「息子と狩猟に」服部文祥 著(新潮社)
先日YAMANOVAの車座トークギャザリングにも来ていただいたサバイバル登山家、服部文祥さんの小説デビュー作。
表題作の「息子と狩猟に」と短編の「K2」が収録されている。
本来この店頭POP風書籍紹介不定期連載ドキュウなドクショは短くゆるりと、がコンセプト(だったっけ?)なのだが、果たしてこの小説に関して短く語れるのか、些か不安ではあるが進めるとする。
まず「息子と狩猟に」。
映画で観たい。
読後一番に思い浮かんだのがこれ。
リアルで緻密なディテールとスリリングに2つの話がどんどん交錯していく展開を天才映画監督(誰だ?)が描き出したらコーフンものである。
この小説を読んでいると情景が映画を観ているかのように眼前に浮かんでくるのだ。
テレアポ詐欺集団と狩猟に山に入る親子の話。最初から最後には二つの話が交わると思って読んではいても一旦読み出したら最後まで止まらなくなるほどおもしろい。
そうそう話はそれるが、先日ブレードランナーを改めて観た(ファイナルカット版)。もうすぐ日本公開予定のブレードランナー2049に備えてだ。映画で思い出した。
もう記憶にないくらい前に観てからの再鑑賞だからかもしれないが、シンプルな構成だが最後まで画面に穴が開くくらい集中して観れた。
単にストーリー展開と演出だけでなく、やはりこの映画がぼくの胸に一番突き付けてきたのは、人間が勝手に信じている“モラルやルール”と根源的な“命”について語りかけてくるところだ。
人間が自らの利便性や欲求のために作り出した人間そっくりのレプリカントと生身の人間の命の重さ。人間社会に紛れ込んだレプリカントを追いかけ始末するハリソンフォード演じるブレードランナー(人間)はまさにハンターだ。
勧善懲悪のストーリーではない。レプリカントたちは、自分たちのアイデンティティ不安と戦い、あらかじめ設定されている寿命を知るために人間たちを襲う。
一見、悪として見ることもできるだろうが、彼らの側に立てば当たり前の行動ともいえるだろう。
少々ネタバレにはなるが、最後は自らの寿命を悟ったレプリカントがそれまで殺すために追い詰めていたブレードランナーであるハリソン君の命を助けて自分は命果ててしまう。
そう、ぼくは、ブレードランナーが、突き付けてくる「人間が勝手に信じている“モラルやルール”と根源的な“命”」は、この「息子と狩猟に」が突き付けてくるものと同根であると感じたのである。
レプリカントは殺してもいいが、人間はダメ。
鹿は殺してもいいが、人間はダメ。
当たり前にそうとらえているモラルやルールは、自然界の中では人間が勝手に信じているもの。それが極限の状態では自分の中で機能するのか?
命とは?モラルとは?
さあさあ、君ならどうする?
それは、その後収録されている短編のK2ともつながり、「人間が勝手に信じている“モラルやルール”と根源的な“命”」について、否応なく考えさせられる。
もう強烈の一言である。
短くゆるくは、やっぱりこの作品紹介では無理でした。
(文:山本喜昭)
服部文祥さんプロフィール
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