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内田一成のレイラインハンティング〜大地のチカラと好奇心〜

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突撃!雑談インタビュー第4回のゲストはレイラインハンターの内田一成さん。

「レイライン」とは「聖地を結ぶ一本の直線」を示すイギリスで生まれた言葉。

今日はそのレイラインを探求し続ける内田さんに

ググッと語っていただきました。

(文章・写真=池ノ谷英郎/聞き手=山本喜昭)

 

——-

 

 

山本>

内田さんに初めてお会いしたのはいつぐらいでしたっけ?

 

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内田>

いつでしたっけ? 3年ぐらい前?

 

 

山本

たしかどこかの居酒屋でしたよね(笑)。長いような短いような・・・。

 

 

内田

早いですよね、時間の流れが。

 

 

山本

早いですか?

 

 

内田

一日が三秒くらいで終わっていきます(笑)。

 

 

山本

そんな内田さんのライフスタイルとしては割合的に何が多いですか?

リサーチとかフィールドワークとか?

 

 

内田

そうですね。やっぱりインプットが一番多いですね。

何を生み出すにもインプットが無ければ。

モノを書く仕事って100個インプットして

4~5個くらいアウトプットするような仕事じゃないですか。

インプットは資料や本を読んだり、

あとは実際にフィールドワークからとかね。

アウトプットってホントわずかだなー。

もっと出さなくっちゃ(笑)。

 

 

山本

内田さんにはド級!の創成期からいろいろ相談に

乗っていただいてますよね。

こんな風にWebマガジンにしようとかもずっと前から。

僕は内田さんご自身でやられているレイラインハンティングに

ものすごく興味を持っていて、何か一緒にしたいなぁって思っていました。

ド級!ではレイラインハンターとして内田さんをご紹介していますけど、

レイラインハンティングってズバリ何ですかね?

 

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内田

何か体感するものが最初にあると思っています。

何を体感するかというと、地球と人間と自分との関係とか、

大地が持っている見知らぬ雰囲気とかね、

そういうのって誰でも感じているはずなんです。

でも、あまり現代人は意識していない。

昔の人はそういうのをすごく意識していて、

たとえば風水とかもそのひとつ。

世界でも「この場所は特別」とか「聖地」とか

呼ばれるところがたくさんあって、

それが人を引き付けるものであったりするわけですが、

逆に「どうもここは立ち寄りがたい」とかもある。

場所が持っている雰囲気って何なんだろうな、

と思っています。

人間って何からも切り離されて存在しているものではなくて、

いろんな関係性で成り立っている。

その中にはもちろん対人関係もあるけれど、

環境とかも関係がある。

そのひとつが「地面」なんです。

地面と人間の間には何か呼応するものがあって、

それは何なんだろう?

という思いがありました。

乱暴に言うとそこにいろんな理屈をくっつけているんだろうな、

ということですかね。

 

 

山本

その地面から感じる何かっていうのは、

いつ、どういうものを感じられたのですか?

きっかけは?

 

 

内田

きっかけは高校時代からやっていた山登りや

オフロードのオートバイのレースですかね。

たとえば山で1週間くらい縦走すると、

ある場所はすごく心地よく感じたり、

またある場所では何か自分の力が吸い取られるような気がして

妙にばててしまうように感じたり、

またはクライミングをやっていて

でっかい花崗岩のテラスみたいなところでみんなで休憩していたら、

いつの間にかみんな気持ち良くなって寝てしまったりとか。

だいたいパーティーを組んで活動していれば、

みんながみんなその場所で同じような感じを受けるんです。

その瞬間には誰も言わないけど、後で山行を振り返った時に

「あの場所はこうだったよね」

とか

「あの場所はなぜか疲れるんだよなぁ」

とか言い合ったりする。

それは違う日であっても同じように感じるんです。

 

 

山本

季節とかの条件じゃないんですね。

 

 

内田

そう。その場所に何かを感じている。

それが何なんだろうな?

っていうのがレイラインに興味を持ち始めたきっかけですね。

山の他にも砂漠でオートバイのレースをしていて、

ものすごく気持ちよく走れるところと、

ものすごくリズムをかき乱されてしまって

走りがちぐはぐになったりしてしまったりするところがあったり。

なんかこう、地面から受けている影響ってあるんでしょうね。

自分がすごくプリミティブな状況にあると、

これまでは感じられなかったことを

体が感知してそういう状態になっているのかなと思うんです。

 

 

山本

そのプリミティブな状況というのをもう少し噛み砕いて言うとどういうことですか?

 

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内田

そうですね、自分の体を使って極限状態に近い状態にあると、

いろんなしがらみとかそういうものから

抜け出てたような状態になるじゃないですか?

その瞬間って。

たとえば登山なら山に入ってしばらく時間が経って

自然の中に適応していくとき。

バイクのレースならある程度走ってこなれてきたときとか。

あまり考えないで物事をこなせているような

ごく自然な状態にあるのがプリミティブな状態って

ことじゃないでしょうか。

 

 

山本

右脳で動いているような状態でしょうか?

 

 

内田

右脳左脳とかはよく分からないけど、

どっちかというと感覚がすごくナチュラルで

プレーンな状態じゃないでしょうかね。

 

 

山本

それは死と隣り合わせだったりケガなどのリスクが大きかったり、

割と極限脳状態だったりするからでしょうか?

 

 

内田

んー、そうでもないですね。

逆に「極限状態」って理屈で考えているじゃないですか。

例えばバイクのレースでクラッシュして

セルフレスキューをどうしようかって考えた時に、

「今、クラッシュして体がどうなっているんだろう」

って考えますよね。

肋骨は大丈夫か?とか頸椎は大丈夫か?とかね。

そういうことを割と瞬間的に考えますよね。

あるいは山で遭難しかかった時にどうやって脱出しようか?

って理屈で考える。

天候の回復を待つのがいいのか、

自分から前進してこの悪天候から脱出するのがいいのか?

いろんなことを考えてしまう。

こうなるとあまりプリミティブな状況ではないですよね。

 

 

山本

常にその状況じゃなくて、ふとした時に

そのプリミティブな状況になるってことですね?

 

 

内田

どっちかというと特殊な状況ではなくて、

山に入って普通に山に馴染んでいるのがプリミティブな状態で、

極限状態ってのは緊急事態に追い込まれているわけだから、

理屈総動員で生き延びる方法を考える状態です。

そういう時にスキルとか知識が無かったら簡単に死んじゃうんですよ。

なすがままとかでは絶対に生き残れないから。

 

 

山本

なるほど。

鍛えるというか、いろんな引き出しを持ったりしていけばいくほど、

ナチュラルな状態の幅って広がっていくのでしょうか。

 

 

内田

極限状態になって

「あ、これはもう死ぬかも」

って一瞬あきらめた状況になると思考を捨てることはあります。

そうなった時にパッとモヤモヤが消える時はあるけど、

それとは違うんですよ。

ただ、その瞬間って意識が開けた感じはしますけどね。

 

 

山本

その感覚とはまったく別の感覚で、

周りの環境に溶け込んだありのままの感覚

ってことなんですよね?

 

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内田

子供の意識に近いのかもしれないですね。

子供って理屈で考えて遊んでないし、

それに似てるんじゃないかな。

 

 

山本

そこで大地の力を感じて、そこからどういう風な経路をたどるんですか?

 

 

内田

もともとはスポーツとかレクリエーションとして山登りをやっていたのですが、

山ってのは大地というチカラが端的に出ているわけですよね。

それを何か理解出来ないかな?って思ったんです。

 

 

山本

感覚を理解する?

 

 

内田

そう。この場所はどうして気持ちがいいのかとかね。

あるいはここはどうして力が抜ける感じがしちゃうのかな?とか、

それを知りたいなと思って。

まずは地質学的なところから、地下鉱物に影響されるとか断層があるとかね。

ま、それらが巻き起こしている周辺の雰囲気みたいなものは

当然あるでしょうけどね。

有毒ガスが出ていて植物が枯れてたりとか。

その中に進んでいくと防衛本能みたいなものが働いて

これはヤバいと思って早く脱出したり。

でも、もっと根源的なものがあるんじゃないかって

感覚だったんです。

 

 

山本

今、話に出てきたものとはまた別の物も

あるんじゃないかという感じですか?

 

 

内田

そういうファクターももちろんあるけど、

それよりももっと深いものがあるんじゃないかな、

という気がして。

で、それを語ってくれるものは何なんだろうと考えると、

日本の場合、山は聖なる場所として山岳修験道が発達していて、

日本の宗教の原点みたいなところがありますよね。

それで、修験道の世界を覗いてみたら自分が日頃思っている疑問に

何か答えが出るんじゃないかと思って修験道の

研究団体に入ったんです。

いざ入ってみると、修業の体系が出来ていたんです。

有名なところだと大峰山の奥駆や出羽三山、御嶽山、富士山など、

そういうところはしっかり修業のプログラムがあって、

プロセスがはっきりしていて。

やっぱりその土地が持っている性質を利用して

修業の体系が組まれているんだな、

ってのが分かってくるんです。

 

 

山本

そこで何をするっていうプログラムが組まれていて、

そこで何を感じるとかいうものも設定されているんですか?

 

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内田

それははっきりと設定されています。

何がゴールというか、ここではこういう感覚になりますよとか、

そういう感覚に仕向けるような。

たとえば滝行をする場所では

「ここには悪霊が集まってくる場所だ」

って言われて、それを刷り込まれる。

で、滝に入るときに

「修行者がピュアな気持ちになったときに悪霊が憑りついてくるのだ。

だから心して修業しなくちゃいかんのだ」

という風に仕向けられて、そういう心理に落とし込まれるわけです。

そこは妙におどろおどろしい雰囲気があって、

黙っていてもそういう感覚になるような場所なんだけど、

さらにそういった刷り込みをされて、

アンダーになる場所で心理的にもアンダーにされるわけです。

 

それで、終わった後に

「地獄の瀬戸際まで行ったんだ」

とか言われるんです。

と思ったら、今度は全然違うまったく逆の環境もあるわけです。

たとえば早駆けと言ってすごく開けた遠くまで見渡せるような尾根を

錫杖1本を持ってシャンシャン言わせながら走っていくような。

そうするともう天を駆けていくような気分になる。

そういった場に応じたプログラムがちゃんと出来ているんです。

その場が持っている雰囲気の最大効果を出そうとする。

そういうのはホントよく出来てるなぁ~って思うわけです。

 

 

山本

誤解を恐れずに言うと、ある種のアミューズメントのようですね。

 

 

内田

いやいや、もう最高のアミューズメントでしょう。

修業の最後は南蛮いぶしと言ってお堂の中に押し込められて、

護摩の火を焚いて南蛮を入れるわけです。

催涙ガスのような煙がお堂の中に充満して

つらくてさらに目の前で火を焚いているからとても暑いんです。

それは人工的に極限状態を作っていて、そこからパッと外に出ると

「あの世から戻ってきた」的な快感があったりして、

言葉は悪いけど、ドラッグの世界みたいなものを

ナチュラルな世界の道具だけを使ってやるんです。

それを御師(おし)と呼ばれる指導者がコントロールしているわけです。

すごくよくできたシステムだと思うんですよ。

 

 

山本

とても興味深いです。

そこで内田さんは答えを見つけられたんですか?

 

 

内田

まあ、その場が持つ雰囲気をよく理解して

そのプログラムに使っているんだな、というところまでは分かったんです。

ただ、やっぱり最初に戻っちゃんですけど、

じゃあそれは何?

みたいなところがよくわからないわけですよ。

 

 

山本

内田さんは納得いかなかったと(笑)。

 

 

内田

別に自分が解脱したいとか悟りを開きたいとかそんなことを思っているわけではなくて、

この現象は何なのかな?ってところが興味があるんです。

 

 

山本

あるピュアな好奇心からそこに行って、そこで何となくわかったけど、

やっぱり「?」が付いた感じですか。

で、そうこうしているうちに次はどうされたのですか?

 

 

内田

その後、やっぱり地面が持っている何かは

確かにあるのかなとは思いましたね。

 

 

山本

自分が感じていたものは間違いじゃなかったな、

というようなお墨付きのようなものはあったわけですね。

 

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内田

そうですね。

それで他にも何かないかな?と探していた時に

「そう言えばレイラインっていうのもあったな」

と思ったんです。

レイラインには聖地と聖地を結ぶと直線上に並んでいくとか、

五角形になるとか五芒星になるとか北斗七星になるとか、

いろいろあるんですけど、最初はあまり気にしてなかったんです。

なぜかというと、その理屈が紙の地図の上に線を引いて直線になっている、

ということだからです。

たとえば茨城県の鹿島神宮から九州の高千穂まで線を引っ張ると

その中に伊勢神宮や富士山があったり、

そんな話が流布されたりしてきたわけですが、

でもそんなのよく考えれば一発で間違いだということが分かります。

なぜなら紙の地図は球体である地球を展開した図なわけだから、

歪みを持っているわけですよ。

短い図だったらまだしも1000㎞もある直線を引いて

「ほら、直線ですよ」

とか言ったって説得力がないんです。

でも21世紀に入るか入らないかというくらいの時に、

民生用のGPSとデジタルマップを手に入れたんです。

オートバイの仲間で当時はまだ珍しかったGPSを持っているメンバーがいて、

新しいおもちゃ(GPSとデジタルマップ)が手に入ったから

レイラインの概念の一部分でも探しに行ってみようか、

という話になったんです。

 

 

山本

そこで結びついたわけですね。レイラインというネタの引き出しと

GPSやデジタルマップという新しいガジェットが。

 

 

内田

オートバイ仲間の彼はそういう系統(通信技術)の仕事をしていた人で、

彼に

「そういえばレイラインって言うのがあるんだけど一直線でたどってみない?」

って誘ったんです。

GPSに西に向かっていこうという設定をして、

もう一人興味を持った仲間を加えた3人で

オートバイ3台連ねてひたすら西に向かいました。

人様の家の庭先をオートバイで通っていったりしながら(笑)。

 

 

山本

「すみません、どうしても行かなくちゃいけないんです!」

みたいな(笑)

 

 

内田

さすがに失敗したなと思いました(笑)

オートバイで人様の家の庭先とかあぜ道を

通っていったりするのはひどいよな、

自転車にすればよかったかな、って(笑)

それで後でGPSのログを見たら、

確かに直線で結んで行ったところに

富士山と寒川神社ともう一つあったんです。

さらに、そういう大きな物件だけじゃなくて、

あぜ道をチマチマ行ったところに道祖神があったり

神社があったり寺があったり、結構ズラズラ並んでいる。

寺や神社は何万軒もあるからそういう偶然もあるか、

とも思ったんだけど、それにしても極端に多いんです。

で、調べてみると、それは昔の街道に位置していたんですね。

 

 

山本

なるほど、そうなんですね。

 

 

内田

最初はいくつもの人様の家の庭先を「ごめんなさーい」

って言いながら行かなくちゃいけないのかなと思ったら、

それはほんの一部分で意外と道があった。

今は遊歩道程度になっていたり、トレースが残る程度に

なっちゃってるところもあるけど、

昔の街道はそういう理屈で作られていたんだというのが、

その時にデータとして証明できたんです。

それを地図上に落としてみたらすごく面白かった。

この街道はどこに向かっているのかとかそういうのも見えてきたんです。

その頃の民生用のGPSにはスクランブルが掛かっていて

(GPSはもともと軍事用に作られていたためスクランブルが掛けられていた)、

それを補正するためにジャイロを使ったりいろいろやっていたんです。

大昔のカーナビとかだと実際の道とは何本か離れていたところを

走っていたりとかね。

僕が初めてやったときには通信技術をやっていたエンジニアがいたので

補正が出来たんです。

僕なんかがいきなりGPSを使ったところで

めちゃめちゃなデータが出て解析できなかったと思う。

それが2001年にスクランブルが解除されて民生用に開放されて、

それからは一気に正確になった。

そのおかげでGPSのログとデジタルマップを合わせてやれば、

自分でも解析が出来るようになったんです。

で、実際にやってみるとある宗派とか

ある同じ神様が祭ってある神社とかが

パッと見並んでるなみたいなことがあって、

それをデジタルマップで結んでみるときれいに並んでいる。

実際GPSを持って行ってみると、街道もちゃんとあったりする。

これはたぶんポイント・ポイントで大地の何かしらの力を

伝えているんだろうなと思うわけです。

実際に現地に行ってみると、高い確率で

昔からの祭祀場(さいしじょう)だったりして、

たとえば縄文時代からの遺跡がそこにあって

その上に最終的に神社が建っていたりするところが多いんです。

縄文時代の人が地面から力を感じて祭祀場を置いたのかな、

というのが伝わってくるんです。

そういうのを見ていると、ある種のアライメントというか構造というか、

そういうものが目に見えて分かってきます。

春分・秋分だったら太陽が真東から昇って真西へ落ちるように、

それに沿って神社が並んでいるような。

その裏には何があるんだろう?というと、

太古の太陽信仰と聖地の並び(=レイライン)が結びついているんだな、

というのが分かってきます。

これを実際に設けた人、奈良時代の泰澄(たいちょう)や

平安時代の空海(くうかい)が、明らかに聖地を意識して作らせている。

泰澄は地面の下に眠る魔物を退治したという話がよく伝わっているんだけど、

それは魔物退治の場所として鉢ヶ崎といってお鉢にお経を入れてそれを埋める、

経塚(きょうづか)って言われるものを作って地面の下の力を抑える、

いわゆる地鎮ですよね。

今は鉢ヶ崎という名前で残っているんだけど、

それを結んでいくと最近になって分かった断層にピッタリ合ってたんです。

地面の何かしら感知して、泰澄の場合は断層で地震に結びついたんですね。

 

 

山本

とても興味深い!

その自然の中のいろんな要素に対して

何かを感じる能力が太古の人たちにはあって、

それにならって設計してきたからきれいに構造物が並んでいるんですね。

それは太陽だったり断層であったり、ということなんですかね。

それがレイライン!

 

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内田

そうですね。

まあ、レイラインという言葉で一括りにしているけど、

逆にとても一括りに出来ないからレイラインという言葉を持ってきた、

というのが正確なところなのかもしれないね。

 

 

山本

しかし初めての人には難しい概念ですよね(笑)

 

 

内田

無理に説明しようとすると

聖地が直線状に並んでいます⇒

この並びに意味があるんです⇒

これは聖なるラインで妖精が通るんです、

とかだんだん訳が分からない感じになってしまいます(笑)

それを狭義のレイラインとすると面白味も何もなくなってしまうんですよ。

そうではなくて、大地と人間との関わりを

方位とかある種のアライメントとかで表現したのがレイラインとして括ると、

風水もそうだし、昔からの太陽信仰もそうだし、

日本の神社や寺とか、ナスカの地上絵とか、

方位に纏わるいろんなものがレイラインと言えます。

 

 

山本

大地のチカラと方位かあ。

そのいろんなレイラインをGPSなどのツールを使って紐解いていこうと?

 

 

内田

そうです。

だから何を表してるんだろう?

という逆引き的なことなんです。

ここに神社が並んでいるけど、夏至の太陽が海の向こうから

昇ってきた時にそれを導き入れるように並んでいるんだ、とか。

それぞれ奉られている神様を見てみると

日本書記の天孫降臨(てんそんこうりん)に出てくる

神様が同じ順番に並んでいるとか。

日本書記なんていいかげんなものだと思っていたんだけど、

なんでわざわざ伊勢神宮のような大きな建物を作ったのかな?

ほんの一瞬の太陽の光を導き入れるためだけに?

と考えた時に、昔の人だって

そうそう無駄なことはしないだろうと思うわけです。

 

「あ、これは天孫降臨てことなんだ。じゃ、天孫降臨って何なんだ?」

と考えると、

「天照(あまてらす)とかいろんな神様がいたんだ」

とかそれを字義通り受け止めてしまったら、

それはもはや妄想でしかないですよね。

 

 

山本

そんなのいるわけないだろ!って(笑)

 

 

内田

そう(笑)。

たとえば「ニニギ尊(ににぎのみこと)」って

何を意味しているか知ってますか?

実は夏至の太陽の光のことを意味しているんじゃないか

と考えると結構納得できるんです。

 

 

山本

信仰の対象を擬人化してあるってことですよね。神話というのは。

 

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内田

神話の構造というのはみんなが受け入れやすいんです。

たとえばそれを理科的に言って

「北緯何度、東経何度、この日の夏至の太陽は方位何時何分から上がってくる」

みたいな話になると難しいから勘弁してってなっちゃう(笑)。

逆に、この辺にニギギ尊が降臨なさいます、

というと「あ、そうか!」って思えちゃう。

 

 

山本

よく暗算とか記憶の競技ですごい人はよく物語にして覚えるとか言いますよね。

 

 

内田

はい、そうですね。

神話だと受け継ぎやすいし、口伝でも伝えやすい、すごい知恵だなと思ったんです。

 

 

山本

バカにしてたけど(笑)。

 

 

内田

そうそう、だからその辺りから神話が何を意味しているのか

と考えながら読んでいく面白さに気が付いたんです。

 

 

山本

神話を読むだけでなく、今のそのレイラインとかフィールドワークとか

いろんなことにつながってくるわけですね。

 

 

内田

ですね。

たとえば空海伝説って全国各地にあって、

空海が地面に杖をついたところから水が湧き出てそれが万能の薬だった、

とかという話もあるんです。

空海本人ではないかもしれないけど、

空海伝説に結びつくような空海に関連する人間たちがいて、

その人たちが観音様を自然の石に彫り込んだりしたものがあった。

で、それはどっちを向いてるのかなと

GPSで測ってそっちへ向かっていくと次のポイントが見つかる。

それっていうのはだいたいが鉱山を示していたりするんです。

・ ・・だんだん取り留めもなくなってきてしまいましたね(笑)

 

 

山本

いやいや知的好奇心の宝庫ですよ。

 

 

内田

ホント宝庫です。

だから中途半端なことで納得しちゃっている人が

すごく多いように思えてそれが残念なんです。

僕がレイラインという言葉を使ったせいで、

レイラインには何が秘められているとか、

レイラインの上に東京スカイツリーを作ったから

レイラインが乱れて大惨事が起きるとか言い出す人がいるんだけど、

それってもったいないとすごく思います。

そこにスカイツリーを建てたのは何かしらの意図があるのかもしれない、

というところから始めて、

それはスカイツリーの高さに関係するのかな?

とか、

同じ高さのタワーにはどんなものがあるのかな?

とか、

誰が作ったんだろう?

とか、

鉄道会社が絡んでるんだ!

とか、

そういうのを深めていったら面白いじゃないですか。

あまり世の中に伝わっていないようなこととか、

他愛のない風水的な考え方なのかもしれないけど、

そういうものに基づいて巨大建築が出来ている、

そう思ったら面白いじゃないですか。

 

 

山本

なるほど。

 

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内田

何があるとかどんなご利益があるとか、

そんなことじゃなくて、いろいろ考えてしらべて体感して

深めていったら面白いじゃないですか。

じゃあみんあで一緒に観察に行こう!みたいなね。

 

 

山本

うんうん。確かに。

ところで内田さんは知的好奇心を基に、インプットするときは

その作業に没頭されるわけですよね。

本を読むのもそうだろうし、フィールドワークとして

山やいろんなところに出かけていくのも

知的好奇心の旅じゃないですか。

その中で内田さんはどんなところに一番魅せられているんですか?

 

 

内田

どの局面でも面白いと思うことってあるじゃないですか。

でも、好奇心を完全に満たされることはまず無いし、

結論がすぐ出るのはそれで終わってしまうから面白くない。

結論とか真実はすごく遠い先にあるんですよ。

いや、たぶん無いんですね。

でも、何かしら方向みたいなものがあって、

そこに向かっていくうちに

「ああ、ここがこう関連付くんだな」

とかが分かった瞬間はすごく面白いなぁって思いますよね。

 

 

山本

プロセスを楽しむ、ですね。

 

 

内田

そうですね。そのプロセスが楽しい。

昔、オートバイで旅していた頃は、

前知識みたいなものがあったら体験はピュアにはならないんだ

という思いがあって、地図も持たずにただ行って、

ただただ口コミで聞いたところに行ってみたり、

方向も定めずに気の向くままに行っていて、

それはそれで面白かったんです。

その頃は知識を詰め込んでいったって

現場で再確認するだけじゃないかってすごくバカにしていたんです。

そんな再確認なんかより何も知らずに行った方が楽しいだろう、

と思っていたんですけど、年を重ねるごとに

それがだんだん変わってきたんです。

たとえば、ここに観音様が一体あります。

この観音様は十一面観音でいつの時代に出来て誰が彫って、

どういうデザイン的な特徴があるのかとか、

すべてにいろんな意味があるわけです。

そういう細部に入り込んでいくと芋ずる式にいろんなものが見えてくる。

そんな風にインプットとアウトプットを繰り返していくと

楽しみで満たされていくんです。

 

 

山本

あれですね、リアルなネットサーフィンみたいな感じですね。

逆に言うとネットサーフィンがリアルなものを簡易化したのかもしれない。

情報とか知の海を好奇心があればどんどん手繰っていけるわけですけど、

ネットサーフィンも好奇心が無いと次に進まないですもんね。

 

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内田

でも、好奇心というのも単純に

「知りたい、知りたい」

というものではなくて、最初に当たりを付けるみたいな

行為を脳って行っているじゃないですか?

だからネットサーフィンにしてもホントに無作為に

やっているわけではないと思うんですよ。

あるところに引っ掛かってそれについて教科書的に

調べて見つかった情報ってろくでもない情報だったりするんですよ。

たとえばある事象を調べたいと思った時に、

その事象をダイレクトに入力しても満足できないことが多いんです。

そこで、事象を分解して検索するといろんなものが見えてくる。

与えられたテーマとか自分が見つけたある事象とかを

単に調べるんじゃなくて、それを分解して考えるんです。

 

 

山本

探究心ってやつですね。

 

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内田

ありきたりな情報ってものすごく不快なんですよ(笑)。

こんなこと知りたいわけじゃない!ってね。

おーそうか!って思うようなことを知りたいんです。

自分は相当いろいろ調べていると思っていて、

それなのにそれを乗り越えた情報が見つかった時には

「うわ!これはまた違う世界が開けたな」

って思えて好奇心が満たされるんです。

 

 

山本

答えが見つかることが好奇心を満たすことではなくて、

さらに次の好奇心を生む何か扉が開けた時に好奇心は満たされるんでしょうね。

 

 

内田

そうですね。

どこで満足するかだとも思うんですよ。

際限ないと思うんだけど、どこかで見切りをつけて

アウトプットしないといつまでたってもアウトプットできないのでね。

インプットし続けるほど体力もないし(笑)。

ある時点での自分の見解みたいなところまでしか出来ないんだけど、

いろんな意見をくれたりこういう見方もあるんだよとか

サジェスチョンしてくれる人ってのは

自分にとってすごくありがたい人だなって思うんです。

そうするとまたこの先に進んでいくきっかけが見つかるわけだし。

 

 

山本

全然関係ない・・・いや、全然関係なくもないかな。

今、僕が住んでる部屋が東向きなんですけど、

日の出くらいに起きることがたまにあって、

めちゃめちゃ気持ちがいいんですよ。

晴れている日はすごく気持ちがいい。

そう言うことを意識して暮らせるってのは気持ちいいなって思うんです。

風水でもなんでも物事を体系化するのって

始まりはそういうことなんじゃないのかなって内田さんの話を聞いて思いました。

 

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内田

太古の時代の下々の人たちがそういうのを感じることってほとんどなくて、

逆にそういうことを意識していかなくちゃいけなかったのが

王様とかだったんだと思うんです。

種まきを指示したり刈取りを指示したり、

そうやって祭祀を司ったりするのがすごく重要で、

それによって四季を教えたり、洪水の多い地域では

それを予知して下々の者に伝えたり。

それが出来ないと王様として権力が維持できない。

 

 

山本

王様も生きていくために必死だったんですね。

 

 

内田

そう。

だからたぶん下々の人たちは日が昇ったら

働き出して日が沈んだら寝てしまう、

そんな単純なサイクルを繰り返していて

あまり考えてもいなかったんじゃないかな、

と思うんです。

古代の人たちが日々生産に追われるような生活を

送っていたのに比べれば現代の人たちは考える余裕が出来たから、

我々庶民もそういうことが考えられるようになったのかなと思うんです。

 

 

山本

王様とかがまだいない時代、仮に庶民ばっかりの世界だったとしても

腕っ節の強いやつが先頭にたったりしてたんでしょうけれど、

やはり自然を感じる能力のある人がもっといたんではないでしょうか?

 

 

内田

いわゆる狩猟の世界ではそういう能力に秀でた人間が

出てきてそういう人間がカリスマになっていったんでしょうね。

で、だんだん生産社会になっていくと、

生産経済の中でカリスマを求めるようになってきた、

そういうプロセスじゃないかなと思います。

 

 

山本

うんうん。

ところで、レイラインハンティングは一冊の本になっているじゃないですか。

その後、どうなんですか?

また新しいことがたまってきているんじゃないですか?

 

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内田

そうですね。「レイラインハンター」ってタイトルで出したけど、

もうちょっと分かりやすい、たとえばいろんな「聖地」を取り上げて

その成り立ちを伝えるとかね、さらには実際に人工的な聖地を作るとしたら

どういうアイテムを備えてどういう儀式をしてどういう人間が絡んできてとか。

そういう風なものも面白いかもしれませんね。

 

 

山本

それはかなり内田さんらしい(笑)

 

 

内田

そういうところまで踏み込んだら面白いなと思っています。

日本中にはそこが聖地だとは気付かれていない場所がたくさんあって、

そういうのもフィールドワークで見つけられたら面白いですよね。

 

 

山本

最近は伊豆を中心に動かれているんですよね?

 

 

内田

去年1年間は伊豆の聖地、具体的には伊豆急行沿線の聖地を調べていました。

伊豆には3つの柱になる信仰(伊豆山信仰、来宮信仰、三島信仰)が

あってそれらが絡み合っているですけど、

それによって伊豆の成り立ちを様々な面から神話として伝えているんですけど、

伊豆はよそから余計な信仰が入り込んでいない分、

すごくピュアな形で信仰が残っているんです。

 

 

山本>

神話を最初に創った人ってどんな人なんでしょうね?

 

 

内田>

やはり想像力が大きな人たちだったんだと思います。

観測して事象が起きて、これがどうして起こったのかを

考えた時に何かしらのインスピレーションを感じたんでしょうね。

その瞬間ってのはすごく重要で、

みんなそういう想像力がたくましかったんだと思います。

 

 

山本

想像力。さっきの探求の話も想像力ですよね。

月並みですけど「そうぞう」って「想像」と「創造」の2つがありますよね。

僕が広告の仕事をしていた時もよくその話は出てきましたけど

「想像」しないと「創造」は出来ないんですよね。

探求も想像しないと自分なりのロジックとか楽しみとかが

創造出来ないっていう感じですかね?

なんかこう、世知辛い世の中を想像力で何とかしたいですね。

カスカスな気がするんですよ。いろんなコミュニケーションが。

ま、それはともかく伊豆の話はまた聞かせてください。

伊豆ではツアーをやられると聞いていますが。

 

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内田

ツアーに関しては伊豆急主催のツアーが5月から隔月であります。

パンフレットとかガイドブックとかはこれから作っていきます。

伊豆は改めて面白いところだなって思っています。

あと、僕は茨城の海沿いが故郷なんですけど、

伊豆は雰囲気が似ているんですよね。

いろいろ見ていくうちに第二の故郷みたいな感じがしてます(笑)

 

 

山本

仕事が発端かも知れないけど、伊豆の探究が

内田さんのライフワークになっていくのかもしれませんね。

楽しみにしています。今日はありがとうございました。

 

 

内田

ありがとうございました。

 

 

 

——-

 

 

知的好奇心の旅のゴールなど存在しないのかもしれない

と語ってくださった内田さんは、

これから出会うであろう未知の世界に目を輝かせていました。

皆さんも身近なものに目を向けてみてください。

もしかしたらそこにあなたの好奇心をかき立てる

何かを見つけられるかもしれませんよ!

 

 

<内田一成>

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