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ウルトラランナー佐藤良一のスパルタスロン全記録 – 2000年 –

ドキュウ!では雑談インタビューやfacebookページ特派員でもおなじみのウルトラランナー佐藤良一さん。

ヘルニアと心臓病を煩いながらも挑戦し続ける超長距離ランニング。

佐藤さんをそこまでさせるものはどこにあるのだろうか。

 

新しくはじまるこの連載は佐藤さんの今から17年前の2000年からのギリシアで開催されるスパルタスロン(※)の全記録である。

 

(※)スパルタスロンとは、アテネからスパルタまでの246kmを36時間以内に走らねばならない。海抜0〜1200m、舗装路、トレイルなどの山岳コースをおりまぜたコースは気温が5〜40度で乾燥しており、関門も厳しいなど世界最高峰ともいわれるウルトラマラソンである。

 

はじめてのチャレンジ、2000年の手記からスタートする。


 

【2000年スパルタスロン、初挑戦】 2000年9月(38歳)

 

スパルタスロンとは、アテネのアクロポリスから、嘗てのスパルタ国王レオニダスの像に到る246・8kmを、制限36時間で走るというものです。

紀元前460年、クセルクセス大王率いるペルシァの大軍がアテネに侵攻しました。伝令フィディピディスはスパルタに援軍を求める為、パルテノン宮殿から一昼夜を掛けて走り抜けました。スパルタスロンに参加する選手達は、伝令フィディピディスの足跡を辿るという長い走り旅をします。

 

テニスで発症したヘルニアの回復のためにはじめたランニング。最初は10kmのレースからスタートしフルマラソン、ウルトラマラソンと徐々に長い距離のレースをこれまで走ってきました。

そうして、いよいよスパルタスロンに挑戦する時が訪れました。3年前、タレントのカンペイちゃんがギリシャのスパルタスロンを走っている姿をテレビで見ました。暑そうだし、寒そうだし、とても険しそうです。夜中にはライトを持って岩山を歩く246.8kmでした。走ってみたいと思いましたが、思ってみただけです。自分が本当にここに来るとは想像もできないことでした。10年前に僕の腰を診察して、下半身不随になるから走るなと言った先生は、また昔いじめた奴らは今の僕を見てどう思うのでしょうか。「無理に決まっている」、声が聞こえてきます。
スパルタスロンには誰でも出場できるわけではありません。100kmのウルトラマラソンを10時間30分以内で走るか、250kmを越えるレースで完走経験(当時です。現在は更に厳しい資格基準となっています)が3年以内になければならないのです。私は前年の1999年に萩往還マラニック大会の250kmを走ることになり、その説明会でスパルタの話をしてくれたのが佐田富美枝さんでした。同い年の彼女はスパルタスロンを完走していて、萩の250kmを完走できたらスパルタスロンに出られることをそこで彼女から聞いたのです。私は45時間で萩250kmを完走し、スパルタの出場資格を得ることができていました。

 

9月が近づくにつれ、どんどん自信が無くなり不安は募るばかりでした。制限時間は36時間。萩の250kmと同じくらい険しい距離を9時間も速く走らなければならない、あの痛みと眠気を思うと気が遠くなります。

 

みんなどんな練習をしているのだろうか、藁をも掴む思いで本屋に行ってみると、そこで偶然見つけたスパルタの文字、それが中野友喜さんの『四万十ウルトラからスパルタまで』でした。私は1999年、四万十100kmを11時間15分で一度だけ走ったことがあるし、この本だけが頼みの綱でした。何度も読み返し、それに近い練習を試みたが、中野さんとは違って走力がまだまだ足りなく、不安が残ったままです。

 

スパルタの選手村に着いた時、目に入るランナーの姿はどれも自身に満ち溢れているかのようで、とても場違いな所へ来てしまった気がしました。どのランナーも無駄のない細く引き閉まった体でした。その中には中野さんの姿もあります。どれだけ走り込み、どれだけこのレースに思いを入れているのかが伝わってくるようです。

これまでに僕は一度もリタイアをしたことはありません。無理だと思ったどのレースでも、ボロボロになりながら、なんとか完走はしています。今度も走れてしまうのではないかと楽観するしかありません。

「世界で最も過酷なレースといわれるスパルタスロン、どんと来い」

 

9月26日晴れ。パルテノン神殿の朝7時、スタートの時間が訪れました。余りにも緊張感のない雰囲気のなか、180人の精鋭達が246.8km先のスパルタに向け突然走り出しました。スタートの時には皆のスピードの速さに驚かされます。「俺、こんなの無理」、と思いながらついて行きます。

アテネ市内では、けたたましく車のクラクションが鳴らされていました。僕たちに対しての熱狂的な応援ではなく、朝のラッシュ時に道を塞がれ怒り心頭だったのです。

郊外に出ると青いエーゲ海が広がりました。そのシチュエーションに走れる幸せを感じるどころではなく、頭上から降り注ぐ強烈な太陽熱で気持ちまでも溶け出しそうでした。熱中症により、胃の中のものを吐き出す外国人を見たら自分も気分が悪くなります。
第一関門のコリントス81km、16時10分。制限時間の20分前に到着しました。氷枕を作ってもらい、時間一杯マッサージをしてもらいます。そして最後の通過者としてコリントスを後にしました。

既に体中の関節が固まり、まるでロボットでした。こんな走り方でスパルタまで残り3分の2の距離を走るのは、本当は無理なのかもしれない、それでも一歩一歩の繰り返しが次のエイド(補給所)に繋がり、やがてゴールへと到ることを僕は知っています。
西日をまともに正面から浴びるランナーの姿が崇高に見えます。抜いたり、抜かれたりする時のランナー同士は競争相手ではありませんでした。無言の励ましの声が聞こえるのです。何というすばらしい経験をしているのだろう、ここに来られて本当によかったと思いました。
やがて日も傾き、少しは走りやすくなってきます。僕の少し前には萩の250kmの時に会った佐田富美枝さんが走っていました。道がわかりにくく不安でしたが、完走している佐田さんがいれば安心です。僕の横には大坂から来た男性がピタリと付いています。二度目の参加なのだそうですが完走はしていないし、少々うるさくて疲れるから先に行ってもらいたいと思っていました。
ヘッドライトを灯して山間部に入ります。一つ前の光は大坂の男性。その先が佐田さんの明かりです。日本ではなじみのない虫達が草場の影で鳴いていました。

30m先の光が草むらの一本路を登ります。僕も後を追いました。その前には佐田さんがいる筈です。これがコースなのかと不信に思いながらも悪路を登っ行きました。

40分も登った頃でした。上から声が聞こえてきたのです。

「これ、道が違うんやない?」

=やはりそうだったか

僕は返事を返す間も無く振り返り、全速力で元きた道を下りました。何度か足を捻りましたが、お構いなしに怒りに任せて走ったのです。帰国後に診察したら小指を骨折していました。

 

第二関門ネメア124kmの一つ手前のエイド(補給所)についた時には制限時間を1 分過ぎていました。

「終わった」。

涙ながらに遅れた言い訳を身振り手振りでスタッフに伝えると、何と許してくれるのです。すっかり力を使い果たし、終わってしまったと思っていたから驚きでした。今更行けと言れても走れません。既に、頭と身体の機能は停止してしていました。
山間部のネメアは吐く息が白くなる程寒いけれど、僕はグッショリ汗を掻きました。「こんな終わり方でいいのか」と思うと悔しくて涙が零れてきます。

暫くしたら激しい悪寒がきてガタガタ震え出し、村の少女が毛布をかけてくれました。それでも震えているのを見かねて、汗臭い僕を部屋の中に招き入れてくれるのです。

彼女のベッドの上に小さく丸まり横になりました。暖かいコンソメスープを持ってきてくれます。ロウソクの灯りの中で彼女の姿が田舎着を纏った天使に見えました。リタイアバスはまだ来ていません。少女は心配そうに僕を見つめていました。やがて震えが治まり、不安感も薄らぎ、夢心地となり、眠りに落ちようとしていました。

突然、静けさを打ち砕く大声が家の中にやってきました。家の主です。少女は激しく叱られています。僕はこれ以上迷惑にならないようにこっそり抜け出しました。

 

汗の臭いの充満したリタイアバスは、同時に吐き気を催しました。自分の汗の臭いのほうがましだと、シャツを頭から被ります。車窓の外には時々ランナーの姿が見えていました。その中に佐田さんの姿もあります。道を間違えなければ僕もこの辺りを走っている筈だと、そこにはいない自分の姿を心の中で応援するのでした。

「頑張れ、もうすぐ148㎞のリルケアだぞ」
それからバスが80km走りました。すっかり夜も明け、真昼の太陽の下でバスがリタイア者を収容する為に止まりす。僕は熱いアスファルトに腰を下ろし、一人、また一人とランナーがやって来るのを眺めていました。もしあの時道に迷わなくても無理でした。そこにはもう仮の僕の姿は想像できません。それだけ過酷な道なのです。そして数人のランナーがうなだれながらバスに乗り込みます。その中に、岡部真由美さんが含まれていました。
僕はゴールであるレオニダス像に近寄らないでいました。246.8kmを走り、勝者のみに与えられた聖なる場所です。リタイアしてしまった僕には見る権利すらないのです。

そのとき今回の、初スパルタスロンでの辛さはすっかり忘れ去られていました。それは来年、必ずここに戻ってきて、スパルタの王レオニダスに正々堂々と対峙するのだと自分自身に強く誓ったからでした。

目の前を『四万十からスパルタまで』の著者中野さんが、萩の武石さんが放心した面持ちで走り抜けて行くのをホテルのロビーから見つめていました。

 

(2001年につづく)

 

(文・写真提供:佐藤良一)


佐藤良一プロフィール

ウルトラランナー 佐藤良一(さとうりょういち)