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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2002年 –

【2002年スパルタスロン完走】 2002年9月(40歳)

三度目のスパルタスロンは、色々な初体験があって面白かった。

コースを外れて水浴びをした。ガソリンスタンドでは売り物のミネラルウォーターで水浴びをし、コーラまでいただいた。

100km過ぎでは気分が悪くなり、初めて嘔吐し、初めて脚が吊り、初めて痙攣した。

ネスタニ手前では、信じられないほどの特大便を出した。

解ってはいるのだが、スパルタは遠く、長かった。それに暑く、寒く、眠く、痛く、辛かった。

成田まで、弟とその子供の圭樹に見送ってもらった。アテネの入国審査で深川さんと大森さんが何処かに連れて行かれた。 スパルタを走る人は怪しいくらいに個性的な風貌なのだ。

大森さんも100kmを8時間台で走るスーパーランナーである。それでもスパルタは完走できてはいなかった。今回で8度目の挑戦、「僕はスパルタに来られるだけでいいんだ」、と言っていたが、今度こそ完走するだろう。

ぼくの方はというと、前回の初完走の時みたいな無理矢理な走りはこりごりだ。きちんと練習を積み、予定を立てて、実力で走るつもりだ。

アテネ近郊のグリファダはサンセットビーチとして有名なエリアで、そこに選手に用意されたロンドンホテルがあった。普段は二人用の部屋には4つのベットがある。参加費が無料みたいなものだから仕方がない、気心知れた4人で部屋を押さえた。 亀井さん、大塚さん、岡部真由美さんと私。

亀ちゃんは、昨年の僕と同じく初完走を果たしていた。医師である彼は、更に上の順位を目指して各チェックポイントに預ける沢山の荷物を用意してきていた。 それに比べ僕はアミノバイタルを少し持って走るだけだった。やる気が違う。

二度目の大塚さんは、まだ完走はしていない。僕と同じトライアスリートだった為、色々と話をした昨年を思い出す。

岡部さんとは2000年のスパルタを共に初出場したが、共に完走できなかった。 「このまま帰りたくないね」というやり場ない気持ちで二人で登ったリカベストの丘のエベレストレストランが懐かしい。 四万十100kmで優勝する彼女の今回の目標は初完走で女子3位狙いだ。その為に毎月1000km以上の走り込みをしてきたそうだ。気合が違う。 スタート前日に一人で夕日を眺め、「いよいよなんだなーっ」と日が落ちるのを見ている時に、後ろから「ワッ」、と岡部さんに脅かされた。

スタートのテープ前。 夢中でカメラのシャッターを「次はこっち」と言いながら切っていたら、突然のスタートに驚いて、これではいけないと慌てて走り出す始末だった。 仕方なく先頭から走り出す形となってしまう。ペースがとても速く、大きい犬に纏わり付かれてしまうが、何とか冷静にペースを落とす。

「佐藤さん、また後で合いましょう」と横を深川さん。 ぼくなどとは走力が違うから「きっと合わないよ」と、言葉を返した。 彼は、萩往還250kmを優勝するランナーである。 ぼくにとって、このスパルタスロンに出場できるだけでも凄いことだと思っている。

第一チェックポイント(CP1、5km)では、ランナーが団子状態になってコップの水に手を伸ばしていた。そこから1kmほど走るとポリスがパーパープープーやかましいラッシュ時を遮られた車達を押さえ、せかすこともなく導いてくれていた。 その姿をカメラに収めようと、カメラに手を伸ばすが無い、カメラが無い。おろおろしていると、誰かが「カメラがCP1にあるよ」と教えてくれた。そこから逆走した。皆にニコニコ手を振り替えしながら戻ると、あった。早くも最後のランナーになってしまったのだ。予定の走りどころではなくなり急げ急げとランナーを追いかけることに。 「あ~、こうやってつぶれて行くのか~」と悲しくなった。

CP4、20km。工場の煙突から流れる煙に包まれてしまい気分が悪くなった。心配している腰の調子はまあまあだった。

CP5、24km。エーゲ海の青い海と空が広がるアップダウンの道を気持ちよく走っていた。 「サトウさん、おはようございます」 とドイツのハイケさん。 「グーテンモルゲン ハイケ」と応える。 2000年、2001年、2002年と全く同じ所で追い抜かれる形となった。彼女は警察官だった。今年のさくら道250kmを走りに日本に来ていた。その時120kmのひるがの峠から、150km辺りの白川郷まで前後していた。

CP6、27km。2000年のサハラマラソンを走ったときに、深夜、力を合わせて乗り切ったことがあった石原さんが僕の後ろを追いかけてくる。昨年はペースが速すぎてコリントスでリタイアしていたが、今年はぼくを目標にしてリベンジするといっていた。あまりいい案だとは思えない。

CP7、30km。ペースが同じくらいの今井さんと、この先のネメア123kmまでの約100kmを前後することになる。 メガラの街が見えてきた。そこへコースに平行して走る電車がやって来た。運転手が警笛を鳴らしてくる。車内も僕達がこれからスパルタまで走るのかと騒ぎになっていた。

メガラの街を抜け、大きなユウカリの並木道が見えてきたらCP10 、40kmだ。このエイドには、日本人ボランティアによる塩のきいたおにぎりが用意されている。そのおにぎりを4つ手に持ちながら進んだ。石原さんの姿が見られなくなり心配する。

CP15、56km。ハイケと同じくドイツのシモーネさんを見つけた。多分、ぼくに気がある。さくら道でもそうだったが、熱い視線を送ってくる。なんだか照れくさい。 後ろから来た今井さんが「水浴びでもしようよ」、と言うことでビーチに向かう。時計を見ると14時で暑かった。ビーチのシャワーで全身を濡らしてリフレッシュ、ペースが上がる。

CP20、75km。「ここにもいい所があるよ」、と今井さんとガソリンスタンドに入っていった。店員からは冷たい1・5Lのミネラルウォーターをいただき、頭から被った。更に冷えたコーラまでいただく。目の前を大森さんが、独特なゆらゆらした走り方で通り過ぎる。

CP21のコリントス運河は、1893年に完成し、長さは6343m、高さ80m、幅が23mで、全てが人力の手作業で彫られたものだ。人って凄い。観光バスも沢山着ていた。やっとここまできた。 第一関門のコリントスである。トレーナーの中川くんに20分のマッサージをしてもらう。楽しみにしていたスイカが無かったのは残念だった。そうめんをお代わりし、前回と同じ時間にコリントスを大塚さんと出た。ここからが本番、どんなドラマが待っているのだろうと、ワクワクしながら田舎道を走っていた。 静かな、車の往来の無いオリーブやブドウ畑に囲まれていた。時間の貯金が貯まるようペースを上げようとした。すると気分が悪くなり、さっき食べたばかりのそうめんを吐き出した。何度か吐くと胃液しか出てこなくなった。そして右の内腿が吊った。初めてのことだった。

CP25、91km。「やばいよ~」、とこぼしていている所に桑原くんが着た。これも昨年と同じような所だった。彼はいつも母親を連れて来ていた。昨年は桑原親子と、トライアスリートの小室くんとでアテネの街を歩きまわったことを思い出す。みんなどの辺を走っているのだろう、すっかり落ち込んでしまい歩いていたら、白鳥さんが追いついてきた。暑さに弱いという白鳥さんは太陽が沈み、夜に強い彼が息を吹き返したのだ。それぞれの走りがあるのだと思った。

福島さんに追いついた。リタイアするつもりらしい。福島さんも白鳥さんもサハラの仲間であり、スパルタは3度目の挑戦だった。 「そんなこと言わずに行ける所まで行こうよ」 ブドウ畑を守る番犬たちが吠え掛かってくる。そんな所で堀口くんと出あった。彼のシャツは、沢山のメッセージやサインで埋め尽くされていた。エイドで止まるたびに「完走したいんですよ」、と僕に確認を求めていた。「大丈夫、大丈夫」と、いったい何度答えたことだろうか。

CP29、102km。フラフラと座り込んでしまった。そして夜間走行の準備をしながら弱音をつぶやいていたのだ。 「サトウさんなら走れる」、と言ってくれるのはリタイアしてしまった鈴木さんだった。 「だってサトウさん言ってたじゃない、吐いたり、吊ったり、痙攣してもリタイアの原因にはならないって」 そういえば、彼が初参加だった半年前にあった萩の250kmの時に言った覚えがあった。それを思い出し、涙が零れてしまった。 「鈴木さんの分まで最後まで頑張って見ます」

CP25では半分はやけくそだったが、今井さんがレストランで買ったビールを半分をいただいた。でもそれがよかったのか、最後まで吐くことはなかった。ネメアまでの登りからは今井さんとは離れ、ベテランの羽倉さんについて行った。 ブドウ畑のすっぱい匂いに包まれる夜道を進むと、2000年に同部屋で、7位になった宇都宮さんが止まっていた。リタイアするのだと言う。憧れのランナーだっただけにショックだった。 「私の分まで頑張れ」 その言葉に赤いネメアワインのように心が熱く燃え上がった。(ネメアワインはサタンの血と言われ、濃厚)

やがてライトアップされるネメアの遺跡が見えてきた。(CP35 ,124km、22:08)

亀ちゃんが毛布に包まり震えていた。脱水しているのだ。

「ちくしょう、絶対に完走してやるぞー」、と立ち上がり闇に消えた。再び中川くんに20分のマッサージをしてもらい、やはり昨年と同時刻に出発した。

CP37、130km。ダートロードがここから始まる。昨年は疲れ果てて歩き通していたが、今年は半分を走ってみた。 ミケーネの街を遠望するこの辺りには毎年怪しい人影を見かけ噂になるほどで、昨年見かけたが今年はいなかった。まもなく舗装道路に出ると急なくだりがある。マレンドラニは近い。

CP40、140km。マレンドラニは予定よりも早くつくことができた。でもこの先何が起こるかわからない、さっさと出てしまおう。スパルタでは常連でいつもニコニコパワフルな吉越美和子さんに見送っていただいた。今回はリタイアしてしまったが、トランスヨーロッパ5120kmを完走する美和子さんにこの先何度も見送っていただき光栄だった。

やがて月が昇ってきた。ライトを消しても足元が見えている。リルキアの関門は、急な坂の上にあった。(C43、148km。2:35)

ボランティアの宮下さん(ギリシャの母ちゃん)に温かいうどんを作っていただいた。約1時間の貯金で出発する。 カパレリ村で休んでいた亀ちゃんに追いついたが、流石に走りが達者で、追いつけなくなってしまった。 とぼとぼとサンガスベースキャンプへの登りを歩いていた。月明かりによって映し出される自分の影が埴輪かレオニダスに見える。

「何をやっているのだ、お前」、と影が質問をしてきた。幻聴である。

影としばらく話していた。ふっと見上げると大きな流れ星が見えた。そして亡き父のことを思い出し、「これからの、俺の頑張りを見ていてくれ」、と幻覚を振り払い、力強く走り出した。

CP47、160km、4:50。サンガスの登山口は関門である。

亀ちゃんが完全に伸びていた。 シモーネがリタイヤの報告をしてくれた。 復活してくれた福島さんと登りだした。 山頂はとても寒かった。ボランティアの女の子達に毛布を掛けてもらい、温かいスープをすすった。サンガスまで来られたことを福島さんと確かめ合った。彼がもう少しここで嬉しさをかみ締めてから行くと言うので先に下ることにした。そこに明るい流れ星がスパルタ方面に流れる。 家畜の匂いが鼻に付くサンガス村は、夜明け前の静けさの中にあった。吐く息は白く漂い、走らないと凍えてしまいそうだった。気温5℃。 空が白んできた。ネスタニの入り口が見えてきた頃、突然腸内革命が起き、道の脇で、驚くほどの特大の便を出した。横切る外国人選手たちに手を振ってみた。後から大きな集団がやって来た。堀口、西野、安田、福島、今井の5人だった。

ネスタニ(CP52、172km、6:54)では 貯金が30分になっていた。

美しい朝霧が何層も重なっている。少し前から右の足首が痺れ、力が入らなかった。立ち止まり、ストレッチを繰り返した。その間に西野さん、安田さんに抜かれてしまう。二人共初出場だ。 牧歌がどこからか聴こえていた。山羊が草を食べるのを中断し、僕を見つめている。 入江さんに追いついた。苦戦の様子だ。二人で力を合わせてテゲアまで言葉も交わさずに走った。

テゲア(CP60、197km、10:45)を超える。 5kmほど田舎道を進むとスパルタへの国道に出る。相変わらず車が猛スピードで走っていた。どのランナーも生きていることがやっとの状態だった。「ドライバーのみなさん、気をつけてください」、と念じるしかない。 長い登り坂に12人のランナーが取り付いていた。昨年などは今井さんの影を一度だけ見かけただけだったから心強かった。此処からの40kmは想像ができる。長くて辛い、そして眠い。ありがたいことに曇っていた。昨年の、ぎらぎらした太陽の元を走ったときに比べると天国だと思わなければならない。道端にはピンクの野生シクラメンが咲き、疲れきったランナーの目を楽しませてくれる。それを元気に繋げて走る。 スパルタ方面からやってくるハイスピードでやってくるドライバーは、「ブラボー、ブラボー」と叫んでくれる。 西野さん、安田さんに追いついた。誰かが走りだすと皆で走り、先頭が歩き出すと皆は歩いた。

CP64、209km。遂に右足首が吊ってしまう。みるみる二人の姿が小さくなる。 後ろから福島さんが追いついてきた。置いていかれないように痛みを堪えて付いてゆく。今度は彼がペースを落とす。調子が出たり出なかったり、抜いたり抜かれたり、だった。エイドで脚を止めるたびに脚が吊った。困った。

広い谷を回りこむと死刑所のモニュメントが見えてくる。そこが最後の関門だ。 (CP68、227km、14:23)

いよいよ最後のしんどい4kmの登りである。安田さんがふらふら歩いていた。「安田さん、もう完走間違いなしですね1時間の貯金ですよ」、と言うと息を吹き返したように走り出し、消えていってしまった。 エイドでは立ち止まる度に脚が吊ってしまうが、走り出せばどんどん抜いていけた。 峠に立ち、スパルタを一望できた。ため息が零れる。 最後のエイドからは少年達が自転車で伴走してくれるはずだった。人手が足りなくなっているようだ。15分待ってみたが来なかった。その間に、5人の外国人ランナーに先を行かれてしまっていた。「まっいいか」 冷たいボトルの水をゆっくり飲み干した。なかなか来ないから、ストレッチをしながら歩き出す。暫くすると、自転車に乗った子供達に囲まれた。 「ブラボー」 四方八方の建物からの声援と祝福と歓迎に対し、ガッツポーズで応えた。嬉しくて、にんまりした顔を戻すことはできなくなってしまった。後ろから3人が近づいてきたので慌てて走り出す。

マニアテスホテルを右折するとレオニダスへのビクトリーロードだ。その角で、ギリシャの母ちゃん宮下さんがカメラを僕に向けながら必死に何かを言っていた。

「すごいよ、ほんとうに凄い、よーくやった、ほんとうによくやった」、と泣きじゃくりながらカメラのシャッターを切っていた。

「ありがとう」というとぼくも、もらい泣きをしてしまい、そのまま涙を拭いながらのラストランとなった。

階段を上がるとレオニダスが見下ろしていた。その足にキス。完走できた。終わったのだ。 振り返る。どうしようもないくらいの緩んだ顔になってるのが手に取るようにわかる。そして深々と頭をたれ、何も彼もに対して感謝した。

「ヨッシャー」とずっと被ってきた帽子を投げ捨てた。 オリーブ冠を聖女に被せてもらい、聖杯の水に口をつけた。そして、ズシッと重い完走メダルがこの手に渡されたのだ。

「これが欲しくて一年間頑張ったんだよなぁ」、感無量だった。

今度は病院ではなく、ホテルに戻り、乾杯した。

翌日、スパルタからアテネに向けてバスが走る。懐かしい、僕らが辿った道だった。

迎賓館ザピオンで表彰式が行われた。目的を達成できたら岡部さんとはギリシャの民族衣装で式に出ようと約束してアテネで購入していた。彼女は3位。1年の間、毎日欠かさず走っていたそうだ。心から染み出るような涙が零れていた。そして、同部屋の亀ちゃん、大塚さん、岡部さん、私、4人全員が完走できたことが何より嬉しいことだった。 帰りの夕方、一人でサンセットを眺めていた。大塚さんはアテネへ、亀ちゃんと岡部さんは関西へと飛び立っていた。でも後ろから皆が「わっ」と脅かすのではないかと期待をするのだった。

「終わったんだなぁ、そして始まるんだなぁ」

2002年スパルタスロン 参加者235人

完走者89人

佐藤良一 61位、34:52

 

(文:佐藤良一)


ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)