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宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その5

[その5「池袋 ホームレス体験生活」]

はじめてのアマゾン川イカダ下りの旅で

悔しい想いをした宮川竜一さん。

次なるチャレンジは冒険旅行から一旦離れ、

ホームレス生活をすることでした。

 

彼が挑戦した南米大陸横断7000kmの旅

「Dancing Across the Amazon」

に至るまでを語った宮川さんの手記の第五弾です。

 

(本文:宮川竜一)


帰国後、僕はアマゾンへ持って行ったビデオカメラで撮影した5時間分の映像を編集して、映画を創ろうと考えた。
旅と青春の素晴ら しさを、どうにかして人に伝えたいと思ったのだ。

だが残念ながら、結果としてこの企画は、「挫折」という形で幕を閉じた。
映画や映像についてほとんど知識が無かったため、自身の映像編集や演出の技術が、アマゾンの旅の思い出に対する自分の想いの大きさに、追いつかなかったのだ。

正直、このことはとても悔しかった。
アマゾン川を下りきれなかったことよりも、「アマゾン、イカダ下りの映画」を作れなかったことの方が、僕の人生に苦い味付けをした。

その後、僕はドキュメンタリー映画について勉強をした。
学校では映画学科の授業に潜り込み、家に帰っては「冒険、映画」などのキーワードでインターネットの映像を検索した。
映像の編集と共に、撮影の技術も、実践しながら学んでいった。

半年後、大学生活4回目の長期休暇がきた。

もう、海外を旅できるようなお金はなかった。
むしろ大学の勉強、芝居の稽古による忙しさにかまけ、借金返済は後回しにしていたのだった。

それから、アマゾンで虫たちにこっぴどくやられた僕は、冒険旅行が嫌いになりかけていた。
だから、しばらく冒険旅行からは離れようと考えていた。

「そうだ、お金のかからないことをやろう!」
そうして、僕の”36日間 池袋 ホームレス体験生活”が始まったのだった。
ネパールやインドに行ったとき、
低カーストの人々、ゴミを漁ったり、道端で物乞いをしている人たちを見て、言葉にしえない違和感を感じた。
「旅は青春だ!」などと、偉そうに叫んでいる自分の存在が、揺れた。

「最低」を知らないことが、僕の人生のディスアドバンテージである様に感じられた。
彼らの存在を知ってしまった以上、生まれながらにして豊かな環境にいる自分の立ち位置を、疑わざるを得なくなってしまったのだった。

日本にはカースト制度は無いが、乞食やホームレスと呼ばれる、路上生活者たちがいる。
彼らと同じ生活をすることで、普段の「豊かな生活」からは見えない景色が垣間見られるのではないか、と思った。

また、文献を読んだり人の話を聞くのではなく、自分自身が体験することにより、体験から知り得る何かがあるはずだと思った。
2月14日雪の降る夜に、僕は財布を置いて家を出た。
世の中はホワイトバレンタインだが、「俺にはそんなものは関係ない!」と強がりながら、親や友人の反対を押し切っての出発だった。

僕は、知りたかった。
一般的な生活を送る自分たちの視点からは、単純に「不幸な人たち」という目線で見られているホームレスの人たちだが、
現実に彼らはどんな生活を送り、どんなことを考えているのだろうか?
そして、本当に彼らは「不幸」な人たちなのだろうか?と。

もし彼らが実際にはハッピーな人たちだったのであれば、「不幸な人たち」という、我々目線のレッテルは、”偏見”ということになる。
せっかく人がやらない体験をするのだからと、ビデオカメラを持っていくことにした。
目標は、ホームレスの人たちの笑顔を撮影して帰ってくること。
そのことによって、「不幸な人たち」「かわいそう」というレッテルを、「偏見である」と証明したかったのだ。

ホームレス生活は、一晩目から野宿、残飯を漁る生活だった。
これらの行為は、これまでの旅で何度もやっていたし、あくまで「仮の身」としてのホームレスだった僕は、いくらでも自分を貶めることが出来た。

この「36日間ホームレス体験生活」のルポは、YouTubeにビデオ日記として10回に分けて投稿した。
詳しい内容や感想は 、是非そちらを見て頂きたい(”RichiMiyakawa ホームレス体験”で検索ください)のだが、結果から言うと、ホームレスの人たちの笑顔を撮影するどころか、彼らの姿を撮ることすらできなかった。
その代わりに、彼らと同じ生活を体験する自分自身の姿を映すことで、”ホームレスの生活”を描いていった。

自分で撮影し、自分でレポーター役も務めるという「自分撮り」撮影スタイルを確立したのは、このときだった。
当時、親だけでなく友人たちにさえも理解されなかった「ホームレス体験生活」。
生きる意味や神について考えていた当時の自分にとって、「兎に角これをやらなければ自分の人生は先へは進めない」との思いから実行に移した企画だった。

暗中模索での表現行為に、不安や恐怖の気持ちが なかったわけではない。

実際、「この企画をやって良かったんだ」と思えるようになったのは、1年ほど後のことだ。
YouTubeでの再生回数は少しずつ伸び、コメント欄には、僕の行為をたたえ、感謝の意を伝えるようなものも多い。このとき初めて、不安の中でも、信じる道を突き進むことで道は切り開けること、そして結果は後から付いてくることを知った。

 

(つづく)


その1はコチラ

宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その1

 

その2はコチラ

宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その2

 

その3はコチラ

宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その3

その4はコチラ

宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その4

 

<宮川竜一プロフィール>

宮川竜一(みやかわりゅういち)