼く匂いを嗅ぐとチェックポイントが見えてきます。昨年より90分遅い到着だったので、32時間でゴールすると予定変更するつもりです。

 

(第五関門 テゲア 195.3km 7:39)

3キロほど行くと長い登り坂があります。太陽の光が眩しくて目が開けられないほどでした。出来れば暗いうちに登りたかったのですが仕方がないです。

車にはねられたハリネズミやキツネ、山羊の遺骸が例年より多かった気がします。歯をむき出した死骸を見ても何も感じない僕の思考能力でした。暑いし、眠いし、気が遠くなり、そしてついに歩きだしてしまいました。

 

やっとの思いで63エイド206.4km地点に辿り着くと、たまらず木陰で大の字になり眠りました。涼しくて気持ちがいいです。「チャッ チャッ チャッ チャッ」一定のリズムをきざみ、近づいては遠ざかるランナーたちの足音が心地よく心に響いていました。

10分だけ眠りました。「行かなくては」と起き上がって走り出します。少し元気になり、登りでもいいペースで走りだすことができました。ちょうどそこへ千夏を乗せたタクシーが通りかかりました。

「32時間でゴールするぞー」

格好を付けて33時間からの完走短縮の約束をしました。

ゴロゴロしている所を見られなくてよかった。

 

66エイドまでが長かった。

67エイド、「おかしいな、まだかなー」

68エイド、「あれ、こんなに遠かったっけー」

そう悩みながらでも、走っていればゴールは確実に近づくのです。

 

(第六関門 ヒーローモニュメント 223.4km 11:41)

目の前に長い登り坂が見えてきました。数キロ先まで誰もいません。

3.3kmの赤い砂礫に包まれた谷間を登ると山羊の放牧場が見えてきます。その脇が69エイドです。

そこから景色が広がります。大きく右に下り、今度は左に登り詰めるとポツンとあるギリシャ地方独特な渦巻き模様のメアンドロス柄の青い傘が見えてきました。4.7km間の70エイドです。そこで久しぶりに座り込んでいたランナーひとりを抜きました。

 

バイパス工事をしている広い道から左に延びる林の中の道へと曲がり、さらに2.1km下ると樹の影に71エイドがあります。その先にランナー3人の姿が見えていました。そして捉えます。少し行くと、いよいよスパルタの街が見渡せるコーナーがあるのです。約束を果たしにここまで走って来たのです。15km先のスパルタのゴールで待つ千夏に向かって、「ち、な、つ~!」と、大声で叫びました。気がつくでしょうか?

 

ペースは上がり、何処にこんな元気が残っていたのか、さっきの3人を抜き去った後、さらに3.1kmのエイド間で4人を抜きます。

72のガソリンスタンドエイドに着くと、「この人知っているぞ、去年は速かったけど今年は遅いなぁ」みたいな事を言われてしまいました。

残り10km、こんなに短かったっけ、と思えるほど調子よく走れます。

パトカーに先導され、エピドウタス川を渡り、最後の74エイドからは白バイが先導してくれました。

 

いよいよプロポーズです。手ぶらでは格好がつかないから花束を買おうと20ユーロを持って走っていました。花屋を発見したのが午後1時です。シエスタで店は閉じられていました。「開いている花屋はないか」と白バイの男に尋ねたら、その花屋をたたき起こせと言う事でした。

 

コースから外れて花屋の窓を叩きました。奥から花屋の親父が出て来て、僕のただ事ではない様子を見てオロオロするばかりです。見本のカタログを持ってきましたが、何でもいいから早くしてほしかった。たったの5分が1時間に感じました。言葉もうまく通じないし、仕方なく諦めて店を出ると、さっき抜いたランナーたちが不思議そうに僕を眺めています。

 

マニアテスホテルの角で千夏と待ち合わせる約束でしたが見当たりません。ラストの直線を一緒にゴールのレオ二ダスまで手を繋いで走る約束をしていたのです。しっかり走れていたので予定より40分以上早く来てしまったからです。そこで僕は待つことにしました。

 

1分、2分、3分、時間が無情にも過ぎ、抜き返した連中から疑問の冷たい視線を受け続けます。白バイも「どうしたゴールに行け」と急かします。僕は交差点で「ち、な、つ~」と大声で呼ぶと白バイも、そして交通整備のおまわりさんまでも「ち、な、つ~」と一緒に叫んでくれました。それでも姿を現しませんでした。仕方なくトボトボと走り出しました。涙がこぼれそうです。

レオ二ダスが小さく見えていました。ここまで頑張ってきたのに嬉しくない、とても虚しいゴールになりそうです。

「俺の人生こんなものだよなぁ、はぁ~っ」

 

「りょ・・」

ボーッとしていた頭の中で何かが光りました。

「りょういちさーん!」

突然でした。道の反対車線から分離帯を飛び越え、千夏が飛び出してきたのです。

驚いて、安心して、さっきとは違う涙が浮かんできました。

「よかったよ、本当によかった!」

 

約束通りに2人で手をつなぎ、沿道に集った人たちからの祝福を全身いっぱいに受けながら走りました。景色が美しく輝いて見え、幸せいっぱいの最後のビクトリーランでした。ついに僕たちは晴れ舞台に駆け上ったのです。レオ二ダスの左脚にキス。31時間19分。7回目の完走でした。

 

次のランナーが近づいてきます。246.7kmを走りながらいろいろなプロポーズの言葉を捜してきたのですが何ひとつ思い出せませんでした。

時間がない、思い出せ、思い出せない。

横で待つ千夏に向かってありきたりなプロポーズを僕は伝えました。この一言を言うために必ず完走するからと約束をし、246.7kmを走ってきたのです。

心を込めました。

「一緒になってくれる?」

「もちろん!」

 

(文・写真提供:佐藤良一)


ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)