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北欧ロングハイクの旅、松本夫妻、ラップランドへ行く その2

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松本夫妻に訊く、北欧ロングハイクの旅の雑談インタビューの第二回。

 

「トレイルを歩いている間は経済から切り離されている」

「ロングハイクの旅の中では日常と非日常が逆転する」

 

雑談はいつしか、そんな興味深い旅の話になっていきました。

 

(文章・写真=池ノ谷英郎/聞き手=山本喜昭)


 

山本>

今回のラップランドの旅はいつからいつまで、

どのくらいの距離を行っていたんですか?

 

卓也>

8月3日(2015年)に日本を出発して、9月19日に日本に帰国する日程で、

おおよそそのうちの30日間をハイキングするという

スケジュールでした。

当初の計画では距離は580㎞くらいでした。

 

山本>

卓也さんにとってもこの距離のロングトレイルは

未知なる世界だったわけですか?

 

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卓也>

やっぱり3泊以上って日本だとあまり出来ないんです。

4泊5日で計画を立てても3泊4日で終わっちゃう、

とか結構あったんで、長くは出来ていなかったんです。

 

山本>

お二人とも走ってらっしゃったから移動スピードも速そうですね。

 

卓也>

あまりそういう言い方はしたくないんですけど(笑)

きっとそうですね。

走ることはないんですけど一定のペースで行けちゃうので。

 

望>

だいたいコースタイムより速いですね。

 

山本>

ちょっと本題から逸れるかも知れないですけど、

ハイキング用品のお店をやられていたじゃないですか。

なぜずっと登山をやっていたのにハイキングのお店だったんですか?

 

卓也>

言葉の定義の話なんですけど、よくある地図の実線ルート、

皆さんがよく歩かれるルート、あれは「ハイキング」であると

思っているんです。

一方、地図上の破線のルートだったり

ロープを使わないといけないのを

「登山」と言うのだろう、という言う定義です。

なので、だいたいどこでも歩いて行けちゃうのは

「ハイキング」であって「登山」ではありません、

ということです。業界の人から怒られちゃう感じですけど(笑)

 

山本>

そういうことですね。

卓也さんの中では「ハイキング」の定義はかなり広いと。

 

卓也>

広いですね。

 

山本>

基本は道なき道ではなく、トレイルのあるところを行くのが

お好きだったんですか?

 

卓也>

日本では半々くらいですね。

トレイルが無いところへ行く時は高い山ではなく

奥多摩だったりの沢筋を行ったりとか。

釣りも始めたので、そんな感じでやっています。

まあ、奥多摩だったらバリエーションルートで遊ぶくらいが

人がいなくていいですね。

奥多摩エリアは人気があって人がいっぱいじゃないですか。

いろいろ下調べして地図を持って破線ルートを行くのは

面白いなって思いますね。

 

山本>

最近ロングトレイルが注目され始めていますが、

卓也さんはなぜロングトレイルを歩こうと思ったんですか?

奥様は自分の限界へのチャレンジ的な好奇心ということでしたけど。

 

卓也>

結局、影響を受けているんですね。

ロングトレイルが今盛り上がってきていて

いろんなところで紹介されていて、その影響はゼロではないと思うんです。

知り合いが何人かいて、まったく日本で山を歩くのとは違うことが

行われているって話がちらほら聞こえてくるわけです。

 

山本>

海外のロングトレイルを歩いた人からですね?

 

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卓也>

はい。

歩いていて町に戻ったら、ピザとかコーラとか飲んで

ハイキング中なのに2〜3日そこにいる。

そういうのって日本にいると

「それってもうハイキングが終わってますよね?」

って声が聞こえてきそうですよね(笑)

歩くことが「生活」になって街に戻ることが

「イベント」になるみたいな話が聞こえてきて、

それはちょっとやってみたいよね、って思ったんです。

それと、そもそも走っていたので重い荷物を持って山には入れないし、

入りたくもない。

たぶん体力もそっち(重い荷物を背負って歩くほう)の

体力ではないだろうと思って、ウルトラライト系の装備を

揃えて入ったんです。

そういうギアって長距離を歩く用に作られているので、

それをやっているからにはやっぱり長く歩いてみたいよね、

という、始めた時からもう「長いところをあるくんだよ」って

刷り込まれていたような感じですね。

 

山本>

今回がその第1歩だったわけですね。

今、ちょっと話にあった、トレイルを歩いているのが

日常生活で町がイベントっていうのを

もっと詳しく教えてもらえますか?

 

卓也>

自分がやっていたこともそうなんですけど、

朝起きて、ご飯を食べて、テントを畳んで、歩いて、

夜テントを張る、というのが、今回の旅だと

8日間→12日間→8日間とだいたい10日間くらいずつ。

そんな風に山に入っていると、それが特別なにか高揚する

「Fun!」な感じではなくなるんです。

 

山本>

日常生活そのものになる。

 

卓也>

そうなんです。

歩いていることすら日常生活で、特別すごいことをやっていることでもなく、

毎日歩いていることが楽しいね!って言い続けているわけでもなく、

ただ日常がそこに繋がっていくんです。

その間に例えば「お風呂に入りたいね」ってなると、

町に着いてシャワーがあることがものすごいイベントになるわけです。

 

山本>

あー、なるほど!

 

卓也>

もう町に行ったらすぐシャワー!という感じです。

あとは「アイスクリームがあるよ!」とかね(笑)

 

望>

「買物が出来る!」とか「ビールがある!」とか(笑)

 

山本>

文明に触れることがイベントになっていくんですね。

 

卓也>

そういう感じですね。

よく聞かれるんですけど、歩いていることが

楽しくなかったわけではないんですね。

それが当たり前のことになっているので、

歩いている間は日々の生活と何ら変わらない受け止め方になるんです。

 

山本>

それは興味深い話です。

僕は「境目」を研究しているんですけど…

 

卓也>

境目研究家の方ですか(笑)

 

山本>

普段は町で生活しているわけじゃないですか。

これが日常で、たぶんそれまでの2〜3泊の山の方が

イベントじゃないですか、きっと。

それが今回ロングトレイルを歩いたことで

それが逆転したわけですよね。

その「逆転した境目」に興味があるわけです。

気持ちの境目、体力的な境目、いろんな境目が

あると思うんですけど、そういう風に歩くことが

どのタイミングで「日常」になってくるんですか?

意識の切り替わりみたいなのがあるのか、

それとも境目は感じないのか…

 

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望>

私がすごく不安だったのは、そんなに長い間

(今回の旅の計画は約1ヶ月半)歩き続けることができるのか、

ということで、それをある方に相談に行ったんですね。

その相談相手の方は6ヶ月で1,600㎞を歩いてきた人なんですけど、

「1週間とか5日間歩いて1回補給をして、

ということが1回出来れば、10日歩くのも30日歩くのも

3ヶ月歩くのも半年歩くのも一緒だ」って言われたんです。

それを聞いた時に私は気が楽になって、

とりあえず最初の補給地までの1週間で

自分を慣らすことが出来たらゴールできるんだろうな、

っていうのがあったんです。

でも、そうは言っても歩いている間は不安だったので、

「これが日常だ」という風には私はなかなか…

 

山本>

変わらなかった?

 

望>

帰るくらいになってから思えるようになったかな。

 

卓也>

3日目かな。僕が思ったのは。

 

望>

そう?早いね(笑)

 

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卓也>

要は丸々1日その生活を1回したこと、

それから変わったと思うんですよ。

それまでは、例えば3泊4日でもそうなんですけど、

3泊4日って2日間しかループが無いんですね。

しかも2回目の丸1日(=3日目)はもう下山する考えに

なっちゃっているので結局1ループしか無いんですけど、

3日目が終わって次もこの生活なんだ、と思ったら

だいぶ気持ちが変わりました。

別に切り替わる瞬間を意識していたわけじゃないけど、

「きっとこれだったら行けるな」「これを続けるんだな」

という感じがして、そこが、それまでの日常とすり変わったところ

じゃないかなって思いましたね。特に3日目は風が強くて…

 

望>

あー、風強くてつらかったね。

 

卓也>

そのつらかった1日を終えた時に、

「あ、これでこの生活を続けていくんだ」

っていう感じに落ち着いたかな、というところですね。

 

望>

思い出した!

あったわ、実感!ありました実感(笑)

 

山本>

あった?(笑)

 

望>

何日目かは忘れましたけど、半分くらい終わった時に、

それまではいつも荷物を背負う時にはすごく重く感じていたんですけど、

その日はなぜか「あれ?今日は軽い!」って思えて、

その日からあまり重さを感じなくなって、

たぶんそれが切り替わったタイミングなのかな、って思いました。

 

山本>

それは何日目くらいなんですか?

 

望>

たぶん15日目くらいだと思います。

 

山本>

それからずっと荷物が軽く感じたんですか?

 

望>

中身がすごく変わったわけでもないんですけど、

歩くことによって体が出来てきたこともあり、

いつもは「よいしょ!」って感じでやっと背負っていたのが

ひょいっと背負えるようになったんだと思います。

それと準備がだんだん早くなってきたんですよね。

テントを畳んで出発までの時間がだんだん短くなったりとか。

 

山本>

なるほど、それが日常になった境目なわけですね。

 

望>

そういうことで切り替わりを感じましたね。

そう言われてみれば(笑)

 

山本>

それで旅を終えて戻って来た時の切り替わりは

どうだったんですか?

 

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望>

あっという間です(笑)

 

卓也>

なんて言うか、最後にひと騒動あったので(笑)

今回の旅では予備日を1日も使わず計画より

1週間早く終えてしまいまして、飛行機がオープンフィックスの

チケットだったので航空会社に電話を掛けたんですけど

予約でいっぱいで出来ないって言われちゃったんです。

で、これから1週間どうしよう?ってことで

ヘルシンキ在住の姉に電話したりして、

本来戻るべきストックホルムに着いた状態でもうバタバタで。

すぐにこっちの日常に戻ってきちゃった、という感じです(笑)

ネット飛行機の便を調べて、みたいなことかがすぐに行われたので(笑)

 

望>

あれぇ?昨日までトレイルにいたよね?っていうのも無く…(笑)

 

卓也>

結局1週間ヘルシンキにいたので、ヘルシンキ観光が

最新の記憶にすり替わってしまいまして(笑)

 

山本>

日常モードに切り替わるのは早かったにせよ、

それだけ歩いていると「社会生活に戻れない病」

みたいにはならなかったんですか?

 

望>

2人とも社会生活に戻っていないから(笑)

 

山本>

え?そもそも?(笑)

 

卓也>

そもそも今は2人とも無職なので(笑)

 

山本>

なるほど(笑)まあ、職があるかどうかは関係なく、

都会から抜け出したいとかトレイルに戻りたいとか…

 

卓也>

それは帰ってからずっと言ってました。

 

望>

戻りたい、は今でもあります。

歩いている時はこっちにいる時よりも体調が良かったんですね。

朝も5時には起きられるし、睡眠もたっぷり取れているし、

毎日日記を付けて反省をしたり、明日の旅程の予習をしたり。

日本に帰ってからもこの習慣の1つでも続けようと

思っていたんですけど、何1つ出来ていない(笑)

戻りたい、というのはあの道(トレイル)に戻りたいのではなく、

そういう生活にもしかしたら戻りたいのかな、というのはありますね。

とにかく自分のことだけを考えていればよかったんですね。

歩いている時は、自分の足の状態とか食糧の心配とか、

何キロ進めるとか暑くないかとか寒くないかとか

そういう心配をすればよくて、そういう環境に戻りたいというのは

すごく思いますね。

 

山本>

それは卓也さんもそうですか?

 

卓也>

それプラス、人との距離が気になるというか…。

 

山本>

距離?

 

卓也>

人と話すのが嫌いなわけではないですが、

トレイルでは近くに人がいない状況が続いていたので

適当なタイミングで人と話しているだけで十分だったんですね。

こっちだと人との距離が近い。

そういうのがより際立って感じられるようになってきていて、

もっと人とは離れていたいよ、みたいなわがままで(笑)

 

山本>

東京はそういう意味ではダメダメですね。

耐えられないくらい人が濃密だと感じます。

 

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卓也>

濃密ですね〜。

トレイルだと踏み跡があってその上を歩くんですけど、

ラップランドは他の地域と違ってどこを歩いてもいいことに

なっているんですね。

なので、方向さえ合っていればどこでも歩いていい、という自由を

体験したすぐ後に、(都会の)階段は左から来る人と

右から来る人と入り乱れていたりするのは

すごくストレスに感じますね(笑)

あのトレイルの自由さは一般的ではないのかもしれないですけど、

都会はとにかく密度が高いよね、というのは思います。

 

山本>

トレイルで体調がすごく良かった、というのは興味深いですね。

 

望>

足が痛いとか疲れたとかは言っていましたけど、

普段、割とすぐに風邪を引いたり頭痛がしたりして

ずっと元気な時が無いんですけど、トレイルにいる時は

「しっかりしなきゃ!」というのがあって

気が張っていたのはあったと思うんですけど…

 

山本>

住むべき所はそっち(トレイル)なのかも知れないね(笑)

 

望>

そうですね〜(笑)

だから体もだんだんシャープになっていったというか、

研ぎ澄まされている感じがして…

でも戻るのは早かったですね(笑)

だから戻ってからも体型も維持しようと思っていたんですけど、

何かが与えられていると食べてしまったりしますね。

トレイルにいる間は必要以上には食べなかったんですし、

かと言って飢餓感がすごかったわけでもないんですが、

「今日はこれだけ」と自分が決めた分量だけで十分、

というのがありました。

 

山本>

普段いかに摂り過ぎているか。

 

望>

そうですね、それで体調が悪いんじゃないかって(笑)

 

卓也>

それか(笑)

 

山本>

それは大いにあると思います?

 

望>

そうですね〜。

その生活を続けようと思っていても、

モノがあふれている中で何かを節制しようとするのはとても難しいですね。

だからみんなお金を出してまでダイエットとかをするのは

意味があるんでしょうね(笑)

 

山本>

研ぎ澄まされる、と言えば、いろんな人に話を聞くと、

フィールドに出ていると五感が研ぎ澄まされるという人が多いんですよ。

そういう感覚はありましたか?

 

卓也>

ぼくらの旅は「冒険」ではなかったので冒険家とか

そういう人たちとは比べられないんですけど、

「何でも大丈夫」という感覚になるんですね。

食料と着替えさえ濡れなければ大丈夫、

あとは方向さえ合っていれば道が無くても大丈夫とか。

お金の心配はいつもしていたんですけど(笑)

何日分の食料があって、あとこれだけ歩けばいい、

あとは物もそろっているから大丈夫、という開き直りとともに、

これだけあれば生きていけるんだ、というのは歩いていて思いましたね。

追い詰められたり究極的な何かをしていたわけではないので、

それほどすごいとんがり方(研ぎ澄まされ方)はしないですけど、

逆に全方位で大丈夫な広がり感はありましたね。

 

山本>

安心感がすごくあったんですね。

 

卓也>

ありましたね。クマに遭遇したりがあるとまた違うのかもしれないですけど、

見渡す限り全部見えちゃっているので動物がいないのもわかっているし…

 

山本>

動物はいないんですか?

 

卓也>

放牧のトナカイと…

 

望>

ちっちゃいネズミ。

 

卓也>

10㎝〜15㎝くらいの小さいネズミと鳥が何種類かいたくらいです。

 

山本>

敵はいないんですね。

 

卓也>

敵はいないって感じですね。

クマがいるって皆さん思っているみたいなのですが、

その痕跡も見ることが無かったので安心はしていましたね。

逆に、例えば車道があると道標が無くなっちゃったりするんですけど、

そういう時は怖い感じはしましたね。

 

山本>

へぇ〜

 

卓也>

「みんなそこはわかるでしょ?」みたいな感じで

道標が無くなっちゃうんです。

地図で確認してその先に行けばまた道標があるんですけどね。

途中、ダムの上を歩くようにルートが走っている場所があるんですけど、

日本人からしたら特に観光地でもないダムの上を歩くって

あんまり想像がつかないと思うじゃないですか。

「これ、行っても大丈夫かな?でも道標無いしな〜」って。

しかも車止めがあって進入禁止になっていたりするので、

そういう不安が一番大きかったですね。

逆に原野にいるときは安心しているし、

強風でテントのペグが飛ばされることも

何度かあったけど落ち着いて直せたりして。

 

山本>

面白いですね。

不安なのは人工物とお金っていうのが(笑)

 

卓也>

物価が高すぎて。

 

山本>

そうか、食料を途中で買うのにしてもね。

 

卓也>

あと、テントを張って生活をしているうちは食料も買えないから

食費もかからないんですけど、早くトレイルの旅が終わっちゃうと

そのあと2〜3日ホテルに泊まるって、ホテル代が心配になっちゃうんです(笑)

 

望>

いったいいくらになるんだろう?って(笑)

 

山本>

町じゃテント張れないぞって?(笑)

 

卓也>

そういう不安をずっと抱えていたんです(笑)

アメリカのトレイルに行った人が言っていたことなんですけど、

「トレイルを歩いている間は経済から切り離されている」と。

そういう自由が手に入っていたので、それは安心につながって

いたのかもしれません。

 

山本>

どんな気分ですか?

経済から切り離された自由は。

 

卓也>

そうですね。すごくシンプルに、一番根本にある心配だけすればいい

というのは、すごく集中できていいと思いますね。

 

山本>

なるほど。

 

卓也>

明日は自分の体力と距離と天候を考えるだけでいい、

と思考がシンプルになっていくのがいいのかな、と思います。

 

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望>

時間と距離もある程度自分たちで「今日はこれくらいだよね」

とか決められたし。

ヘルシンキとスウェーデンって時差が1時間あるんですね。

それに私たちは気付かず時計をヘルシンキ時間のままにしていたので、

歩きながらたまに違う人たちからやけに

「あなたたちは早起きね〜!」って言われたんです。

「朝6時とか7時とかで歩きはじめるのが早いって…

こっちの人はずいぶん(朝が)ゆっくりなんだね〜」

って話していたら、実は時差を直していなかったので、

朝5時に起きていたつもりが朝4時だったんです(笑)

でも、何も支障が無いんですよね、1時間時計が狂っていたとしても。

普段時間に縛られた生活をしていて、こっち(東京)では

1時間遅れて生活していたらとんでもないじゃないですか。

そういう「時間」という観念も「なんなんだろうな?」って

その時は思っちゃいましたね。

 

山本>

それは興味深いですね。そうありたいと思いますね、日常が(笑)

 

望>

目が覚めた時に起きて眠くなったら寝て、みたいな。

 

卓也>

ただ、日が落ちないので、暗くなったら寝る、

が出来ないんですよ(笑)

 

望>

明るいうちから無理やり暗くして寝る、みたいな(笑)

 

卓也>

本来それが自然の生活だって話をしていたんですけどね(笑)

朝5時に起きて日が暮れる夜6時くらいに寝られたら

それは最高なんだけど、夜10時くらいまで日が落ちないので、

それが自然の生活と言われちゃうと、ちょっと違うかな?と。

 

 

(つづく)


 

第一回はコチラ

北欧ロングハイクの旅、松本夫妻、ラップランドへ行く その1

 

 

 

松本卓也・望(まつもとたくや・のぞみ)