レッドブルエアレース 2014 クロアチア戦レポート
エクストリームスポーツ選手を追って世界を飛び回る映像作家野澤邦男さん。
エアロバティクスパイロット室屋義秀さんを7年近く追っている野澤さんが綴る今年から再スタートをきったレッドブルエアレースでの帯同記。
ド級なエクストリーマーを追う彼もまたエクストリーマーなんです。
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【プロローグ】
大学生からの夢だった表彰台に立つこと。
その夢を20年越しに叶えたアスリートがいる。
その道のりはとてつもなく長く険しいものだったことが伺える。
そのアスリートはボクがドキュメンタリーの撮影で
7年近く追いかけている選手である。
レッドブルエアレーサー室屋義秀選手。
室屋選手は(詳細は下記から)日本で唯一の
プロ・エアロバティックパイロット。
馴染みの無い単語なので簡単に言うと
アクロバット飛行を職業にするパイロットである。
日本では超マイナースポーツであるが
欧米諸国では盛んに行われて認知度もある競技である。
別名、空のフィギュアスケートとも呼ばれている。
その延長線上にエアレースという軽飛行機を使ったレース競技がある。
その最高峰に位置するのがレッドブルが主催している
「レッドブル・エアレース・ワールド・チャンピオンシップ」。
詳細はコチラから
http://www.redbullairrace.com/ja_INT
世界のトップパイロット13名が世界最速のパイロットを決める。
少し前でいう『トップガン』、
最近で言うディズニーの『プレーンズ』の世界である。
ボクはこの世界に興味があって
室屋選手を追いかけ始めた訳ではなく、
前につとめていた制作会社が室屋選手をサポートしていた為、
追い始めることになる。
最初はエアロバティックスの右も左も分からなかったが、
今では上も下も分かるまでになって来ている。
大会が行われるのは基本海外なので、取材先は海外。
よく海外に行けてうらやましいと言われるが、
観光する時間はほぼ皆無。
レース飛行場とレース会場を行ったり来たりするので、
楽しめるのは風景と食事程度(←十分か!)
2014年は全部で7戦行われる。
第二戦目のレースが行われたのはクロアチアのロヴィニ。
【4/11:移動日】
この東洋人が一切居ない土地、ロヴィニで室屋選手は
20年近く追いかけた夢を実現させる。
それはもう大興奮である。どんな大会だったか紐を解いてみる。
イタリアとアドリア海をシェアする
風光明媚な町並みが広がるクロアチア。
風土もどことなくイタリアに似ている。
言語はクロアチア語で通過はクーナ。
でも英語も大抵は通じるし、ユーロも使用できるのでノープロブレム。
アドリア海と言えばザッツ「紅の豚」の世界。
男の誰もが一度は夢見る飛行機乗りの世界。
ジーナはいないが、男のプライドをかけた戦いであることは間違いない。
対戦場所はアドリア海に面しているだけありとにかく風景がきれい。
そして海鮮物が美味しい。
レース以外でも楽しめる要素が沢山そろっているので、
何しに取材に来たのか忘れさせてくれる困ったロケーションでもある。
しかしながらクロアチアへ行くのは少し面倒である。
大きな空港がないのでイタリアかスロベニアを経由して入るのが便利。
ユーロ圏に入るのに先ず、ドイツでトランジット。
それからイタリアのトリエステで降りる。
そこからレンタカーを走らせて3時間程度で到着。
日本を出発してから15~16時間程度、着く頃にはすっかり夜でした。
【4/12:練習日】
戦いを繰り広げるパイロットは全部で13名。
世界各国から集まっている。
アメリカ、オーストラリア、カナダ、ドイツ、オーストリア、
イギリス、チェコ、フランス、ハンガリー、日本。
アジア人では日本の室屋選手ただひとり。
アジアを代表していると言っても過言ではない。
練習日は選手達がコーストラックを飛んで感触を確かめる日。
だが、コースがあまりにもタイトでパイロンゲートの位置をずらして
ターンを緩める対処が行われたが、
それでもパイロンにヒットする選手が続出。
波乱が予想された。
そしてこの波乱が室屋選手に幸運をもたらす。
時速370km付近で地上から約20mの高さを飛行する。
くしゃみひとつで操作を誤れば地面に激突してしまう。
地上で行われるモータースポーツとは違い、
地面・海面がぶつかる恐れのある対象となる。
どのスポーツにも言える事だが、エアレースでは集中力、
メンタル力が選手にとって最重要となってくる。
一歩間違えばいとも簡単に命を落としてしまう競技である
(参考:過去、この競技で命を落とした選手はいない)。
だからマシーンをいじるメカニックも最新の注意が必要である。
各チームはパイロット、マネージャー、メカニックの3名で構成される。
少数精鋭ではあるが意外にもエアレースで使用される軽飛行機の構造はシンプルで軽量。
ひとりで押せるぐらいの軽さである。
エンジンはワンメーカー。
機種はアメリカ製の2種とハンガリー製の1種が存在する。
機体の軽量化、空気抵抗の最小限化がメカニックにとっての課題である。
実は室屋選手が乗っている機体は1世代前の機体、通称V2。
機体の重量は最新型のV3に比べてひと一人分重く、
スピードも1~2秒ほど差が出る。
今シーズンは出だしからかなり不利な戦いを強いられている。
結果として上位に入っている選手はみな最新型を持っている。
(若干1名の除く。その機体には秘密があるらしいが詳細は不明)
【4/13:予選日】
予選日ともなると選手間の空気が一気に張りつめてくる。
選手達は精神状態を最高潮に高め、集中力を保つため、
歩きながら、ご飯を食べながらでも常にコースのことを考えている。
選手間での交流も減ってくるし、
メディアも選手達に簡単に話しかけられなくなる。
パイロットはコースを好きなだけ飛んで練習出来る訳ではないので
頭のなかでコースを飛ぶ練習、イメージトレーニングを
ひたすら繰り返し行う。
時には目を閉じて体を左右に傾け、コースを飛ぶ。
この時は視界ではなく感覚を研ぎすませている。
視界でのトレーニングは、特に室屋選手の場合は
小型カメラをヘルメットなどに取り付けて練習時に撮影。
パソコンに取り込んで、パイロンゲートとの距離感を
ひたすら見て目で覚える。
300km以上で飛行しているのでゲートが見えるのは
ほんとうに一瞬である。
新幹線に乗って線路沿いの電線が通り過ぎる感覚であろうか。
この日もパイロンヒットが多発した。
海から入り込んでくる強風が飛行中の機体を押し、
彼らのコース取りを狂わせる。
練習で飛んで覚えた感覚で飛ぶとパイロンにぶつかってしまう。
風がどの方角から何メートル吹いているかを計算して
機体の進入角度を修正する。
ただ、大会側が提供してくれる数値だけには頼れない。
前の選手が残したスモークの流され方を見て自分なりにも判断する。
その辺は少しヨットレースに近い感覚があるかもしれない。
風を味方につけた者が勝利を手に出来る。
それが正に室屋選手だった様に思える。
室屋選手は常に冷静で沈着。
他の選手が熱くなる場所でも落ち着いている。
他の選手達が風に押されて進入速度がオーバーしたり、
パイロンにヒットしていたところでも難なく通過していた。
コンマ1秒でも早く飛ばなければならない競技。
事実、この時も半数近くの選手が同じ秒数代で競い合っていた。
だれもが焦ってスピードをギリギリまで上げて、
最短のコース取りで行くところを
室屋選手は自分なりのセオリーを持って、
他の選手に流される事無くアプローチする。
今回はスピードの早い選手が勝ったのでなく、
ミスを犯さない選手が上位に食い込んだ。
予選では13人中6位で中盤につけて次の日の本戦を迎えた。
【4/14:本戦日】
室屋選手のエアレース参戦は2014年のシーズンで3度目となる。
これまでに2009年、2010年シーズンを終えて
自身の最高順位は2009年の最終戦で6位がこれまでで最高だった。
2010年はマシーントラブルが相次ぎ、上位半分に食い込む事は無く、
「不運のパイロット」と呼ばれるようになってしまった。
2011~2013年はレースルール改良の為、一旦休止となる。
その間にも室屋はエアロバティックスの世界大会に出続けて、
自身のスキルを磨くことを怠らなかった。
2011年には東日本大震災が起こり、室屋選手のホームベース福島も被災、
原発事故もまだ収束していない。
しかし「震災を言い訳にしたくない」と語り決してあきらめる事なく、
苦難を乗り越えて強くなって行った。
彼の周りには自然と仲間、ファン、サポーターが
集まるようになって行った。
「ピンチをチャンスに変える」
とはまさにこの事ではないのかと感じた。
そんな苦難を乗り越えたからこそ、冷静な目を養えたのかもしれない。
他のパイロットが目先のパイロンを見ている時に、
室屋選手には全体が見えていた。
あえて1秒時間をロスしてでも、
確実に攻めて、相手のミスを誘う。
第一選目で3位入賞した同期でカナダのピート・マクリードとの
決勝戦での対戦がまさにそれであった。
ピートの機体は最新型V3、普通に飛んでも1~2秒の差は出てしまう。
スピードで勝負したら負けるのは確実。
それを睨んだ室屋選手は確実に飛べるコースで攻めた。
室屋選手が飛んだタイムは相手を煽るのに十分なタイムだった。
ピートはそれを上回る為に攻める。
パイロンヒットは無かったが、ゲートを平行に通過しなければ
ならなかったところで平行バランスを失い、+2秒のペナルティー。
室屋選手は策が功を奏して、表彰台へと上る事ができた。
3位入賞。
初のアジア人パイロットとしてデビューして
初の表彰台に上った歴史的瞬間である。
エアロバティックス界のトップに立ちたいという夢が叶った。
(ちなみにトップ2の二人は前回と前々回のチャンピオンで
力も機体の差もまだあり追いつくにはまだ及ばなかった。)
夢が叶った瞬間は室屋選手、まだ実感が湧いていない感じであったが、
シャンパンファイトをして記者会見を行い、徐々に実感が湧いて来た様子。
それでも決して浮かれる事無く、次なる夢を打ち立てていた。
「表彰台に乗るのは本当に夢でした。
ここに乗りたいと思って20年も頑張ってきましたので。
本当に嬉しい瞬間でした。
でも乗ってみるとまた次があって、また更に上がありますのでね。
また、トレーニングを重ねて一歩でも更に上に行けるように
頑張りたいと思います。」
となりに座っていた外国人メディアがボクに近付いて来て言った。
「室屋はがんばってきた。その成果が出てボクも嬉しい。
ハグしてあげたい気分だ。
彼は間違いなくアジアのスターだ。」
次戦はレッドブルエアレース初のアジア大会、マレーシア戦だ。
(文章:野澤邦男)
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いよいよレッドブルエアレースはマレーシアでの第三戦に突入です。
日本を代表する室屋選手にご注目ください!
<室屋義秀>
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