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エクストリームアイロニングジャパン松澤等「そこにシワがあるから」プロローグ

松澤さんのことをぼくが知ったのは確か、2008~10年の間くらいだったと思う。

メディアに出演されているのを見て、即座に著書を買い、むさぼり読んだ。いつか、この人がアイロンを屋外でかける想いや感じてらっしゃることを直接きけたらと思っていた。

当時勤めていた広告制作会社のプロモーション企画で無理くり(笑)キャスト提案したこともあった。(結局通らなかったのだが…)

そんな松澤さんに、10年たった今、実際にお会いしてお話をきき、寄稿までしていただけることに!

なんという縁だろう。

 

不定期連載ではじまるエクストリームアイロニングジャパンの松澤等さんのコンテンツ、今回はプロローグです。

これからの展開をどうぞお楽しみ。

(序文:ドキュウ!山本喜昭)

 


「エクストリームアイロニング(EI)とは」

皆さんはエクストリームアイロニング(以下EI)をご存知だろうか?

簡単に言うと、山などの自然環境下、または自分が得意とするスポーツにアイロン掛けという行為を持ち込み、そこで得る様々な効果を楽しむ、というものをエクストリームアイロニングと呼んでいる。ちなみに我々愛好者の間では、今ではスポーツアイロニングという表現が一般的だ。

 

このEIが発祥したのは1997年。登山をライフワークとしているアイロン掛けが好きな英国人男性が、ある晴れた日に気持ちよく庭でアイロンを掛けていた際、これを山でやったらもっと気持ちがいいんじゃないかと考え、山にアイロンセットを持ち込んだのが最初だと言われている。

その後、彼の行為に賛同した山仲間が徐々に加わり、英国でひとつのグループが誕生する。そして彼らはこの行為の価値を確信し、世界へ広めようとアメリカへと出向き、そこでドイツ人の登山グループに遭遇した。そのドイツ人たちが国に帰ってEI活動を始めると「あの真面目なドイツ人たちが山でアイロンを掛けている」というのが欧州の人達の間でウケ、それが元でEIは欧州を中心に広まったと考えられている。これは2001年頃の事である。

 

僕は1998年に当時住んでいたオーストラリアにてこのEIの存在を知った。しかし始めたのは2004年の秋、日本に帰国した直後であった。オーストラリアにいた時は、当地のワイルドな自然環境に何の不満もなく、その中で各種スポーツや山岳活動などを自由に謳歌していた。しかし帰国後、繊細だが規則だらけの日本の自然環境やスポーツの在り方に違和感を感じ始め、日々の野外活動にて味わう窮屈さは徐々に限界にまで達していた。そんな中、新たな刺激を求めて足を踏み入れたのがこのEIなのであった。

当時EI世界を牽引していた英国のEI活動団体に連絡を取り、アドバイスなどを貰いつつ、僕は細々とした活動を始めた。当時日本で活動している人は1人もおらず、それこそ試行錯誤しながらトライ&エラーを繰り返す日々であった。その日々をSNSに上げ始めると、やりたいという人達が徐々に集まり始め、7人ほど集まった2005年にエクストリームアイロニングジャパン(EIJ)という日本で唯一の公式活動団体を立ち上げた。そしてそれは現在に至り、いまだ当時の仲間も数名在籍している。

 

あれから13年が経ち、EIはかなりの変化を遂げた。当初パフォーマンス色の強かったEIも、徐々に自分の為だけにやる確かな行為へと深化した。現在のEIは「何かメインとなるスポーツなどにかけるスパイス」いう考え方が定着している。例えば登山にアイロン掛けを取り入れるなら、あくまでもメインは登山そのもの。山頂に着き、他の登山者がいないなどの条件が揃った時、登山にかけるスパイスとしてそこではじめてアイロン掛けを行う。するとそこに新たなパンチが加わり、通常の登山よりも味の濃い達成感などが増す、という考え方だ。そしてその高揚した気持ちをアイロン掛けを通して柔らかく山に納めるようなヒーリング感覚も味わえる。いわばMAXな高揚感と、高い癒し的感覚を表裏一体にて味わう行為。そう、これが登山におけるEIの在り方なのだ。

山頂が混雑していたり、別にアイロンを掛けなくても十分満足出来るのなら、我々はあえてアイロン掛けはしない。EIはただ掛ければいいというものではなく、そこには状況判断や自己責任という感覚も加味される。各種スポーツにアイロン掛けを取り入れる場合も、自分にスキルのないスポーツにいきなりアイロン掛けを取り込むことはしない。そしてアイロン掛けの経験やスキルがある事も必須だ。それがスポーツやアイロン掛けに対するリスペクトだからである。そこでアイロン掛けをする意味や意義を自らで考えて行動する。それが野外における大人の遊び、スパイスとしてのEI、エクストリームアイロニングなのである。

 

EIは僕にとってはあくまでも遊びだ。ただ自分の好きなアイロン掛けという行為を、好きな場所や得意なフィールドに持ち込んで融合させたら本当に楽しいのでやっているだけで、そこに大きな想いや構想はない。そしてどうしてもやらなければ、という強い想いも実はない。EIはスパイスなので、メインの味自体が濃ければスパイスは不要だ。そしていざやるとそこに意義や意味を感じるし、この行為が自分にフィットしているという実感はある。だからこそ、これを13年あまり続けてこられたのだと思う。たまたま僕にはEIがハマった。ただそれだけのことなのである。

 

アイロン掛けで刺激を得るというのも考えると不思議なものだ。まあ衣類の素材の進化などにより、アイロン掛けは将来的には無くなるに違いない。僕はそうなっても何一つ困らないと思うが、それまではEIを存分に楽しみたいと思っている。なぜなら、そこにシワがあるから。理由など、実はそれだけで十分なのではあるまいか。

 

(つづく)

(本文・写真提供:松澤等)


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松澤等(まつざわひとし)