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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2006年 –

【2006年スパルタスロン 完走】 2006年9月(44歳)

今回はアテネまでエジプト経由で行って見ることにした。

深夜にカイロに到着し、ホテルに荷物を置いてから西くんとピラミッドに向かって走り出した。

ピラミッドのゲートまで来ると閉まっていた。ピラミッドはゲートからは見ることができたから、「仕方ない」と帰ろうとした。

 

そこへ一人の若い男がやってきた。

「入れてあげようか」

怪しさが滲み出ていたが、「俺たちには逃げ切れる足がある、いざとなったら逃げればいい」と思い、ついて行ってみることにした。

 

崩れた塀があった。そこにはラクダとロバが休んでいた。

「面白そうだ、どうやらこれに乗れるらしいぞ」

さっそく交渉をすると、一人10ドルが8ドルとなり成立する。

「正規の入り方でないぞ」

ラクダの背中に僕と西くんが跨り、さっきの青年がガイドとしてロバに乗って塀を越えた。

 

砂丘が広がっていた。塀の外にはマクドナルドとケンタッキーフライドチキンのネオンが煌々と光っている。まさに時代を越える壁だと思った。朝の5時になろうとしていた。突然、頭上からコーランが鳴り響きだした。カイロのあちこちのモスクから一斉にアザーンが始まったのだ。まるで他の惑星に来てしまった気がする。貴重な体験に満足した。

 

ピラミッドには近づいてきたが、突然、「ここまでだ」と引き返してしまう。見つかる訳にはいかないのだろう。

ラクダを降りると80ドルを請求される。想像はしていたから、8ドルずつ渡して走って逃げてきた。

スパルタ前にとんだ珍道中をしてしまった。更に、飛行機に預けた荷物が出てこなかった。スタートまでには手に入れることができたのだが。

 

スタートの朝を迎えた。朝食を済ませると、隣にいた韓国人チームからキムチの差し入れがあった。「パワー・パワー・ファイテン」と大げさなリアクションを見せた。アテネの朝は既に暑く汗をかいていた。体力を使ってはいけないと思いつつ、そのキムチを食べた。更に汗が噴出したことはいうまでもない。「キムチパワー・ファイテン」と皆で笑った。

 

スタートのアクロポリスには、一年に一度会える仲間が沢山いた。その中の一人、ロシアのアレックスは互いの言葉は解らないのに、顔を合わせると小さく微笑み合う間柄だ。

近くのランナー達と健闘を誓って握手をし、大きな溜め息を吐き、スパルタ目指して走り出した。

 

第2チェックポイント(CP)。

僕は靴の中に入ってしまった小石を取り出しているところだった。後から来た関家くんが、「2003年のスパルタで、丁度この辺りで逆走していましたよね」と言ってきた。カメラをCP1に置き忘れてしまった時のことだった。「今回はカメラを持っていないから大丈夫だよ」と説明をした。

 

エーゲ海を仰ぐ高台のあたりで「相変わらず沈没船がそのまま残っていますね」と言うのは、隣を走っている西くんだった。沈没してから既に3年立っていた。このルーズさがギリシァなのだと思う。

 

CP10、40km地点。

痛み止めを必要とする痛みではなかったが、あちらこちらが痛かった。右の乳首に張っていたテープがはがれ、血が滲んでいた。両側の靴下の踵には穴が空いており、皮膚が捲れ、やはり血が滲んでいた。「トラブルが出てくるのが速すぎなんだよ」と呆れるしかなかった。

 

CP17。

預けていた食料がなかった。栃木の柳さんも無かったらしい。二人でプンプンした。

少し走るとアギオスの街中を走るアレックスを見つけた。背中をポンと叩いた。彼はやや驚いていた。いつもなら、終盤に追いつくパターンだったからだ。

 

第一関門のコリントスでは嬉しい再会が待っていた。僕に抱き付いてくるのはギリシァ人のマキシーンだった。マキシーンは我が家に1週間滞在したことがある。

スパルタの大先輩、高知高校の空手の顧問だった中野先生。嘗ての生徒に貴子がいた。その貴子はギリシァに住み込みで、コンテンポラリーダンサーとして舞台に立っていた。昨年、見させていただいた。その身体能力の高さに驚かされた。

マキシーンは貴子の振り付けをしている。またマキシーンは脳科学者でもあり、東京で講演することがあり、貴子と共に我が家に滞在したことがあった。

するつもりの無かったマッサージを、スタッフをしてくれるマキシーンに有難くしてもらいコリントスを後にした。

 

CP29。

少し手前で、柳さんがドイツのハリーポッターに似た女に煽られていた。可愛そうだったので話しかけ、ハリーから引き離してあげた。そこへ古山さんが加わり、ワイワイガヤガヤと、サトウキビ畑の中を走った。

 

第2関門のネメアはワインで有名である。いつも、お見上げにはネメアワインを買っていた。その為ネメアはブドウの発酵した酸っぱい匂いで一杯だった。脱水気味の身体には刺激が強かった。思わず、走り出して直ぐに吐いてしまった。そこへ、アレックスが追いついてきた。互いに表情を引き締めた。

 

CP40に預けていたロングタイツがなくなっていた。

更に預けていた食料もなくなっており、テーブルの上に並べられたクッキーを口の中に放り込み、ギリシャヨーグルトに手を伸ばした。

慣れない物を食べるべきではない。中々飲み込めず、下り坂でもあったために胃の中ではスクランブル、倒れるようにして全てを吐き出してしまう。

 

暫くは胃液を吐き続けていた。腹筋がつらかった。次のエイドの食べ物を胃の中に入れ、思いっきって全てを吐き出してしまうと、その後が楽になった。胃液を出すことは体力を消耗して辛くなるばかりだ。だから一度胃の中を満たし、思いっきり吐き出すと楽になることを知った。なぜだかは解らない。

 

サンガス山の登りでライトを消し、大便をする。

そこから見た満天の星空は忘れることは出来ないほどすばらしかった。再びライトを付けると、自分の便の大きさを見て「凄い」と声を上げた。身体が軽くなったことは言うまでもない。

峠に着くとアレックスの姿があった。そして下りで追い抜いた。

 

ネスタニの第4関門では、頭を持たれている関西の西村くんの姿があった。

サンガスまでは、何とトップだったらしい。既に力尽きてしまい、これから全てを歩き通すのだと言う。時折、僕の後ろを痛々しく歩く姿を見ながら、まだまだ元気な今の自分自身に腹が立ち、「がんばれよ」と、闘志が湧いてくるのだ。

 

CP57で空が白んできた。

気温は4度、かなり冷え込んでいる。ペースを上げないと凍えてしまいそうだった。ノールウェーのイベンス達二人に追いついた。二人を追い抜いたが、見覚えのない街に入り込み、道を間違えてしまったことに気がついた。そして再び二人に追いついた。

「君は250km以上を走ることになったネ」大笑いされる。

そこからは第6関門の記念碑まで3人で走ったり、歩いたりを繰り返した。

 

第6関門のモニュメントまでやって来た。

本当はまだまだ走れる足が残っていたので、顔を叩いてイベンス等二人に別れを告げる。先に見える3kmある上り坂を走り出した。再び彼らに追いつかれる訳には行かない。

「二度目の再開はごめんだ」

 

スパルタへの下りになると、途中から自転車に乗った若くてそこそこ可愛い女性が伴走をしてくれた。なんだか照れる。次のエイドまでは、まだ大分離れていた。籠の中にはペットボトルの水が一本あるではないか。いつもなら、最後のエイドからではないと伴走が付いてくれない筈だったからありがたかった。少しでも記録を伸ばすためにエイドには寄らず、必要になったら籠の水を頂くことにした。

 

CP72から次のCP73までは下り坂だが距離が長い。

喉がカラカラになったので水が欲しいとアピールする。その反応は冷たかった。彼女は次のエイド目指して姿を消してしまったのだ。きっと冷たい水を持って引き返してくるものだと信じることにした。期待をしながら朦朧と進んだ。

「まだか」、と腹が立ってきた。

 

フラフラしながら、遂にCP73についてしまった。彼女はそこで待っていた。力が抜ける。直ぐには立ち上がれなかった。水を頭から被り、目眩が引くのを待った。

 

最後のCP74からは彼女と入れ替わり、少年達が引き継いで伴走をしてくれた。少しだけ気分良く走ってみたものの、既に脱水していた状態では、この炎天下を歩くしかなかった。幸い後ろにはランナーの姿はなく、どうやら自己ベストを更新はできそうだった。じっくり完走することを楽しむことにした。

 

いたる所からの声援に応えた。伴走する子供達は、僕の周りを自転車で蛇行して遊んでいた。車はちゃんと止まってくれる。頭から下まで、黒いギリシァ独特の衣装を着たお婆さんから黄色い菊の花を一輪手渡された。その女性の満面の笑顔が嬉しくて、疲れは何処かへ吹き飛んでしまったようだった。

 

ゴールでは、マキシーンが感極まった表情で待ってくれていた。

「やったぜ、マキシーン!」

 

完走を果たし、看護テントで横になっているとロシアのライバル、アレックスがやってきた。スタートの時と同じように、互いに微笑んだ。彼も完走したのだ。そして、また来年のパルテノンで再会しよう。「スパシーバ!」

 

(文・写真提供:佐藤良一)


ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)