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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2003年 –

【2003年スパルタスロン完走】 2003年9月(41歳)

2003年のスパルタスロンが始まろうとしている。アテネ、パルテノン神殿の膝元にはイロド・アティスコ劇場遺跡があり、朝早くから鼓笛隊が盛上げてくれていた。日本スパルタスロン協会の坂本さんが激を飛ばす。「~さん、頑張って、期待しているよ」。でも僕には、「サトウさんは、ゆっくり楽しんできてくれよ」と言う。どういう意味なのだろうか?

 

ゼッケンにはお守りが付けられていた。勝利の女神、岡部真由美さんから頂いたものだった。表には昨年女子3位になった岡部さん自身の写真が、裏面にはゴールのレオニダス像、これは僕が写したものだった。このお守りは、今回スパルタを走る9人のゼッケンで揺れていた。

 

今年も、そっけないスタートだった。誰かが落としてしまったペットボトルを、皆でコロコロと蹴飛ばしながらのスタートだった。突然の騒ぎに、今迄大人しくしていた野良犬達が興奮しだし、ランナー達に絡もうとしている。ギリシャの野良犬はシェパード犬並みの体格をし、あれにガブリとされたら大変だ。こっちに来ないでくれ、と願うばかりだ。

 

ポリスがラッシュ時の車を止めて、せかすこともなく、快く走らせてくれる。

 

来年にはアテネでオリンピックが開催される。その工事のために迂回しなければならなかった。だから今年の総距離は250kmとなるらしい。実は、来年度のアテネ五輪の公開競技として、このスパルタスロン予定されている。その参加資格は、36時間制限のスパルタを30時間以内で走ることが決まっていた。だから、多くのランナー達は30時間完走を狙っている。

 

僕の周りには、来るとき飛行機で居合わせた鈴木くん、西村くん、大滝さんが走っている。大滝さんは2000年のスパルタスロンの覇者で、鈴木くんも西村くんとは共に練習をし飲み仲間でもあった。それぞれの力は知っている。この連中と走っていては、この先がもたなくなるから後ろに下がることにした。鈴木くんとは、共にスパルタを制限時間ギリギリ初完走したとき、同じ救急車に乗り搬送されていた。その頃に比べたら、30時間以内完走を狙うなんて随分成長したものだ。

 

チェックポイント3(C3)。足を引きずる音が後ろから近づいてくる。松下くんだった。彼とは、萩の250kmの大会で長い時間共に走ることがあり、その時に話題にした事がスパルタスロンだった。彼は、まだスパルタを走ったことがなかった。僕がその時に勧めたのだった。萩以来、再び足並みを揃えることになった。彼は、このスパルタスロンを完走するために並々ならぬ練習を積んできたようだった。隣には、彼の仲間で阿蘇100kmで優勝した坂本明子さんがいた。走力は僕以上、これからのコースイメージを伝え、C10 からは先に行ってもらうことにした。僕の30時間切りの予定は、これまでよりも練習量が足りている筈だから、後半に期待をしていた。

 

C7。海岸線の車の往来が激しいところだった。風も強かったし、車にも十分気をつけなければならない。この日、車との接触事故により日本人一人が棄権していた。僕は踏み切りを渡っているときに軽い捻挫をしていたが、大事には至らなかった。しかし後に、痛みは必ず出てくるだろう。

今日は金曜日だったが学校の授業の一環なのだろう、子供達が所々で元気な応援を送ってくれていた。

次の踏み切りで遮断機が下りてしまう。電車の窓からこれからスパルタまで走る僕達に声援を送ってくれ、僕は手を振って応える。

飛ばし過ぎた韓国人ランナー4人が、フラフラ炎天下の中を歩いていた。最初はトップだったらしい。気の毒に。

 

C10。ここは、おにぎりが用意されている。既に腹ペコだった。手を伸ばすと、それに応えてくれる女性がいた。吉岡さんだ。彼女はギリシャに住み、日本人の為の通訳をしてくれていた。テニスプレイヤーでもあり、僕のことを「私の先生」と呼んでくれる。所々のエイドで先回りし「私の先生が来た」と喜んでくれていた。

 

C16 。暑さが応えてきた。風が埃を舞い上げる。ゴム付きの帽子が一陣の風により、はるか彼方へと旅立ってしまった。仕方なく走り出すが、少し進んだ所で思いとどまり、帽子を拾いに戻る。面倒だったが必要だ。

昼間の暑さに弱い白鳥さんが今にも止まりそうだった。話しかけるが、虚ろな目をして反応がなかった。僕も辛かったが、彼より元気だ。

北国、北海道からの福島さんも苦戦していた。

今年のスパルタは記録的な暑さだった。車と接触でもしたら、走らなくて済む、と愚かな考えが頭の中をよぎる。この暑さを半日耐えれば心地よくなる。

 

C18。スパルタに住むコスタスがリタイアしていた。スタートでは、コスタスが「真由美は着ていないのか」、と挨拶してきた。岡部真由美さんは背が高く、常に微笑んでいる。スパルタではアイドルだった。彼女が3位で完走した後、スパルタのゴール近くの彼の家に招待されたことがあった。その時、たまたま近くに居た亀ちゃんと僕はついて行くこととなった。その時に食べた、真っ赤な採れたてのトマトと、奥さん手造りのクッキーが最高に美味かった。「真由美は日本でお留守番だ」、と伝えた。「それではスパルタで」。

 

コースを外れ、海岸のシャワーポイントに立ち寄ってみると水浸しになっていた。きっと、その場所を教えてくれた今井さんが少し前を走っているに違いない。そして、ガソリンスタンドで店員と立ち話をしている今井さんをみつけた。それを見送ると、コリントス運河への登りを独特な揺ら揺らする走りの大森さんに追いついた。9度目の挑戦だったが、未だに完走できていない。今年も難しそうに感じた。そして大森さんは、次のコリントスでやめた。是非、10回目の挑戦で完走を決めて欲しいと思う。

 

コリントス運河を渡るとC21 がある。そこでリタイアしてしまった磯村さんに、とても熱い応援をしていただいた。これまでで一番遅いコリントス到着となってしまう。30時間以内は不可能に思えた。(C22 ,81km、15:49)

 

そこには小室栄治の姿があった。彼は僕と同じトライアスリートであり、今回で7度目の挑戦だった。これまでの最長がマレンドラニ140kmだ。しかし、今年の彼は元気だった。相当に練習を積んできたようで自信に満ちている。

 

スタッフの中川くんにマッサージをしてもらい、そうめんを食べてコリントスを後にした。いつものパターンだ。そして、いつものブドウ畑の道で食べたものを吐いてしまう。でも、ここで吐く心構えがあったから、特に気落ちすることもなく、前を見据えて走り出すことができた。コリントスでの休み方を考えなければならない。

途中で、山羊の群に道を塞がれた。去った後には、山羊達の糞で一杯だった。それを踏まないように走っていたら、ふくらはぎを吊ってしまった。

 

遺跡のあるC26では、今井さんから呑んでいたビールを半分頂いた。これで吐かないで済むのだから不思議である。そして栄治の姿があった。「行くぞ栄治」「はい~っ」、元気だ。

そろそろ暗くなってくる。これからスパルタスロンの本番が始まるのだ。今回はどんなドラマが待っているのだろうか。

小さな町にも中心に教会があり、たそがれる空に、青くライトアップされる十字架が心を落ち着かせてくれる。

 

C32 から、ライトで足元を照らしだした。

やがて、すっぱい匂いに包まれたブドウ畑の向こうに、ネメアの十字架が見えてくる。(C35 ,124km、21:38)

 

3年続けて同じような時間で、同じ雰囲気だった。やはり、いつもの様に亀ちゃんが横になっていた。そして、いつもの様に立ち上がり、「絶対に完走するぞ」とデジャブのように闇の中へと消えていった。

この頃から、踏み切りでの捻挫が気になっていた。気のせいだ、と自分に言い聞かせネメアを後にした。

 

峠に差し掛かると、先に行ったはずの亀ちゃんが後ろからやってきた。草むらで用を済ませていたのだ。そして暫く併走する。

ダートロードまでやって来た。偶然に今回、同部屋だった加納くんに追いつき、3人で走ることにした。

更に、後ろから追いついてきたドイツのハイケの集団が加わり、9人で走ったり歩いたりする。するとスタッフの車が我々の後方に付き、ライトで照らしてくれた。ありがたい。(C43 ,148km、2:32)

 

マレンドラ二に栄治の姿があった。自己最高記録行進だ。そして亀ちゃん、加納くん、栄治と僕の4人でリルケアを目指す。

リルケアから先のことだ。亀ちゃんが眠たがり、蛇行していた。加納くんは、やっと後ろから付いてきていて元気が無かった。栄治は遅れていたが元気だった。雰囲気を前向きにする為に、僕は掛け声を出した。

「エッサ、ホイサ」

「イッチニ、サンシ」

それに合わせるように加納くんが目を覚まし、ブツブツ文句を言い出した。

「なんでこんな辛いことをしてるんだろう、もうスパルタなんか来るものか」

亀ちゃんは、「おサルの籠屋だホイサッサ」と歌いだす。

栄治と僕は、「日本の皆さん、頑張りましょう」と。

日本人4人の酔っ払いみたいな呻き声がサンガスの山を駆けた。

満天の星空の元、サンガスの頂に何とか4人は辿り着いた。そこからは、それぞれがスパルタを目指す。(C52 ,172km、6:49)

 

ネスタニはまだ暗かった。少しだけ眠り、走り出そうとしたとき栄治がやって来た。

「この時間で、ここまで来られれば大丈夫、ゴールを信じて頑張れ」と伝えた。

「そうですか、ウッヒッヒ」

嬉しい、栄治が完走できそうだ。やだて空が明るくなってきた。

 

ワイン街道を歩いたり走ったり、コンビネーションランをして粘っていた。ゼブゴラシオンの手前で血便を出す。僕はスタート前に採血をしていた。オーストリアの医師でもあるランナーのマルクスから頼まれたのであった。研究の為の採決だ。薬も持たされており、定期的に呑んでいた。その薬による副作用なのか、血便には驚いた。この先でも、僕は採血をしなければならなかった。

見覚えのある後姿が見えてきた。西君だった。道を、端から端へと蛇行していた。脅かすと、気を持ち直して走り出すが、直ぐ歩き出した。

その後、彼は再び大きな眠りの走りをし、逆走をしていたそうだ。亀ちゃんが彼の顔をひっぱたいて、「ホテルまで帰るぞ」とゴールまで連れてきたそうだ。完走してホテルまで帰るのだとそれを本気で信じた西くんは、その余りにも長い道のりに疑問を持たなかったという。亀ちゃん、ご苦労様です。西くんは初完走できたのです。(C60、195km、10:00)

 

テゲアでは、楽しみにしていたスイカをたらふく食べる。よく冷えていて目がさえた。この勢いでスパルタを目指す。国道に出るとハイケのドイツ集団と前後した。彼女は僕のことを「侍」と呼ぶ。抜いたり、抜かれたりするたびに「侍」、と言いながら、一つ一つのエイドを目指した。足元にはピンクのシクラメンが咲いていた。その花を見つけながら走る。シクラメンの花は、草木が殆ど無い、乾燥し切った、絶望的に思える世界のオアシスだった。だから探すのだ。元気を出す為に。

風が全くなかった。僅かに浮かぶ雲が太陽の日差しを隠す時は、走って距離を稼ぐタイミングだった。空の雲を見上げ、それまでは歩いた。ハイケが、「オー、侍よ、私はもうだめだ」と言ったような気がした。ガードレールにしがみつき、後方でハイケが激しく吐く音が聴こえ、痛々しかった。(C68 ,222km、14:40)

 

古代処刑所記念碑の前に最後の関門がある。これまでで最も遅い到着だったが、遂にここまでやってこられた。何とか完走できそうだ。ここにも冷えたスイカがあった。生き返る。

走り出すとロシアのアレックスが追いついてきた。

「今年も遭ったな」

テントの中で休んでいたのだ。

彼とは、いつも最後にデットヒートをすることになる。

これで3度目だった。毎回、負けていたが、今年は負けたくは無かった。

そして、信じられないスピードでのデットヒートが始まってしまった。

「体中の血液が沸騰しそうだ」

意地と意地のぶつかり合いである。

それでも互いに平静を装うとした。

だから休まずに走った。

先を争うようにエイドの飲み物や食べ物をむさぼる。

 

遂に、残り9kmのガソリンスタンドまでやってきた。そこに待ち構えていたのは医師マルクスだった。ここで採血をすることになっていたのだ。アレックスはそうとは知らず、僕を引き離すかのように、休むことなく走り去ってしまった。

何と、マルクスは優勝していた。少し休んでからここへやって来たというわけだ。恐ろしいランナーだ。

「グットラック侍」

 

アレックスを追った。遠くに人影を見つけた。ガードレールにもたれている。てっきりアレックスかもしれないと喜んだが、違った。御門さんだった。彼は僕に気がつき、体制を崩しながらも抜かれないようにもがいていた。

「あっ、サトウさんか」

それを確かめると安心し、再びガードレールにしがみ付き、動きを止めてしまった。

結局、アレックスの姿を最後まで捉えることは無かった。

 

スパルタの街にやってきた。

「ブラボー」

声のするほうを探すと、遥か遠くから僕を見つけて手を振っていた。そんな声援に僕は握りこぶしを振り上げるのだ。街の人たちの視線を独占していた。

30時間は全く無理だったが、でも此処まで来られて本当に嬉かった。走り出した頃は暑さの中よく耐えた。深夜の集団で喚きあった。アレックスと死闘した。様々なことを思い浮かべながら夢心地でレオニダスに向かっていた。

そこへ松下さんと、女子1位の坂本さんが駆け寄ってきた。

「お蔭様で完走しました。ありがとうございます」

走力のある二人に生意気なアドバイスをしてしまったことが恥ずかしかった。

最後の階段を一歩で飛び上がる。

レオニダスの右足にキッスした。

終わった。

三度目の完走メダル、いつも涙が込み上げてくる。

(レオニダス、246km、17:43、57位)

 

 

帰ろうとしたが、階段でバランスを崩してしまうが、起き上がれなかった。

そのままスパルタ病院へ救急車で搬送された。

病院ではアレックスが握手を求めてきた。彼はベッドの上だった。管が鼻から通されていた。かなり重症に見えた。

「お互いに頑張ったんだな」、と僕達は抱擁しあった。

 

残念ながら、今年もスパルタでの表彰式には参加できなかった。御門さんも後から病室にやってきた。足をパンパンに腫らしていた。

打ち上げ花火が病院の窓に響いてきた。僕は点滴に繋がれながら、とても深い眠りに落ちた。

 

アテネの表彰式で亀ちゃん、西くん、加納くん、栄治の完走を知る。そして、岡部さんが配った勝利の女神なるお守りを手渡された9人が全員完走を果たしたのだ。

栄治がヨタヨタ近づいて来た。

「兄貴、これから兄貴と呼ばせてくれ、俺、完走しました。母ちゃんが電話の向こうで泣いてたよ」

栄治は泣き崩れた。彼の母親もスパルタを何度か挑戦していたが、7連敗。息子がその夢を敵えたのだ。当然、彼もお守りを手渡された一人だった。来年から岡部お守りで商売でもしようかな?

 

その後オリンピックの公開競技に選ばれかけていたスパルタスロンは、余りにも時間が掛かりすぎるし大変だと言うことで行われないことになった。でも、何時の日にか、30時間以内で走れるランナーになりたいと思う。

 

(文:佐藤良一)


ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)