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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2007年 –

【2007年スパルタスロン 完走】 2007年9月(45歳)

2001、2002,2003,2005、2006年とスパルタを完走していました。6回目の完走を目指す今回のスパルタ挑戦は、充分経験を積んできたつもりです。今年はどの大会の記録もベストを更新し、安定していました。ある程度の予測も立てることができます。そこで今回の目標は30時間以内で走り、ベスト10で完走することと高く設定することにしました。自己ベストより一気に4時間近く短縮する計算になります。
間もなくスタートを迎えます。スタートラインに立つと、この期に及んで不安になってきました。この夏に走ってきた練習方法はどうだったのか、今の体調は、レース中の気温差は、あまりにも長い距離と時間は、補給のタイミングは、腰痛は、不安材料を挙げればきりがないのです。ここまで来たら、自分を信じて可能性のある限り走るだけです。

 

7:00 最後尾で周りのランナーと固い握手をし、それぞれが思い思いのスパルタを目指し、パルテノン神殿から走り出します。

 

(Check Point 5 エルフシナ 24.2km 9:15 予定 9:10 )

街を抜け、エーゲ海を仰ぎ見る道を登っていた時です。何だかいつもとは違う風景が拡がっていました。辺り一面が焼け野原になっていたのです。ギリシャの人たちが悲しんでいた山火事の傷跡です。放火だったらしいのですが、まだ煤の臭いが漂っていました。

 

(Check Point 17 キネタ 61.9km  12:55 予定13:00 )

参加人数は250人となり、例年より100人ほど多く選手枠を拡げたため、60キロを過ぎてもランナーの列が途切れることなく賑やかでした。僕は予定通りの走りで、ここまでは心身共に穏やかな状態でした。
(第1関門 コリントス 81.0km 14:53 予定15:00)

出迎えてくれるのは、練習仲間でサポーターもしてくれている間庭さんです。彼女のマッサージを受けながら、素麺3杯と味噌を舐め、お粥を胃袋に収めました。ここから先は覚悟が必要です。強い西日が降り注ぐ田舎道が続くからです。

コリントスを走り出したとたんに吐き気がしました。そこへ間庭サポートカーが通りかかりました。

「吐きそうだよ」と弱音を溢したら、「いつものことでしょ」と言われてしまいました。その通りなのです。

 

(Check Point 26 コリントス遺跡 93.4km  16:27 予定16:15 )

間庭さんが仲間の境くんのマッサージをしています。かなり重症の様子です。気温摂氏32度、快晴無風、すでに僕も2度吐いていました。飲み物や食べ物が、なかなか胃の中に治まってくれません。他の仲間たちは大丈夫だろうか。目標はエントリーしている練習仲間11人が完走し、その中5人が30時間切りをすることでした。最終エイドに預けてあるチームフラッグには『言いわけ無用』の文字が書かれているのです。

あまりの暑さに少しペースを落とし、砂糖畑に続く田舎道を、ベテラン川村さんと日陰を辿りながら我慢の走りをしました。

 

(Check Point 32 ハルキオン 113.7km 18:45 予定18:45)

スパルタに出場するために、この夏は毎日曜に丹沢の山の中を充分に走り回ってきたのだという強い想いがあります。陽の傾くハルキオンの上り坂を、ペースを落とさず走り切る事ができています。「有り難い」と、天を仰ぎます。そしてついに、大きな目標のひとつであるネメアには明るいうちに着くことができたのです。

 

(第2関門 ネメア 124km  19:46 予定20:00 37位 )

1時間前に、仲間の松下くんと鈴木くんがネメアを出たそうです。

「仲間が頑張っている。そして、僕もまだまだ元気だ」

素麺とお粥とサプリメントを食べる姿を、サポーターやリタイア者に覗かれています。

「速い人はよく食べるね」

今回の僕は速い。よーし、30時間以内で行ってやるぞ!

やがて暗くなりライトを点します。気になるダートロード(荒れた路)も無事通過できました。

マレンドラ二村への下り坂で、明るい月が見下ろす元でパンツを下ろし、うんち。そこへスタッフ車が通りかかり、仕方なく手を振りました。
(Check Point 39 マレンドラ二 136.0km  21:50 予定21:50 )

例年より2時間以上早かったので、まだ外では子供たちが遊びまわっていました。タベルナ(食堂)も活気があり満席でした。それを見るだけで元気がもらえます。

昨年は疲労困憊して、街を出てすぐの所で何度も嘔吐していましたが、今回はまったく吐気が起きません。

No230のイタリア人ランナーと前を争っていたら左の背中が攣ってしまいました。

「調子に乗ってはいけないです」

 

(第3関門 リルケア 148.5km 23:08  予定23:00 19位 )

松下くんがマッサージを受けていました。彼は1カ月前に100k世界大会で日本代表として走り、自己ベストを出したばかりです。疲れが出ても無理はないのです。僕も負けてはいられません。

ネスタニには3時に着ければその後が楽になるはずです。充分に補給し、先に出た松下くんを追うために立ち上がります。

次のエイドで松下くんに追い付きました。「もう走れない」と彼は言い、僕は追い抜きました。

 

(Check Point 47 サンガス登山口 160.3km 0:53  予定1:30 )

サンガス山ベースキャンプまで頑張って登って来ましたが、無理がたたり吐き気が止まらなくなりました。ついに食べたものを全部吐き出してしまいます。しばらく座り込んで頭を抱え込み落ち込んでしまいました。

「30時間以内で走りに来たのだ」

これではいけないと気合を入れてフラフラ立ち上がり、歩き出します。無気力の歩みでしたが、サンガス山頂への登りでひとり、下りで2人を抜いていました。彼らに比べたら、まだ僕はダメージが少ないのだと考えなければならないのです。

 

下りきったサンガス村は摂氏5度で、吐く息が白く漂う寒さでした。家畜の臭いが鼻を突きます。出てくるのは胃液とため息ばかりでした。サンガス登山では何度か足を捻りましたが、痛みを感じていないのが不思議です。まだ走れていたし、寒さが気にならないので預けておいたウインドブレイカーはそのままにして走り出しました。

「頑張れ! 言いわけは無用だ」

 

(第4関門 ネスタニ 172.0km  3:00 予定3:30 15位 )

30分も予定より速く着くことができました。目標の30時間が見えてきたのです。サポーターに毛布をかけてもらい、味噌を舐めながらお粥を胃に流し込みます。ここからが勝負。「必ず30時間以内に走ってみせるぞ」と気を引き締めネスタニのメインストリートを走り出します。街を外れると月はすでに西の空に傾き、星空が広がっていました。清々しい気分でした。

 

(Check Point 57 ゼブゴラシオン 186.0km 5:00 予定5:30 )

まだ暗いワイン街道、通称『犬街道』の番犬たちが怪しい人影を見つけ、懸命に吠えてきます。僕はスパルタを走るようになってから犬が苦手になっていました。ビクビクしながら犬街道を通り抜けます。これまでは強い日差しを浴びながら走っていたゼブゴラシオンでしたが、今回は3時間以上早く走れていた事が嬉しかったのです。

朝霧がたなびく中に、久しぶりに見る人影は蛇行しています。サトウキビ畑を走って以来の川村さんでした。

「佐藤さん、眠いよー」

僕も眠かった。でも眠気を飛ばすために手袋を濡らして、ずっと顔を叩いていたのです。

 

(第5関門 テゲア 195.0km  6:10 予定6:00 13位 )

まだ空は真っ暗でした。そんな中、思い切ってライトと手袋を預けて戦闘態勢に入ります。街から国道に出る所まで、町の人が車のライトで足元を照らしながら追ってくれていました。とても有り難いことだったのですが、その時お腹がグルグル鳴っていたのです。「うんち」とも言えず国道に出るまでの約15分間を我慢して走り続けていました。国道は車の往来がありましたが気にしてはいられません、道路脇で腰を下ろして用を足しました。

重い身体を起こし、先を見ると見覚えのある人影が目に入りました。仲間の鈴木くんです。  「オーッ 良一さん 寒いよ。ナマステ」

薄着のランニングシャツ姿で、寒さに震えていました。

毎年、必ず眠くて歩いていた長い登り坂を、走れている事は有難いことです。日本人ランナーを2人抜き、明るくなりだした峠に出てみると、そこに広がる景色は一面焼け野原、山火事の跡です。ここもなのかと悲しい気持ちになります。
(Check Point 62 マンセイレア 202.1km 7:00 予定7:15 )

ポカポカ暖かくなり、激しい眠気に揺さぶられてくると、やはり30時間はそう甘くはないなと落ち込み始めます。後ろから元気を取り戻した松下くんがやってきます。

「良一さん、眠そうですね」

そうだ、少し休もう。

ガードレールにもたれ目を閉じて、静かに100を数えながら深呼吸を繰り返しました。興奮しているので眠ることは出来ませんが、それでも少しずつ身体の奥から力が湧いてくるイメージをしました。目蓋を開き行き先を見ると、松下くんは1キロ以上先に姿を消すところでした。

「よし行くぞ」

 

(Check Point 65 ニコラス教会 211.7km  8:30 予定8:15 )

道端では犬や猫、ハリネズミや山羊が何度も車に潰され歯を剥いていました。すでに完全な敷物です。だから可哀想だとは思えませんでした。正気になりペースを上げます。

村人も居ない、歩くランナーも居ない、だから走れていた気がします。もし前に歩くランナーがいたら、きっと僕もつられて歩いていたに違いないのです。

 

(第6関門 ヒーローモニュメント 222.5km  9:54 予定10:00 12位 )

目標がはっきりと見えてきました。安心してペースを上げられます。女子トップのアメリカ人と、後の2013年ラダック222㎞の大会で出会うことになるポーランド人マリノフスキーを抜き、ついに10位に浮上です。楽しみなスパルタの街では、大手を振って歩く時間も残されています。スパルタの街が望める峠では嬉しさのあまり涙が浮かびました。

いつの間にパトカーが後に付いていました。

「ただいまガソリンスタンドを10番目のランナーが通過しました」

無線で交信していました。一流の扱いでいい気分です。これまでの様々な事を思い起こしながらのんびり走っていました。

「昔の駄目な自分よ、さようなら」

「僕を馬鹿にしてきた連中よ、さようなら」

ヘルニアランナーが世界を舞台にしてベスト10になれた。これからは自信を持って生きて行けそうだと思いながら。
(Check Point 73)

ここからは残り5.5kmです。白バイが先導をしてくれ、パトカーが離れました。そこに見えたのは赤いウエアでした。このままだと追いつかれてしまう、彼は速かった。全速力で逃げるしかありませんでした。

「11位では駄目だ」

彼は近付いてきます。

「絶対に抜かれたくない」

涙目になりながら必死に逃げました。

どうやらラスト500mの直線まで抜かれずに済みました。ビクトリーロードでは抜くことはないだろうと、予定通りに両手を拡げ声援に応え出しました。

そうはいきませんでした。

隣に赤いモノが見えました。

「ふざけんな!」

「ベスト10にこだわれ!」

怒りの走りでレオニダスに向け、喘ぎながら突進です。

先にレオニダスにタッチ。

「やった終わったぁー」(29時間23分 10位)

今まで見たことのないほどの抜ける青空が広がっていました。

 

全身に熱を感じました。目眩もします。ゴール前ではあれほど足の力が残っていたのに、錆付いてしまったロボットみたいにまったく身体が言うことをききませんでした。じっと立つことも無理。スタッフに支えられながらゴールセレモニーをしていました。赤シャツの日本人が終わるのを待っていました。そのまま抱えられ介護テントに導かれます。サポートしてくれた間庭さんが心配してテントに入ってきました。

「目標達成オメデトウ」

僕は、お礼を口にするつもりでした。言葉にはなりませんでした。涙がこぼれだし嗚咽しながらやっと答えたのです。

「やっちゃったよ俺」

 

間もなく身体に異変が起きました。天井がぐるぐる回り、気が遠くなります。ここで救急車に乗ってしまうと夜の完走式には出席できなくなってしまう。せっかく手に入れた好記録です。舞台に立ちたい。僕は這うようにしてホテルに戻りました。しかしホテルのロビーで動きが止まってしまいます。気持ちいい冷たい床にうずくまります。汗臭いから着替えたい。寝たいのですが動くことがまったくできません。でも、もう無理をしなくていいのです。気持ちのいい床でじっと回復するのを待ちました。1時間が過ぎ、なんとか這うようにして部屋に移動しました。

バスルームでは激しく嘔吐し、座り込んだまましばらく立ち上がることができません。酷い脱水症状です。身体を拭いてなんとかベッドに潜り込むと、今度はガタガタ震えるばかりです。丸まった体勢で2時間が過ぎていました。

「仲間を迎えなければ」

ヨタヨタ外へ出ました。陽が眩しい昼下がりです。気分が優れず座り込みます。まだレースは続いていました。路肩に腰を下ろし、幾つかのゴールシーンを見ていると、具合の悪さよりも感動の方が上回り、少し元気が出てきました。

 

僕の体重は62kgでしたが、走り終わると56kgまで落ちていました。それだけスパルタスロンは過酷なレースです。そのレースで僕は念願だった10位という好成績で完走することができたのです。チームフラッグ『言いわけ無用』の精神がなければきっと達成できなかったでしょう。

 

(文・写真提供:佐藤良一)


ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)