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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2001年 –

【2001年初完走】 2001年9月(39歳)

昨年スパルタをリタイアしてから、毎日欠かさず「今度のスパルタは必ず完走してみせる」と 誰かに言い続けることにしました。

無理なことを達成させるには、気持ちだけでも途切れずに追い込まなければならないと思ったからです。腰痛が酷く、走力にも大きな不安を抱える私にはそれが必要でした。 今年は中野友喜さんの『四万十ウルトラからスパルタまで』の練習内容を充分理解し、ほぼ出来たつもりです。昨年の8月の月間走行距離は250kmでしたが、今年は毎月350kmを超えることができました。

僕は母に一言決意を言い残し日本を発ちました。「足がもげてでも必ず完走してくるから」

9月27日。朝7時、今年も気の抜ける突然のスタートでした。幸い気温は昨年と比べると涼しく感じられ、あの暑さを思い出すと気が楽です。今回はお笑いタレントの間 寛平さんも走りに来ていました。フジテレビのスタッフも同行しています。寛平さんは5回スパルタを走り、2回完走していました。50km地点で寛平さんに追いつき、少し話をさせてもらうことができました。走り出した理由を窺がうと「神様のお告げ」と言っていましたが、ネタではなく本当の様です。「暑いわー、ゴツイ道が硬くて足に響くわー」と寛平さんは苦戦の様子でした。

コリントス運河で写真を撮っている亀井さんに追いつきました。三度目の挑戦です。「くっそー、絶対完走するぞ!」とおっしゃっていて今年こそは完走するぞ、という熱い気持ちが伝わってきました。

 

(第一関門 コリントス81km 15時45分)

コリントスには昨年より35分速く着くことができました。マッサージをしてもらいながら、素麺5杯とスイカ4分の1を食べました。少し長居をしすぎた様です。体が固まり、なかなか走り出せませんでした。 その後、葡萄畑の農道で野良犬に追い立てられ、さっき食べた素麺とスイカを全て吐き出してしまいました。これがきっかけとなり、僕は犬が苦手になりました。今度は羊の群れに道を阻まれました。去った後には糞が道いっぱいに拡がり、靴底には糞がこびり付いていました。

そうして昨年の暗くなりだした見覚えのある山間部まで来ました。その時よりも1時間ほどペースが速いので、手にしたライトの出番は少し先でした。昨年コースアウトした懐かしい道があり、その脇でマーキングの放水をしました。あの時の疲労に比べると、時間も体力もゆとりができていました。

 

(第二関門 ネメア124km 22時08分)

大きなライトアップされたネメア遺跡の石柱がぼんやりと聳えています。僕のスパタスロンはここから始まるのです。関門時間まで52分ありました。サポーターや、リタイアした人達がマッサージしてくれました。うどん2杯とスイカを食べました。昨年リタイアして落ち込んでいた時とは違って、全てが生き生きして見えていました。そこに教会があったこともまったく気が付かなかったほどです。残念ながら毛布をかけてくれた天使には今年は会えませんでした。

走り出して直ぐに時計の液晶が消えてしまいました。色んなことが起きます。 1時間も走ると荒れた道に出ました。捻挫をしたくないから歩き続けました。後から歩いてきた三人の長身デンマークチームについて行きたいのですが、悲しいですが足の長さが違い、どうしても僕は小走りになってしまうのです。

「ずるいぞお前達」

 

(第三関門 リルケア148.5km 2時35分)

たった24.5kmに4時間以上を要してしまいました。ここでリタイアした方から時計を借りることができました。この先からはサンガス山を登ることになります。マットに身体を沈めマッサージをしてもらいました。日本のサポーター達が心配そうに僕を見つめています。次、皆に会えるのはサンガスを越えた向こう側のネスタニ172kmです。その頃には朝を迎えているでしょう。

「必ず向こうで会いましょう」

カパレリ村を抜け、サンガス登山口に向けて高度を稼ぎます。制限時間が迫る中、15のライトが遥か上で動いていました。僕の下ではライトが二つ見えているだけです。遥かスパルタを目指す逞しい小さい光の点です。山道に入ると少しは本領が発揮でき、一つずつ前のライトを捉えて行きます。やがて頭上から大勢の声が聴こえてきました。

 

(第四関門 161.6km 5時35分 標高1120m)

サンガスの頂です。峠のエイドは吐く息が白く漂うほどの寒さでした。毛布をかけてもらい、暖かい野菜スープを飲んで一息つきました。そこには亀井さん、森さん、坂口くんの姿がありました。満天の星空が拡がっていました。スパルタの方に大きな流れ星が空を横切るのを見ました。

「それじゃスパルタで」

4人は検討を誓い合い、それぞれ下り出しました。僕は山慣れしているから、皆よりも先に麓まで辿り着きました。そしてネスタニ目指して軽快に走り出しました。暫くすると背後から、坂口くんを先頭とする集団がただならぬ勢いで近づいてきました。

「7時の関門に間に合いませんよ、急いで」

まさかとは思いましたが必死について行きます。更に先行していたフランス人やハンガリー人も巻き込み、ネスタニを目指し、競走馬みたいに必死で走り続けました。 ネスタニに着いた時には4分のタイムオーバーでした。ところが坂口くんの勘違いで、関門は7時30分でした。脚にダメージが残ってしまいましたが、時間にはゆとりができたのは有難いです。

 

(第五関門 ネスタニ 175km 7時4分)

朝霧に包まれていました。さっきの追い込みの無理が祟って左足のふくらはぎが肉離れを起こしてしまったようです。サポートの方にテーピングで固定してもらいました。その間に皆は先に行ってしまい、僕がラストランナーとなってしまいました。 歩き出し、少しずつ走りにつなげます。ふくらはぎがあまりにも痛く、眠気は起こりませんでした。ふくらはぎがテーピングを押し広げようとパンパンに膨れ、出血していました。たった一人でギリシァの田舎道で痛みに耐え、ぼやきながら一歩一歩走っていたのです。羊や牧童が首を持ち上げ、不思議そうに僕を目で追っていました。日差しが強くなり、体も心も折れそうでした。木陰から出るときは、ついため息が零れてしまいます。

 

(第六関門 テゲア 第5関門195km 10時45分)

関門時間までは15分しか残されてはいませんでした。素麺を2杯口にしながらテーピングを剥がしてもらいました。赤い風船のように膨れたふくらはぎが露になりました。トレーナーは走るのは無理だと言います。

「足がもげてでも完走してくる」

僕の行く決心は固いです。ここで森さんがリタイアしたのは残念でした。 容赦のない太陽の攻撃に潰されそうでした。腫れたふくらはぎの痛みは気を失いそうでした。脛毛にそよ風が当たっただけでもヒリヒリ痛みが全身を駆け巡り、気が狂いそうでした。 ラストランナーの僕に用意されていたエイド(補給所)テーブルの上にはどこも水とコーラの入った紙コップが二つ並んでいるだけでした。他にも色々な食べ物や飲み物が用意されているはずでしたが、それでもありがたく頂きます。64エイドが昨年リタイアバスが収容の為に止まったところだと気づきました。僕が走り出すよりも早く片付けが始まり、次のエイドに向け運搬トラックが走ってしまいました。スタッフの車が度々リタイアを促してきます。無理に見えるのでしょうね。でも関門には引っかかってはいませんでした。遠くまで見渡せる所で一度だけランナーの後姿が見えた時は嬉しくて涙が浮かんでしまいました。 子供の頃のいじめに耐えてきました。腰痛の痛みにも耐えてきました。今こうして肉離れに耐えている。今度の耐えの向こうには、世界で最も過酷なレースの完走という名誉が待っているのです。今回だけは足がもげるまで走らせてもらいます。過去にも、これから死ぬまでの間これ以上の苦しみは今しかない、そう思うとまた少し走り出せるのでした。ここで諦めたらどれだけ後悔するのだろう、走りきれたらどれだけ自信がつくのだろう、足や内臓には申し訳ないけれど、気持ちだけで無理矢理走り続けました。そこに、リタイアバスと日本のサポートバスが通り過ぎました。僕に気づき、バスの窓をバンバン叩いています。

「信じられないだろうけど、俺、完走するよ」

残り25kmです。スパルタの町が見渡せる峠に一人のランナーを発見しました。昨年も完走していたラガーマンの山下さんでした。ガードレールにもたれながら必死に歩いていました。疲労で互い声も掛けられない状態でしたが、僕の方がまだ元気なようです。長い坂を下ると家が増えてきました。スパルタの街に入ったようです。テラスから、店先から、何処からか解らないところからも「ブラボー」と祝福の声や拍手が降ってきます。ヒーローの凱旋です。 最後のエイドには鈴木くんと関根さんの二人の日本人がいました。どうやらラストランナーの駆け引きをしている様子です。僕はそれどころではないから先に行かせてもらいました。 最後の、本当に最後のレオ二ダス王の像に向かう道を折れると、遠くにレオ二ダスが見えました。

「遂に来たぞ」

僕は叫びました。オリーブの小枝を持った少女が伴走してくれていました。人垣からは日本人が私の名前を叫んでくれていました。それが誰かは零れる涙で分かりませんでした。吸い込まれるようにレオニダスの足元に手で触れると祝いの声が再び飛び交いました。

「おめでとう」「かっこいいぞ」「よくやった」

俺、走っちゃったよ。走れちゃったよ。

現在と過去、これまでのこと全てに感謝しました。 やはり脚と内臓のダメージは大きいです。暫くは食べる物、飲むもの全てが不味く感じ身体が受け付けてくれませんでした。ふくらはぎは、皆が「記念写真を撮らせてほしい」といわれるほど真っ赤に大きく腫れ、まるでふくらはぎが妊娠したかの有様でした。でも、この痛みは今だけです。来年に向けて走り出してしまえば近いうちに忘れてしまうでしょう。来年は無理矢理ではなく、もっと走り込んで、実力で完走したいと思いました。

 

 

(2002年につづく)

(文・写真・データ提供:佐藤良一)


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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2000年 –

 

 

佐藤良一プロフィール

ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)