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宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その3

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[その3「ネパール、インド徒歩、自転車旅行」]

東京ー仙台間無銭徒歩旅行を終えた宮川さんが次に向かったのが

ネパールとインド。

これまた移動手段は徒歩。

その先に見えたものは何だったんでしょうか。

南米大陸横断7000kmの旅

「Dancing Across the Amazon」

に至るまでを振り返る宮川さんの手記の第三弾です。


 

春休み日になると、僕は海の外へ出た。

ネパールとインド。
今回も同様に、歩いて旅をしようと決めていた。(さすがに、お金は持って行ったのだが。)

空港を出てタクシーのキャッチのお兄さんたちを振り切っては、ゴミの海と野犬、野牛、ストリートチルドレンや手足の無い物乞いたちに内心ビビりながら、僕の19歳の春休み、僕のネパール徒歩旅行は始まった。

テントは持っていたが、野営することに不安を感じていた僕は、毎晩民家に泊めていただいた。
「マライ、バスバスナ、ディノス?」僕が知っている唯一のネパール語だ。
意味は、「今夜泊めていただけますか?」。

このたった一文と笑顔だけで、僕はネパール500キロを歩き通した。
ただ一つ、「大丈夫だろう」と井戸水を飲んだ次の日の事はいつまでたっても忘れられない。

その晩はインドとの国境の街の安宿に泊まっていた。
トイレは部屋の外にあったのだが、夜中僕の腹は鳴り続けた。

それは「ギュルッ」と来たら、次の瞬間には絶対に”実”が出る、とういう症状だった。
どんなに力を入れて踏ん張ってもダメで、出るものは、やはり絶対に出るのだった。

当然トイレへ行く間など無く、ベッドの端に足をかけ、後ろの壁に手を添えて、床に放出、そのほかにどうしようもなかった。
それを、5分おきの「ギュルッ」の度にするのだった。

寝るに寝られぬ夜を過ごした。
朝、チェックアウトの時間にドアをノックされたとき、気が付くとその部屋の床は大変なことになっていた。
ガイドブックをちぎり、部屋にあった机の引き出しに投げ入れる作業をしばらく続け、
口の開いたペットボトルを床に倒してカモフラージュ、逃げるようにその宿を去った。

 

治安の悪さと旅程が間に合わないことに気が付き、
インドに入ってからは自転車を購入して旅をつづけた。

信じて付いて行った優しいお兄さんに、夜中の畑のど真ん中で財布を強奪されたりしたこともあり、
その後はほぼ毎晩 、警察にお世話になった。
交番を見つけ、警察官に「日本人だ」と言うと、僕は彼らに握手を求められ、いつも快くテントを張らせて頂けた。どんなホテルよりも安く、そして安心して眠れた。

郷に入っては郷に従え、ということで、僕も右手でカレーをかき混ぜて食べ、左手でケツを拭いた。
インド人は道端で用を足す。
女は夜中や明け方の暗いときにするのだが、男は日中でも人の見えるところで平気でする。
僕も彼らと同じようにしていたら、たとえ最中に人に見られても、お構いなしに用を足すことが出来るようになった。
自転車で旅をしている人間にとって、これほどの強みは無い、と思ったものだ。

 

ネパールとインド、徒歩と自転車で述べ1500kmを旅した僕は自信を付けた。
「俺は変わったんだ。」少なくとも、そう思いたい自分がいた。

帰国の際に経由したタイのバンコクでは、今回の旅の最後の挑戦をしようと思った。
バンコクは、言わずと知れたピンク街。

日本人男性の多くは、ここで遊ぶらしい。
一方の僕は、女遊びなどしたことが無い。
ましてや、好きな人に告白したことすらないような、純白ボーイだったのだ。

しかし、僕の目の前には山があった。
「登らずして、逃げるわけにはいかない。」そう思った僕は、緊張をほぐそうとビールを吐くまで飲み、
そしてその晩、男になった。

 

(つづく)


 

宮川さんの手記はこのあとも続きます。

 

宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その1

 

 

宮川竜一の「アマゾン横断プロジェクトDancing Across the Amazonに至るまで」その2

 

<宮川竜一さんのプロフィール>

宮川竜一(みやかわりゅういち)

 

 

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