『ドキュウ!』というのは不思議なメディアだ。
冒険スポーツマガジンといえばわかりやすい。
ただ一方でサイトに登場する『エクストリーマー』と呼ばれる人々の中には、
いわゆる冒険家でもアスリートでもない人々がたくさんいる。
一見、統一感がないようにも思えるけれど、彼らの共通項はどこにあるのだろう。
「スポーツと冒険」に収まらない『ドキュウ!』の本質とは何だろうか。
エクストリーマーの一人に選ばれているフィールドライターの矢田海里が
『ドキュウ!』発行人の山本喜昭氏にインタビューを試みた。
ドキュウ!プロデューサーの山本喜昭氏。”GO CRAZY, BE HAPPY”について語る。(撮影:矢田海里)
矢田> エクストリーマーに選んでいただいてから3年が経ちます。
きっかけは『アクロス・アメリカ』という、戦争を問いかけたアメリカ
横断の旅行記を読んでいただいたことでしたよね。ただ、当時から僕自身は
いわゆる冒険家というところとは少し違ったところで活動していた気がして。
それでも僕の活動を拾い上げてくれた。
そこに懐の深さのようなものを感じていたんです。
今日はそのあたりをきちんと言葉にしたいと
思っているんです。
そもそもの『ドキュウ!』の始まりはどんなところだったのでしょうか?
山本> 当初はウェブマガジンではなかったんですよ。冒険家とか
フィールドワーカーとかアスリートの人たちをサポートすることで、
彼らと世の中とつなぐ何かができないか、というぼんやりとしたところ
からスタートしているんです。
もともと広告制作の仕事をしていたので、自分にできることを探すうちに、
彼ら(エクストリーマー)が感じている熱い思い、生き様などを伝えたいなと
思うようになりました。彼らと接するうちに、スポーツビジネスにおける
アスリートの広告価値みたいなことではなく、やっていることそれ自体や経験や
感じていること考えていること、つまり生き様に価値があると思うようになりました。
それはアスリート自身の資産であり、世の中の資産でもある、と。
矢田> 最初のエクストリーマーとの出会いはどんなものだったのでしょうか?
山本> もともとは遡ると、以前の広告会社の仕事でレッドブルアスリートの
室屋義秀さんとソロアルピニストの栗城史多さんとご一緒する機会があったんです。
彼らの対談イベントをしたり、インタビューコンテンツを作ったりして、
こういう仕事ってイイなと。
室屋さんのことは、彼がレッドブルアスリートになる前から僕が当時勤めていた
会社でずっとサポートさせていただいて。こういう風に世の中に出て行くんだな
というところ見届けさせていただいて、
同時にそれをお手伝いするのって素敵だなと思いました。
栗城さんについては彼の電子書籍を読んで、そこについていた映像に感銘を受けたんです。
「フツーの人がコネも金もない中でもやっているだけなんです、僕みたいな
フツーの人間がやろうと思えば始められるので、誰でも自分の冒険を始められると思うんです」
というような等身大の言葉が響いたんですよね。
そして会ってみたら本当にいい意味で普通の人だった笑。
説得力ありましたね。
矢田> こういう事業に進んでいくにはご自身の個人的な背景もありますよね。
山本> もともと小学校の頃から植村直己さんを尊敬していました。
子供の頃から観光登山を楽しんでいたんです。親に連れられて涸沢とか
西穂高とかに行きましたね。山が好きで『山と渓谷』や『アウトドア』
という雑誌も読んでいたんです。そして僕が中学生の時に植村さんがマッキンリー
(現在はデナリ)で亡くなりました。
室屋さん、栗城さんの対談なんかを手がけているうちに、そうした記憶が一気に
蘇ってきた気がしました。自分の好きなことが蘇ってきたんですよね。
矢田> 彼らの自由に生きる姿に、自分も好きなことをやってみたいと思い始めたわけですね。
山本> そうですね。そういう意味では僕自身が彼らにきっかけをもらえ、
独立して『ドキュウ!』の事業を始めることができた。同じように、
エクストリーマーたちの資産を世に伝えるとで、読んでくれる人にとっても何らかの
きっかけになればいいなと思います。
そしてそのきっかけというのは何でもいいんです。今の仕事を転職する、
あるいは留学に出かけるとか、長年夢見ていた場所に出かけてみるというのでもいい。
その反応というか、何の契機になるかは人それぞれ。
矢田> それはすごいよくわかりますね。僕も本を書いている中で、
読者の反応というのは無限の可能性があってほしい。
例えば「戦争はなぜなくならないのか」という問いかけを
持って旅に出た時の旅行記があるんですが、
読んで必ずしも読者に戦争について考えてほしいというわけではないです。
むしろその反応って自由だし、だからこそ人間って面白いですよね。
山本> そうですね。アウトドアをやっているから、アウトドアの良さを伝えるとか、
アウトドアビジネスをやっていくというのはとてもわかりやすい。
広告もつきやすいだろうとも思います。
でも訴えるべき本質はそこではないと思った。
ただ、その「本質」と言っているものが何かというと、これは言葉で表すのは
難しいんです。とはいえ、ひとつ言えるとすれば「生きるチカラの探求」
というのはどこかに必ずありますね。
矢田> そもそもエクストリーマーという人たちはどういう人たちのことをいうんでしょうか?
僕もエクストリーマーの一人らしいのですけれども笑。
山本> そこがわかりにくいんですよね笑。もともと「エクストリーム」
というのは「極限の」という意味です。冒険家やアスリートはなんとなく
「極限の」というイメージはありますよね。でも旅人やフィールドワーカー
というのは極限状態なんですかというと、そこはわからない。
極限状態の定義は何かというと、まず、いわゆる生と死の境というのはあります。
アスリートが心身ともに鍛え上げてゾーンとかフロー状態に入るというのも割と
わかりやすい極限状態。そういう極限は確かにテーマとしては魅力的だけど、
極限状態は他にもあると思うんです。
例えば音楽が好きで旅をしている人がいるというのは一般的にはさほど極限状態ではない。
命の危険とかに出会うわけでもない。ただ、その行為へと向かう「めっちゃ好き!」
という状態はある種のエクストリームだと思うんです。
これまで掲載させていただいた方々の中にはレイメイカーの大谷幸生さん、
写真家のGOTO AKIさん、レイラインハンターで聖地研究家の内田一成さんなど、
いわゆる冒険家やアスリートとは違う種類の人たちがいます。そうした人たちも
みんな自分の興味をとことん突き詰めている。
それは生死を分かつような極限状態とかフローとかゾーンとかとは違う種類かも
しれないけれども、ある種の極限だし、実は同じものでもあるかもしれない。
そういう意味では一般的に言われている、レッドブルアスリートのような極限
という意味よりはもう少し広義にエクストリームを捉えているようなところがありますね。
行為そのものよりも上位にあるマインド的な何か。そこへ突き進んでいる人たちなんですよね。
少なくとも僕がそのように感じる人たち、ですね。
矢田> 僕自身も含めてですが、彼らはアスリートでも冒険家でもない。
けれども最初に室屋さん栗城さんに出会った時に感じた何かを感じるということでしょうか?
山本> さっき言ったエクストリームな状態を感じるんです。
ぶっちゃけ会った時におもろいなと思ったのがきっかけですね。
それとエクストリーマーの中に広い意味での「旅」をしている人が
入ってくるのは、おそらく身体を使っているということが大きいと思うんです。
冒険している人に怒られるかもしれませんが、旅人と冒険家の境目も
グラデーションになっていると思うんですよね。どこから冒険ですかという話です。
矢田さんもアメリカ横断しましたけど、それは旅ですか、冒険ですかと聞かれると、
旅でもあり冒険でもあるでしょう、と。
エクストリーマーにはそれぞれの「内なるフロンティア」がある、と語る矢田海里氏(フィールドライター)。
矢田> 僕としては十代の頃すごく冒険家になりたくて、自転車とかヨットでの経験を
積み上げていたんですけど、二十歳の頃、スティーブフォセットという人が気球で
無着陸地球一周をして、それである雑誌に「人類の冒険は終わった」と言われてしまった。
そこで、僕は別のフロンティアを探し始めたんです。縁があって、それが人間の内面という
僕にとっての未開の領域に向かって行ったんです。その過程で山本さんが言う「生きるチカラ」
に近いものも感じてきた。
僕自身はアスリートでないにもかかわらず、エクストリーマーに選ばれた理由は
そこだと思っているんです。
内田さんにしても大谷さんにしても、お話を聞いているとそれぞれに独自のフロンティアが
あるように思えてならないんです。僕はそれを内なるフロンティアと呼んでいます。
山本> 内なるフロンティア、まさにその通りです。そこを突き詰めている人々には、
外から見ると「エクストリームに見える瞬間」があって、めっちゃ面白そうにやっている。
そこが彼らの魅力ですよね。
とはいえ、こんな風にも思うんです。例えばアトリエにずっとこもって
彫刻を彫っている人も内なるフロンティアを追っている。
でもその人はそれだけでエクストリーマーかというと
少し違う気もします。
じゃあエクストリーマーってなんなのかといえば、我々(編集部)が
興味を抱いた人、としか最後は言えないんです。
とてもカテゴライズしにくくてすみません笑。
それはどんな人ですか、という像を描きにくいんです。会ってみて、
おおっ!と思うかどうか。最近だと田中泯さんというダンサーで
舞踏家の方、今一番会いたいですね。
矢田> あ、こないだテレビで見ました。
火山の火口で寝転がって踊っていた人ですよね。
山本> そう、あの人、めっちゃエクストリーマー!「場踊り」と言って、
その場で感じたことの身体表現ですね。あの人の中は、だいぶぶっ飛んでいますよ。
エクストリームです、宇宙ですよ。きっと。
というふうに、身体を使っているというのは、割と大きなファクターかもしれないですね。
今後例外もあるかもしれないけど。
矢田> そういうエクストリームな人々に出会うと、どういう気持ちになりますか?
山本> おもろい!と。それしかないかもしれない。ワクワクしますね。
こんな生き方もあるのか。おもろいと。
だからGO CRAZY, BE HAPPY.がドキュウ!のコンセプトになってるんです。
夢中になる人は、その瞬間ハッピーですよね。
ただ、彼らを単純にスゴい人として見せていきたいというよりも、
むしろそんなことスゴいことをやりつつも、フツーの人ですよね、
というところも見せていきたいです。
時には失敗しながら試行錯誤している人もいるし、実は食べるのに
困っている人もいるだろうし。そういう素の部分を見せたいですね。
なぜかというと、実際に会ってみるとフツーだから笑。
特別に見えるけど、みんな誰もが普通。裏を返すと、
誰もが特別なところを持っている。
矢田> 誰しも多かれ少なかれその両方を持っている、ということでしょうか。
山本> そうですね。私とは違う誰かではなく、
私と同じフツーの人がこんなことをやっているんです、と。
だから私でも何かできるかもしれないと思ってくれればいいですね。
自分のこと普通で平凡だと思っていて、本当にやりたいと思っていること
を封印している人は多いんじゃないでしょうか。少なくともぼくは封印していたし、
今も封印している人がたくさんいると思います。
それもわかっていて封印している人と、わからないで封印している人といる。
矢田> その封印を解いてしまいたいと笑。
山本> まあ単純に面白いと思ってもらえればいいというところですけどね。
ただ、みんながみんな自分の好きなことをできればハッピーになるとは思うんです。
『かもめのジョナサン』で有名なリチャード・バックの『イリュージョン』という小説があります。
救世主の男がある村を救う時に、ラジオに出演して聞かれるんですよ。
「世界がみんなハッピーになるにはどうすればいいのか?」
「みんな自分の好きなことをすればいいのさ」
「いや、そんなことをしたら世界が無茶苦茶になるじゃないか」
「いや、その方がハッピーになるんだ」
というようなくだりがあるんですが、まさにその通りだなと思ってます。
とはいえ、それは強制するものではないですからね。
それぞれの人が自然に感じてくれることが一番だと思います。
矢田> ありがとうございました!